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2008/10/1


延岡城址 Nobeoka-jyou-shi 

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 延岡城址は宮崎県延岡市東本小路にある城跡である。
 延岡城は、慶長八(1603)年、高橋元種が五ヶ瀬川と大瀬川に挟まれた丘陸地帯に築城した。当時いよいよ銃器による戦が力を見せ始めた頃であり、それに対する策として有名な「千人殺し」の石垣は高さ22メートルあり、本丸への侵入を防ぐために作られた。
 明治三(1871)年に破城令により、ほとんどが取り壊されてしまったが、石垣等は残された。
 現在この城跡は公園として整備されており、園内には日本三大やぶつばき群があり、10月下旬から4月まで色とりどりのやぶつばきが開花する。また、桜の名所でもあり、アメリカ・マサチューセッツ州メドフォード市(姉妹都市)から寄贈されたものや、300本からなるソメイヨシノの桜が春になると一斉に花を咲かせる。
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2008/9/29


姥山貝塚 Ubayama-kaiduka 

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 姥山貝塚(うばやまかいづか)は千葉県山武郡にある縄文時代中期から後期のものといわれる貝塚である。また、国の指定史跡である。
 大正一五年に東京人類学会が行った発掘調査では、一連の住居跡から、子供1体、成人女性2体、成人男性2体の計5体の家族と思われる人骨が発見されたという。また、竪穴住居址の全容が平面的に捉えられたのは日本では初めての事であったとされる。この事が姥山貝塚を全国的に有名になったとされる。
 貝塚の大きさは東西約130メートル、南北120メートルの馬蹄型(C字型)と呼ばれる貝塚である。
 発掘された土器の多くは縄文時代中期から後期にかけてのものが多く、共同墓地と思われるものも発掘されているという。
 現在、姥山貝塚は姥山貝塚公園として市民の憩いの場所ともなっている。
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2008/8/19


宇和海海中公園 Uwa-kai-kaicyuu-kouen 

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 愛南町の沖に浮かぶ鹿島(かしま)周辺は、足摺宇和海(あしずりうわかい)国立公園の中心として、1971年に日本で最初の海中公園に指定された。島の周囲には、侵食によってできた断崖や洞が見られ、黒潮の影響によりサンゴ礁が発達。それらに棲み付いた熱帯魚も多く、カラフルな海中は花畑のようである。
 この美しい海は、半潜水型水中展望船「ガイヤナ」と「ユメカイナ」から楽しむことができる。船体の中央展望室が水面下1・1メートルまで下がり、座席に腰かけたまま色鮮やかなサンゴや熱帯魚を観察できるのが特徴。中泊港または船越港から出航し、「海中公園鹿島うどコース」と「海中公園鹿島一周コース」の2コースが設けられている。
 周辺海域はスキューバダイビングのメッカとしても知られており、毎年たくさんのダイバーが訪れる。8月には海中公園祭りが行われる。
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2008/8/14


北野廃寺跡 Kitano-haiji-ato 

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 北野廃寺跡は、愛知県岡崎市北野町郷裏にあり、国の史跡に指定されている。
 わが国に仏教とともに伝来した伽藍建築法の最も初期のものとされる天王寺式の遺構で、境内は土塁が四方を巡り、東西126.5m、南北146mに及び、壮大な寺院であったことが偲ばれる。
 伽藍配置は南大門、中門、塔、金堂、講堂が一直線上に並び、出土品の単弁六葉蓮華文軒平瓦(たんべんろくようれんげもんのきひらがわら)などが創建当時のものと推定されている。塔は法隆寺の五重塔に匹敵する大きさであり、釈迦を供養する塔中心の初期仏教思想の表れだと思われる。
 現在、北野廃寺跡は史跡公園として整備されており、その名残りを礎石に残している。
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2008/7/4


