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2008/1/8


八雲本陣 Yagumo-honjin Yagumo Honjin

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 八雲本陣(やぐもほんじん)とは、出雲地方屈指の地主、木幡家(こわたけ)が代々守ってきた本陣宿で、江戸時代に松江藩主が領土内を見回る際に利用されていた。
 木幡家は酒造業を営みながらも、庄屋をまとめる下郡役も務めたため、名家と呼ばれている。
 敷地一二〇〇坪、建坪八〇〇坪の大きな建物は、享保一八(1733)年に建てられ、当時、旅館として営業されていたが昭和四四年に重要文化財として指定された。
 近年まで料理旅館として営業しており、室内の調度品もすばらしいものが多い。
 八雲本陣は昔の人々の生活が身近に感じられるような、心やすらげる場所である。
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2007/12/25


小泉八雲旧居 Koizumiyakumo-Kyuukyo Lafcadio Hearn’s Old Residence

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 「耳なし芳一」や「雪女」の作者として有名な小泉八雲が、松江の侍の娘セツと結婚し、明治二四(1891)年の五月から一一月までの半年間の新婚生活を過ごした家を、「小泉八雲旧居(こいずみやくもきゅうきょ)」または「ヘルン旧居」として今も姿を変えることなく保存されている。
 ヘルンというのは八雲が日本に帰化する前の名前、ラフカディオ・ハーンの姓ハーンをローマ字読みにしたもので、八雲がとても気に入って定着させた名前だという。
 旧居の建物は、享保年間(1716~1735)に松江藩士の屋敷として建てられたもので、八雲が武家屋敷に住むことを熱望して当時空家だったこの建物を借りたと伝えられている。
 この家の中央にある、三方に庭が見える部屋を特に好み、この部屋からの庭の眺めを楽しんでいたとされ、著書「知られぬ日本の面影」にも登場するという。
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2007/12/7


川尻筆 Kawajiri-fude 

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 天保九(1838)年、広島県川尻の菊谷三蔵(きくたにさんぞう)が、現在の兵庫県にあたる摂州の有馬から筆を仕入れ、寺子屋などで販売したのが「川尻筆(かわじりふで)」の始まりである。
 その後、筆を仕入れるだけでなく、この地で筆の製造を始めることを村人に呼びかけ、安政六(1859)年に初めて川尻筆がつくられた。川尻の上野八重吉(うえのやえきち)が有馬や松江から職人を呼び、初めての試みとして高品質の「ねりまぜ製法」、大量生産の「ぼんまぜ製法」を扱い、川尻筆の名は次第に全国に広まった。
 明治時代における学制の制定から筆の需要が高まり、さらに川尻筆墨株式会社の設立もあって、技術や経営でも発展し続けた。
 第二次大戦中に多くの職人を失ったうえ、戦後の学制の変更で学校習字が廃止され、生産が衰退したが、昭和四二(1967)年に「川尻毛筆事業共同組合」が設立、続いて昭和四六(1971)年には学校習字が復活した。平成三(1991)年に県の伝統的工芸品の指定を受け、川尻筆の伝統は今なお大事に受け継がれている。
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2007/11/20


袖師焼 Sodeshi-yaki 

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 袖師焼(そでしやき)は、島根県松江市袖師町に伝わる工芸品である。県の伝統工芸品に指定されている。
 明治一〇(1877)年、初代・尾野友市により松江市上乃木の皇子坂に開窯された。
 三代・尾野敏郎は、昭和の初めから柳宗悦(やなぎむねよし)の民芸運動に加わり、地元の粘土を用いた新作の民芸品として日常の暮らしの器物を作るようになった。
 出雲の伝統陶器の味わいを持ち、暮らしに役立つ強くて使いやすい中に簡素なうるおいのある陶器で、釉薬(ゆうやく)には地釉(ぢぐすり)、柿釉(かきぐすり)が多く使われているのが特徴とされる。
 食器類、酒器、茶器、花器など主として日常家庭用品を製作し、近年では、赤土粘土など、これまでと違った土を使用した作品も製作している。
 袖師焼は、出雲の土を生かした、質素で丈夫な伝統工芸品である。
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2007/11/8


