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四国霊場第7番札所である十楽寺(じゅうらくじ)は、弘法大師・空海が阿弥陀如来像を彫って本尊とした寺である。
「八の苦しみを逃れ、十の楽があるように」との意味から光明山十楽寺と称し、境内の治眼疾目救済地蔵尊は眼病に霊験があることで知られている。
永正年間(1504~1520)、長宗我部元親の兵火の際に堂を焼失し、この時、住職の真然は本尊・脇仏・舎利仏・経本など運び出したが、経本を持たせた小坊が流れ矢に射られ、倒れた小坊はその時経本を土に隠した。その場所は「経塚」として、今も残されている。
その後、お堂は寛永一二年に再建されたが、現在の本堂は、更にあとの明治の再建とされている。
「八の苦しみを逃れ、十の楽があるように」との意味から光明山十楽寺と称し、境内の治眼疾目救済地蔵尊は眼病に霊験があることで知られている。
永正年間(1504~1520)、長宗我部元親の兵火の際に堂を焼失し、この時、住職の真然は本尊・脇仏・舎利仏・経本など運び出したが、経本を持たせた小坊が流れ矢に射られ、倒れた小坊はその時経本を土に隠した。その場所は「経塚」として、今も残されている。
その後、お堂は寛永一二年に再建されたが、現在の本堂は、更にあとの明治の再建とされている。
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