頭之宮四方神社 Koubenomiya-yomou-jinja 

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 三重県度会郡大紀町にある頭之宮四方神社(こうべのみやよもうじんじゃ)は、全国でも唯一、「頭之宮」と名付く神社だ。
 奥伊勢県立公園に位置し、建久二(1191)年に創建されたといわれ、古くより「頭の宮さん」として親しまれている。
 同社の創建には逸話があり、唐子川を流れてきた髑髏(しゃれこうべ)で遊んでいた子供達を老人が一喝したところ、老人は突然乱心し、「予は唐橋中将光盛(からはしちゅうじょうみつもり)なり」と言い出し、「子供達と遊んでいたのを無理やりやめさせたのは無礼なり」として、「鎮めたければ髑髏を崇め祀れ」と言いった。
 それを聞いた村人は深く老人の無礼を謝し、神託のままに現在の社地に神殿を造営、髑髏を祀ったのが始まりとされ、以来、霊験あらたかなる事が度々あり、頭之守護神や知恵之大神と尊崇されるようになった。
 境内にはかえるの彫像の口から湧水が流れる「頭之水」や撫でると御利益があるという「頭之石」もあり、社名のとおり知恵には事欠かない神社である。
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2008/6/26


岩崎城 Iwasaki-jou 

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 岩崎城(いわさきじょう)は、小高い丘の上に築かれた城である。
 この城は室町時代末期、尾張国の東端、国境付近を守る織田信長の父である織田信秀の支城であった。岩崎は、尾張と三河を結ぶ街道の要衝地として知られ、以前から交易の場として栄えたところである。城下は「市場」の地名が今でも残っている。
 築城年代ははっきりしないが、織田信秀により築城、属将であった荒川頼宗が守備していたとされる。享禄二(1529)年尾張国に進出するため、三河国岡崎城主で徳川家康の祖父であった松平清康が岩崎城を攻め落とした。その後、天文六(1537)年、当地方の土豪であった丹羽氏四代の居城となった。
 昭和五九(1984)年から約三年かけて発掘調査が行われ、隅櫓や井戸跡などが発見された。各郭の間を堀や土塁が取り囲み、城の遺構はよく残されている。
 現在、城跡は公園として整備されており、三層の模擬天守や歴史記念館が建てられている。
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2008/6/4


会津駒ヶ岳 Aizu-komagadake 

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 会津駒ケ岳(あいづこまがたけ)は、福島県南部に広がる尾瀬国立公園の一部にあり、尾瀬の北方に位置する山である。
 日本百名山にも数えられる雄大でなだらかな山容を誇る山は、標高2133m。福島県内では燧ヶ岳(ひうちがたけ)に次ぐ高峰で、会津のシンボル的な山として、「会津駒(あいづこま)」の名称でも親しまれている。
 山頂付近は草原状のいわゆる「お花畑」になっており、池塘(ちとう)が点在する高層湿原が広がっており、山頂から北に位置する中門岳までのたおやかに伸びる湿原状の稜線は天上の楽園とも称される絶景である。
 そうしたことから植物も豊富で、ハクサンコザクラやチングルマ、イワカガミなどの高山植物の群落が、同山の大きな魅力の一つとなっている。
 山頂からの景色も素晴らしく、周辺の尾瀬の山々や南会津、日光、奥利根などの山並みを眺望することができ、美しい花々と、南東北の絶景を堪能できる、まさに楽園のような山である。
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魚沼駒ヶ岳 Uonuma-komagadake 

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 新潟県魚沼市にある、日本百名山のひとつに数えられている魚沼駒ヶ岳(うおぬまこまがだけ)は、標高2003メートルの山である。
 八海山や中ノ岳と共に、越後三山と呼ばれ、三山全体が越後三山只見国定公園に指定されている。
 八海山を上ノ岳と呼ぶのに対し、魚沼駒ヶ岳を下ノ岳と呼ぶこともある。小出町からこの三山がよく見え、三山の中で一番標高が高いのは2085メートルの中ノ岳である。
 かつて八海山から中ノ岳を経て魚沼駒ヶ岳に登るルートは、信仰登山として歩かれた道であった。
 山頂からは八海山や荒沢岳、奥只見湖をはじめ、上越国境の最高峰である平ヶ岳、尾瀬ヶ原と尾瀬沼の間に位置する燧岳(ひうちだけ)、武尊山、奥白根山などの山々を見渡すことができる。また山頂は水無川の源流があることで知られる。
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