NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/1/24


肥後てまり Higo-temari Higo Temari

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 熊本県に伝わるてまり唄「あんたがたどこさ」を生んだのは、まさにこの「肥後てまり(ひごてまり)」である。
 鮮やかな色彩と幾何学模様が美しい肥後てまりは、江戸時代、各藩の城勤めの奥女中たちが手慰みで作り始めたのがはじまりで、その後各地に伝わったものとされる。
 代々肥後の女性に受け継がれてきた肥後てまりは、明治の中頃からのゴムまりの普及で次第に姿を消していったが、昭和四三(1968)年に肥後てまり同好会が発足し、技術が本格的に伝承されるようになった。
 肥後てまりの芯は、斜めに切ったへちまを乾燥させたものを使用する。線で包み、弾力をだして糸で巻き、球の形に仕上げる。フランス刺繍の糸を使用しているため、てまりの配色も素晴らしく、デザインも豊富である。
 昔、熊本市に流れる坪井川両岸の船着き場を「船場(せんば)」と呼んでいた。てまり唄ができた頃は、清流の中に小エビも群れ、狸がいた「船場山」周辺は、林や竹薮がうっそうと茂っていたといわれている。
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2007/12/26


秩父銘仙 Chichibu-meisen Chichibu Meisen

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 秩父銘仙(ちちぶめいせん)は、埼玉県秩父市で古来より生産されている知々夫絹を用いた絹織物である。
 崇神天皇の御代(紀元前149~紀元前29)に、知々夫彦命(ちちぶひこのみこと)が周辺住民に養蚕と機織の技術を伝えたことがその起源といわれる、大変古い歴史を持つ織物である。
 元来、屑繭や玉繭から採取した太い糸を緯(よこ)糸に用いた丈夫な織物で、養蚕を営む人々の自家用として織られていた。
 ただ、そのとにかく丈夫なことや平織りで裏表がなく、表が色あせても裏を使って仕立て直しができるという特徴などが庶民の間でもてはやされ、発展していくこととなる。
 武士の間でも大いに珍重され、古来よりの伝統を受け継ぎつつ、品質の良いものへと発展を遂げ、明治から昭和初期に掛けて最盛期を迎えることとなった。
 その豊かなデザイン性で、明治や大正の先人達の心を射止めた織物は、今も伝統を守りながら大事に織り上げられている。
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2007/11/14


色打掛 Iro-uchikake 

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 華麗な刺繍や織り模様を施した「色打掛(いろうちかけ)」は、白やピンクの掛下(かけした)の上に羽織る。
 地紋の入った色地に赤や緑などの華やかな色で鳳凰や鶴亀、松竹梅、御所車(ごしょぐるま)といったおめでたい吉祥文様を刺繍したり、織りや染め、白地に金糸や銀糸による刺繍、印金や箔などの技法で吉祥文様をあらわしたものがあり、息を飲むような華やかさがある。
 以前は白無垢より格下の装いだったが、現在では最高位の正礼装とされている。その為、神前や仏前式の結婚式において挙式では白無垢を、披露宴では色打掛を装うという形が定着している。帯をせず、歩く時に褄(つま)を掻い取らなければならないので、 掻取 (かいどり)とも呼ばれている。
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伊賀組紐 Iga-Kumihimo 

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 伊賀組紐(いがくみひも)は、三重県伊賀市で発祥したとされる工芸品である。国の伝統的工芸品に指定されている。
 組紐とは、絹糸で主に金銀糸などを組糸に使い、高台、丸台、角台、綾竹台などの伝統的な組台を使って繊細な美しさを持つ紐に作り上げたものである。
 伊賀組紐の組紐技術は、奈良時代、仏教伝来とともに大陸から伝えられたとされ、経典や袈裟などに用いられた。
 武士階級の時代になると甲冑や刀剣の紐が多く生産されるようになり、武具類を中心とする組紐文化が生まれた。
 明治維新後の廃刀令で武家社会が崩壊してからは、江戸時代の伝統組紐の技術は和装に欠くことのできない帯締め、羽織紐へと移行していった。
 伊賀組紐は現在、和装だけでなく洋装にまで幅広く利用されている、伝統ある工芸品である。
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2007/9/28