出雲石灯ろう Izumo-ishidourou 

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 出雲石灯ろう(いずもいしどうろう)は、島根県松江市を中心に受け継がれている伝統工芸品である。
 この石灯ろうの起源は奈良時代にさかのぼると伝えられているが、本格的につくり始めたのは江戸時代になってからである。
 原料は、出雲地方の穴道町(しんじまち)の特産である「来待石(きまちいし)」と呼ばれる石で、手斧・つるはし・のみを使って加工される。来待石とは、火山灰が固まって出来た粗粒凝灰質砂岩(そりゅうぎょうかいしつさがん)といわれる原石である。良質の石材で加工しやすく、耐火性に優れていることから、建材用にも使用された。松江藩時代はその価値が認められ、一般の人々の採取が禁止され、「御止め石」として藩外への持ち出しも許されないほど重要視された。
 明治時代以後は造園をはじめ、室内装飾等に欠かすことのできない石の美術品として、全国各地に広く知られ、親しまれている。
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2007/7/24


鼕行列 Dou-gyouretsu Do-gyoretsu Drum Parade

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 伝統行事「鼕(どう)行列」は、毎年10月第3日曜日に島根県松江市の松江神社で行われる例大祭である。
 鼕とは、桐の筒に牛の皮を張って作った大太鼓のこと。鼕行列の由来は、松平藩五代藩主の奥方として享保九(1724)年に京都伏見宮家から岩姫が嫁いできたときに、城下の人々がこれを祝って大きな鼕を作り、打ち鳴らしたのが始まりとされる。
 祭り当日には、山車に直径約2mもある鼕太鼓を2、3台据えて、これを半被(はっぴ)姿の子ども達数十人が曳き回し、若衆が威勢のいいバチさばきで鼕太鼓を打ち鳴らしながら町内を練り歩く。山車の周りでは横笛や、「チャンガラ」と呼ばれる銅拍子を担う囃子方が十数人加わり、行列を盛り上げる。
 約2千人が練り歩くこの祭りは、「見る」だけでなく「聴く」ことも楽しめる、松江の秋の風物詩である。
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2007/6/14


筒描藍染 Tsutsugaki-aizome Tsutsugaki Aizome (Tsutsugaki Indigo Blue Dyeing)

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 島根県の出雲・松江・米子を中心とする、ふるさと伝統工芸品に指定されている風呂敷。
 明治以前より藍染をする紺屋は各地にみられたが、明治40年頃から次第に化学染料(建染染料)が普及。昭和25年には、筒描藍染を行うオモテ紺屋(糸を染めるカセ紺屋に対する呼称)は出雲地方において、紺屋59軒の内、オモテ紺屋のみ4軒となった。
 現在は、筒描藍染技術保持者として島根県指定無形文化財に認定されている、長田紺屋1軒を残すのみとなった。
 オモテ紺屋が染めた筒描藍染は大正時代までは嫁入支度として、定紋を入れ藍染で染めあげた。風呂敷もそのひとつであった。
 何度も染を繰り返し完成する。図柄は、のりを塗って染まらないようにして、高瀬川でゆっくりと洗われる。
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2007/5/15


出雲めのう細工 Izumo-menou-zaiku Izumo Agate Work

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 出雲めのう細工は島根県松江市で作られている工芸品で、島根県ふるさと伝統工芸品の一つ。
 めのう細工の起源は古く、神代にまでさかのぼると言われ、古代の装飾具である勾玉は翡翠やめのうを加工して作られた。
 古代の勾玉は多く島根で作られたと言われ、三種の神器の一つ八坂瓊勾玉もその一つであるとされる。
 出雲めのう細工は江戸末期頃に始まり、大正時代には玉湯町を始め、各地の集落で作られていたが、その後職人が減少、現在はめのう細工伝承館で技術が継承されている。
 土産細工の勾玉以外に、ペンダントやネックレスなどの装飾品を主流に作成して、観光客に人気を集めている。
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