NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/8/1


棗 Natsume 

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 棗(なつめ)は、茶器の一種で抹茶を入れるのに用いる木製の漆塗りの蓋物容器であり、植物の棗の実に形が似ていることからその名が付いたとされる。
 足利時代後期の塗師、羽田五郎により茶人、村田珠光に納めたものが最初とされるが、詳しい由来は定かではない。
 江戸時代初期までは棗が茶器に限らず用いられていたようで、元来は薬などを入れていた黒漆塗りの器の一種だと考えられており、茶器として一般に定着したのは千利休が好んだことも理由の一つとされている。
 こうした経緯もあって、単純な黒漆塗りのものだけでなく、茶室の趣ある書院飾りでも映えるように豪華な蒔絵が施されるようになり、今のような華やいだ茶器へと至ったとされている。
 その形も「利休型」と称される大棗・中棗・小棗を基本形として多くの種類が存在し、今も茶室の亭主座の傍らで、侘び・寂びの演出に一役買っている。
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2008/5/19


茶杓 Chashaku Chashaku Teaspoon

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 茶杓(ちゃしゃく)とは、抹茶を茶器からすくって茶碗に入れるための茶匙(ちゃさじ)である。
 元々は中国で使用されていた金属製の薬匙で、芋の葉形の匙に柄をつけ、薬を破砕する目的でその根元の先は球状になっていた。
 やがて室町時代の末に茶の湯が成立すると、茶器を傷つける恐れのある金属製は適さなくなり、竹で作られるようになった。
 千利休(せんのりきゅう)の時代になると、慶首座(けいしゅそ)が利休の茶杓の下削りを行って節のある茶杓が出現し、慶首座の弟子・甫竹(ほちく)は利休の茶杓師として茶杓を確立した。
 茶杓には、一般的には苦竹科の竹が主に使われ、中でも晒竹が利用されることが多い。
 長さは17~21cmぐらいで、茶を掬う部分は幅1cm、長さ2cmほどの楕円形で、一方の辺を曲げた形状をしている。
 茶杓は、機能美が感じられる、伝統の茶道具である。
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2008/2/21


抹茶色(マッチャイロ) Maccha-iro 

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 抹茶色(まっちゃいろ)は日本で古くから、いろいろなものに使われ親しまれてきた伝統色のひとつで、茶道で用いられる「お抹茶」のような、ややくすみがかった柔らかな黄緑色をさす。
 茶道に用いられる抹茶は緑茶の一種で、茶葉を粉末にしたものである。日本に抹茶を飲む習慣が伝わったのは鎌倉時代だとされている。その後茶道が完成し、茶が普及していく頃に、柔らかな薄めの黄緑を抹茶色と名づけたといわれている。
 抹茶色は落ち着いた色味のため、他のどんな色とも合わせやすいといわれている。そのため、着物や帯などの染物・和小物の他、アクセサリーなどにも多く用いられる、日本では人気の高い伝統色であるといわれている。
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2007/11/1


茶筅 Chasen Chasen

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 茶筅(ちゃせん)は、緑茶、特に抹茶を点てるのに使う茶道具のひとつ。湯を加えた抹茶を茶碗の中でかき回して均一に分散させ、泡を立てるための道具である。
 茶道の流派や宗匠たちの好みにより使う種類が異なり、形、穂立ち、素材、流派の好みにより約120種にも及ぶ。大きく分けると濃茶用、薄茶用の2種類になる。濃茶用には、穂が荒くて数が少ない「荒穂(あらほ)」を、薄茶用には竹を細かく割った穂が細く、数が多い「数穂(かずほ)」を用いる。
 茶筅の持ち方には作法がある。利き手ではない方の手は、抹茶碗が滑らないように支え、利き手で茶筅を持ち、人差し指と中指と親指の3本で茶筅の竹の部分を握るのが正式な作法だという。筆の正しい持ち方が決まっている「書道」にも似た様式美がここから感じられる。
 茶筅は、茶道の文化に欠かせない、大切な道具のひとつである。
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2007/5/17


