NIPPON Kichi - 日本吉

記事数90件: 1~8 件表示     >>     >|  

2008/10/29


大池寺 蓬莱庭園 Daichi-ji Horai-teien 

Jp

 滋賀県甲賀市水口町にある臨済宗寺院、大池寺(だいちじ)。
 今からおよそ千二百年前に行基によって建立され、もとは天台宗の寺であったが、鎌倉時代に臨済宗に改宗して今に至る。その境内にあるのが、蓬莱庭園(ほうらいていえん)である。
 江戸初期の寛永年間(1625~1645)に、作庭家であり茶人でもあった近江小室藩藩主・小堀遠州により作庭されたと伝えられている。
 広い範囲に植えられたサツキを刈り込んで形を与えた観賞式枯山水庭園で、手前の書院から見ると、まるで大海の波に揺られる宝船のようである。宝船にはきっちりと七宝と七福神も表現されている。
 整然と刈り込まれたサツキは、春には紅白の花を咲かせ、夏には目にもまぶしい新緑となる。秋には後ろにある紅葉とのコントラストが見事で、冬には白い薄化粧が施されるなど、四季折々の風情に彩られる。
 他にも蓬莱山の石組みや水琴窟なども設けられており、ゆったりとした時間の流れをすごせるだろう。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2008/10/27


三身山 太山寺 Sanshin-zan taisan-ji 

Jp

 三身山太山寺(さんしんざんたいさんじ)は、兵庫県神戸市西区伊川谷町にある天台宗の寺である。本尊は薬師如来、十一面観音。
 新西国観音第二十五番霊場、明石西国第二十六番霊場、神戸六地蔵第一番霊場、播州薬師第一番霊場札所となっている。
 霊亀二(716)年、元正天皇の勅願寺として、発願者である藤原鎌足の孫・藤原宇合(ふじわらのうまかい)が堂塔伽藍を建立したのが創建とされる。
 建武中興(1334)の時は寺衆徒のめざましい活躍があり、支院四十一ヶ坊・末寺八ヶ寺・末社六ヶ社を持ち大いに栄えたという。
 現在は、龍象院・成就院・遍照院・安養院・歓喜院の五ヶ坊が残っている。
 鎌倉時代を代表する天台伽藍の本堂は国宝で、仁王門と三重塔は国の重要文化財に指定されており、多数の絵画も所蔵している。
 三身山太山寺は、歴代天皇をはじめ広く信仰を集めた古刹である。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2008/9/29


鎌倉 宝戒寺 Kamakura Houkai-ji 

Jp

 花の名所としても有名な宝戒寺(ほうかいじ)は神奈川県鎌倉市に位置する。境内には四季折々に咲く様々な花木が植えられており、特に夏の終わりに境内の風景を白色にそめる白萩が有名なため、萩寺という別名でも呼ばれている。
 建武二(1335)年、北条執権の屋敷があった場所へ、後醍醐天皇(ごだいごてんのう)によって創建された天台宗の寺院である。
 後醍醐天皇を中心とした勢力によって、鎌倉幕府が滅亡した元弘の乱は、元弘元(1331)年に起きた。幕府とともに北条一族が滅び、その霊を慰めるために天皇が足利尊氏(あしかがたかうじ)に命じて、寺を建立させたといわれる。また、国宝的人材を養成する修行道場としての役割もあったという。
 鎌倉七福神の第三札所になっており、病魔退散・財宝富貴の神である毘沙門天(びしゃもんてん)が祀られている。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2008/9/26


真如堂 Shinnyo-dou 

Jp

 比叡山延暦寺を本山とする天台宗の寺真如堂(しんにょうどう)。正式名称は「鈴聲山真正極楽寺(れいしょうざんしんしょうごくらくじ)」である。
 比叡山の僧、戒算上人が夢に現れた阿弥陀如来より「神楽岡に真正極楽の霊地がある」というお告げを受けた。戒算は比叡山常行堂の阿弥陀如来像を、神楽岡の東に位置する、藤原道長の姉、東三条院・藤原詮子の離宮に移し、安置したのが真如堂のはじまりといわれている。永観二(984)年のことだったという。
 応仁の乱の戦火を受け、諸堂は全焼してしまったが、江戸時代に入り、現在の地に美しく重量感のある本堂や三重塔などが再建された。
 自然に囲まれた真如堂は、見所も多く、四季折々の異なる表情も楽しむことができる。紅葉の名所としても名高い。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します