しな織り Shinaori 

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 新潟県との県境、山形県鶴岡市関川地区。ここに「しな織り」という日本三大古代織りの一つともいわれる、伝統工芸が受け継がれている。
 しな織りの原料となる糸はしなの樹皮の繊維である。樹齢一五年ほどのしなの木を伐採して樹皮を剥がし、乾燥させ、一〇時間ほどかけて煮る。柔らかくなった樹皮をさらに一枚の層になるように剥がし、余分な繊維を取り除く。糠の中に漬けて柔らかくした樹皮は、独特の柔らかい風合いが生まれるという。それを乾燥させ、細かく裂いたものを糸よりをして、ようやく長い糸が完成するという。
 こうして多くの工程と年月を経て完成させた糸を使って織り上げると、落ち着きのある風合いと柔らかい手触りが人気のしな織りが生まれる。
 しな織りは長く厳しい冬の間の、女性の生活の糧として古くから受け継がれてきた。素朴な温かさの中に、女性のたくましさと先人の知恵を感じることができる貴重な織物である。
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2007/9/7


紬織 Tsumugi-ori Tsumugi Silk Textil

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 紬織(つむぎおり)は、真綿から紡ぎ出した糸を経緯に用い、手織りで織り上げられた織物である。
 屑繭などから真綿を作り、指先で糸にしたものを手紡ぎ糸あるいは紬糸といい、それらを用いることから紬織と呼ばれるようになった。
 手紡ぎ糸独特の微妙な凹凸から生まれる風合いや鈍い光沢が特徴で、また、非常に丈夫なことから、古くから日常衣料や野良着などの作業着として用いられていた。
 このため、例え絹であっても正装には用いられなかったが、江戸時代のいわゆる”粋”を愛した通人たちが、その色合いや絹なのに落ち着いた光沢を持つ風合いに渋さを見出し、さりげなく趣味の良さを主張できる粋な反物として、外出着やお洒落着に用い、人気を博した。
 非常に丈夫な分、織りたては生地が硬く、着心地が良くないため、裕福な商人は番頭などに着せて、やわらかくなったところで自分で着用したという逸話もある。
 織りたての硬いものを羽織って、落語よろしく粋がってみるのも良いかも知れない。
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2007/7/25


伊勢型紙 糸入れ Ise-katagami Ito-ire Itoire Technique of Ise-Katagami

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 伊勢型紙の糸入れ(いせかたがみのいといれ)とは、三重県伊勢市に伝わる伝統工芸品・伊勢型紙における、精密な技術である。重要無形文化財に指定されている。
 伊勢型紙とは、きものなどの型染めに用いる型紙のひとつで、渋紙にさまざまな手彫りの技法で緻密な文様や優雅な図柄を彫り抜いたもの。
 糸入れとは、精密な縞彫りなどの型紙の細い筋の部分が、染めの時に曲がったり、よじれやすい部分に糸を貼り補強する技術である。
 彫りの隙間の多い型紙を補強するため、型紙を上下2枚にはいで極細の絹糸を渡し入れ、タンニン成分を持つ柿渋で貼りもどす事によって紙を補強する技法で、近年は紗という織物を彫刻した型紙に張り付けて補強する「紗張り」が取り入れられ、糸入れの伝承者は稀少になってきている。
 伊勢型紙の糸入れは、長い間受け継がれてきた、職人による精密な伝統技術である。
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刺繍 Shisyuu Japanese Embroidery

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 刺繍(ししゅう)は、手芸の一分野であり、布地に特定のパターンや図柄、文字などを縫いこみ、その結果できあがる作品をいう。
 日本に刺繍がもたらされたのは、今から千六百年~千七百年前頃に中国から渡来したとされ、日本においては着物を飾る方法として、布自体に模様を染める友禅技法が開発されるまでの間、刺繍が着物を加飾するための重要な方法であったた。長い年月をかけて様々な工夫がなされながら、各地で独自の刺繍が作り上げられ、やがて日本刺繍へとつながっていく。
 また、古来より日本では着物などの縫い目に呪力が宿る、と考えられていた。そのため、大人の着物に比べて縫い目の少ない子供の着物には悪いものが寄り憑きやすいと考えられ、子供を守るために着物の背中に「背守り」と呼ばれる刺繍を施す風習があった。
 同じような考えから、平安の昔から十二単や甲冑などにも刺繍は施されていた。
 そうした信仰上の行いなども、刺繍を発展させる礎となり、今に伝えられる日本刺繍の優美さを縫い上げている。
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日本の美意識。

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