薄茶器 Usuchaki Usuchaki

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 茶の湯の世界で用いる茶を抹茶というが、この抹茶はさらに薄茶と濃茶に分かれる。淹れるお茶により器が異なり、薄茶を入れるのは薄茶器、濃茶を淹れるのは濃茶器という。
 古い時代には、茶の湯というともっぱら濃茶が主流だったが、侘び茶の流行にともない、味わいが淡白で廉価な薄茶も盛んに飲まれるようになった。
 薄茶器の代表的なものに「棗(なつめ)」があるが、竹や和紙に漆を塗ったもの、焼き物、無地のもの、季節の絵の描いてあるものなど、ほかの道具に合わせて選ぶ。
 薄茶器は形がシンプルなため、作りの丁寧さと品格がさらにきわだつ。慎ましやかな茶会の席にふさわしい茶道具だ。
 
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2007/5/9


鳥取 観音院庭園 Tottori kannoninteien Kannonin Garden

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 観音院庭園は、江戸時代の元禄年間に時の藩主・池田光仲が十年をかけて造営させた池泉(ちせん)鑑賞式庭園。自然の傾斜地を利用した構成で、池の周囲の数ヶ所から庭園を楽しめるように工夫されている。
 約千三百平方mの庭園のうち3割を池が占める。その池に亀島、鶴島、滝の石組みを施し、周囲にはツツジやアジサイ、紅葉、サザンカなどの四季の花木を配している。この構成は、京都風の蓬莱様式が地方に伝わった好例である。昭和十二(1937)年に国の名勝に指定された。
 散策の合間には、敷設の観音院でお抹茶をいただきながら、優雅で贅沢なひとときを過ごすこともできる。
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2007/2/6


浄妙寺 Jyoumyou-ji 

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 浄妙寺は、神奈川県鎌倉市浄明寺にある臨済宗・建長寺派の寺院である。鎌倉五山第五位で、本尊は釈迦如来。
 文治四(1188)年、鎌倉幕府の重臣である足利義兼により建立された。開山は退耕行勇(たいこうぎょうゆう)。
 当初は極楽寺という名の真言宗の寺院だったが、義兼の子・義氏の時に臨済宗となり、寺名も浄妙寺に改名した。
 足利氏が栄えた室町時代は23の塔頭を備える大寺院だったが、現在は本堂、客殿、庫裏、収蔵庫からなる造りで、本堂左手には枯山水庭園、茶室喜泉庵がある。境内は国指定史跡となっている。
 裏山には鎌倉の名の由来となった鎌足稲荷神社があり、昔、僧が茶を喫していたという茶室喜泉庵では、枯山水庭園を見ながら抹茶を楽しめる。
 浄妙寺は、風情を感じられる、雅な古刹である。
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2007/1/30


高山茶筌 Takayama-chasen Takayama Chasen (Tea Whisks)

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 「茶筌(ちゃせん)」とは、抹茶をたてる時、泡をたてたり、練ったりするのに用いる竹製の具。10センチほどの竹筒の半分以上を細く割って穂にしたものである。
 奈良県高山地区は、茶筌の全国シェア90%を占める茶筌の里として知られている。歴史は古く、室町時代中期、高山領主の子息が茶道の創始者でもある村田珠光の依頼によって作ったのがはじまりだという。
 その後、千利休を頂点とする茶道の興隆によって生産が拡大された。昔から親が子のひとりを選んで製法を伝える「一子相伝」の伝統を貫いている。
 お茶筌も流派や用途によって、その味わいを異なえるものであって、竹の種類、穂の形、穂数などの違いで約120余種を数えるそうだ。
 昭和50年には、経済産業大臣指定伝統的工芸品「高山茶筌」の指定を受け、日本の茶道文化の一翼を担い続けている。
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