二尊院 Nison-in 

Jp

 京都市嵯峨野にある二尊院(にそんいん)は嵯峨天皇によって建立された天台宗の寺院である。正式名称は「小倉山尊教院華台寺(おぐらやまそんきょういんけだいじ)」で、開祖は慈覚大師(じかくだいし)とも呼ばれる日本で最初の大師円仁(えんにん)である。創建時期は承和年間(834~847年)とされている。
 現世から来世へと送り出す「発遣(ほっけん)の釈迦」と、西方極楽浄土へ迎え入れる「来迎の阿弥陀」の表裏一体ともいえる二如来像を本尊とすることから二尊院と名付けられた。
 応仁の乱の戦火を受け、建物はほぼ全焼してしまったが、その後本堂と勅使門など、一部の建物が再建されている。
 伏見桃山城の薬医門(やくいもん)を移した大きな総門から延びる広い参道は「紅葉の馬場」と呼ばれ、紅葉の名所として名高い。
 また、ここは藤原定家が百人一首を選定した場所としても名高く、山の中腹に「時雨亭跡」として石組みが残されている。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2008/9/11


佛山寺 Bussan-ji 

Jp

 大分県由布院の佛山寺(ぶっさんじ)は、明治の廃仏毀釈が行われるまでは宇奈岐日女神社(うなぐひめじんじゃ)またの名を六所宮(ろくしょぐう)と一体になって栄えた古刹である。
 本尊は由布岳の観音菩薩。かつて湖であった湯布院を盆地に変えたと伝えられる宇奈岐日女と習合していた。
 寺伝によると康保年間(964〜968年)、聖空上人の開山と云われ、当時の堂宇は由布岳の中腹にあり天台宗であった。その後、江戸時代に臨済宗となって現在の地に移転した。
 全盛時には10ヶ所の末寺を有した湯布院を代表する中心的寺院で、今も境内には青面金剛塔や金光明王塔が竹林や大杉の合間に建ち、山門、本堂、庫裡がすべて落ち着いた雰囲気を保っている。平成六(1994)年の火災で本堂を焼失したが、再建され現在に至る。
 また、500メートル程離れた金鱗湖に浮かぶ鳥居はこの佛山寺にあったもので、廃仏毀釈に伴い天祖神社付近の湖面に移されたものである。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2008/9/2


常楽寺 三重塔 Jouraku-ji Sanjuu-no-tou 

Jp

 常楽寺(じょうらくじ)は、滋賀県湖南市西寺にある天台宗の寺である。本尊は千手観音。近江西国三十三箇所霊場第1番札所とされる。東方にある長寿寺の「東寺」に対して、「西寺」と呼ばれている。
 和銅年間(708~715)に聖武天皇の勅願により、良弁によって開基されたと伝わる。
 三重塔(さんじゅうのとう)は、室町時代の応永七(1400)年頃に建てられたと言われている。高さ22.8mの三間四方の本瓦葺で、内部には禅宗様須弥壇を置き、釈迦説法図や釈迦涅槃図、地獄絵などの壁画が描かれており、国宝に指定されている。
 和様の三重塔であり、擬宝珠高欄を付した縁をめぐらし、中央間板唐戸、脇間連子窓、中備えは三間とも間斗束となっている。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2008/8/25


三井寺(園城寺) 三重塔 Mii-dera(Onjou-ji) Sanjuu-no-tou 

Jp

 園城寺(おんじょうじ)は、滋賀県大津市園城寺町にある天台寺門宗総本山の寺院である。本尊は、弥勒菩薩。西国三十三箇所14番、西国四十九薬師48番、近江三十三観音第5番札所で、別称を三井寺(みいでら)という。
 7世紀に大友与多王(おおともよたおう)によって開基されたと言われ、日本三不動の一つである黄不動や、近江八景の1つ「三井の晩鐘」でも知られる。
 三重塔は、室町時代初期である、明徳三(1392)年に比曾寺に建立されたもので、後に豊臣秀吉が伏見城に移築し、慶長六(1601)年、徳川家康が再度園城寺に移築した。本瓦葺で、高さ24.7mあり、和様を主軸にした古典的な塔とされる。国の重要文化財であり、木造釈迦三尊像が安置されている。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



記事数90件: 1~8 件表示     >>     >|  
NIPPON Kichi - 日本吉 - 日本語に切り替える NIPPON Kichi - 日本吉 - to english

モノ・コト・ミル・ヒトで綴る
日本の美意識。

現在の記事 5444
カテゴリーズ
都道府県
キーワードシャッフル
お気に入り
キーワード検索
閲覧履歴



Linkclub NewsLetter