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2008/3/31


福林寺跡 磨崖仏 Fukurin-ji^ato Magai-gutsu Magaibutsu at Fukurinji Temple Ruins

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 福林寺跡の磨崖仏(ふくりんじあとのまがいぶつ)とは、滋賀県野洲市(やすし)小篠原の静かな林の中に点在する磨崖仏群の事である。
 福林寺跡は野洲中学校の裏道から林道を入った静寂な地にあり、周辺には小磨崖仏が無造作に点在している。
 大きな岩に高さ約45cmの地蔵菩薩立像13体が平肉彫りされている磨崖仏や、阿弥陀如来像2体と観音立像1体が彫り出されているものなどがあり、どちらも室町時代初期の作とされ、小さいながらまるで木に彫ったように細かく繊細な造りが特徴とされる。
 他に、石仏もそこかしこに転がっており、異世界のような不思議な雰囲気を醸し出している。
 その昔は、辺りにはもっと多くの磨崖仏があったというが、明治・大正のころ、大阪の富豪が自宅の庭に持ち去ったと伝わる。
 福林寺跡の磨崖仏は、何とも神秘的で奇妙な場所である。
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2008/3/7


知多 平泉寺 Chita Heisen-ji 

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 知多半島の阿久比町にあるのが、知多四国霊場一六番である平泉寺(へいせんじ)である。天長七(830)年、淳和天皇の勅願により慈覚大師円仁が創建したと伝えられる。
 本尊は不動明王で、尾張不動尊として信仰を集めている。不動明王立像と毘沙門天立像は中心一木造り彫眼の像で、県指定文化財に指定されている。また、阿弥陀如来像は仁平三(1153)年の在銘仏で県下最古のものとなり、同じく県指定の文化財になっている。
 文治元(1190)年旧暦八月一五日に、源頼朝が野間の里(美浜町)にある父・義朝の墓参りのあと、尾張不動尊に国家安泰などを祈願したといわれる。
 そして墓参りの帰り道、中秋の名月が美しかったので、坊内を大乗坊から円月坊と呼ぶよう命じたと伝えられている。
 

 
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2007/11/26


大悲願寺 Dai-higan-ji 

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 東京都あきる野市を流れる秋川沿いに佇む古刹。それが大悲願寺(だいひがんじ)である。
 おおよそ千四百年前、全国行脚でこの地に訪れた聖徳太子が草堂を建てたのが起源といわれ、建久二(1191)年に源頼朝の命を受けて、平山季重(すえしげ)が本堂などを建立したとされる。
 境内には、寛政六(1794)年建築といわれる「無畏閣(むいかく)」と呼ばれる観音堂があり、中には国の重要有形文化財に指定されている木造伝阿弥陀三尊像が安置されている。これは年に一度、四月に御開帳が行われている。
 九月中旬から下旬に花をつける白萩も有名で、同寺を訪れた伊達政宗が、その美しさから一株譲ってほしいと、後に書簡で所望した話は有名で、芝居の「千代萩」の元となっているという。
 この時の書簡は今も大事に保管されている。
 立派な山門や本堂、境内に咲く四季折々の花を眺めながら散策をすれば、政宗公が手紙を出してまでほしくなったのも納得の美しさを堪能できるだろう。
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2007/11/15


十楽寺 Juuraku-ji 

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 四国霊場第7番札所である十楽寺(じゅうらくじ)は、弘法大師・空海が阿弥陀如来像を彫って本尊とした寺である。
 「八の苦しみを逃れ、十の楽があるように」との意味から光明山十楽寺と称し、境内の治眼疾目救済地蔵尊は眼病に霊験があることで知られている。
 永正年間(1504~1520)、長宗我部元親の兵火の際に堂を焼失し、この時、住職の真然は本尊・脇仏・舎利仏・経本など運び出したが、経本を持たせた小坊が流れ矢に射られ、倒れた小坊はその時経本を土に隠した。その場所は「経塚」として、今も残されている。
 その後、お堂は寛永一二年に再建されたが、現在の本堂は、更にあとの明治の再建とされている。
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2007/11/1


応声教院 山門 Ousyou-kyouin sanmon Sanmon Gate at Oshokyoin Temple

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 応声教院(おうしょうきょういん)は、静岡県菊川市中内田にある浄土宗の寺である。本尊は、準国宝の阿弥陀如来像とされる。
 斉衡二(855)年、茲覚大師により、文徳天皇勅願所の天台宗天岳院として創建された。
 後に、浄土宗を改宗した法然上人が、桜ケ池の竜神になったといわれる恩師皇円阿闍利を偲んで阿弥陀如来像を安置し、天台宗を浄土宗に改宗し、天岳院を応声教院に改名したと伝えられる。
 また、京都知恩院末、遠江十二支辰巳霊場としても知られ、阿闍利伝説の縁起書や歯吹阿弥陀如来座像などを所有している。
 石坂を登ると徳川2代将軍秀忠が建立した山門があり、のんべえ地蔵をはじめとした様々な地蔵や、遠州七不思議の一つ、片葉のアシや三度栗が植えられている。
 応声教院は、様々な伝説に彩られた古刹である。
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2007/9/27


宮城 岩蔵寺 Miyagi Ganzou-ji 

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 宮城の岩蔵寺(がんぞうじ)は、宮城県岩沼市志賀薬師にある天台宗の寺院である。本尊は、薬師如来像。
 貞観二(860)年、慈覚大師円仁が近江国志賀から薬師如来を移して開基したと伝えられる。
 境内の薬師堂に安置されている薬師如来は、大師自らが刻んだといわれる本尊の秘仏で、現在は開かずの厨子に納められている。
 脇侍に日光・月光の両菩薩を安置しており、平安後期の丈六阿弥陀如来像、運慶作といわれる十二神将、法眼となった狩野派の絵師による作とされる絵馬など、多くの像や寺宝を保持している。
 木立に囲まれた境内は素朴な味わいがあり、付近の人々の厚い信仰をうけている。
 宮城の岩蔵寺は、歴史ある古刹である。
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2007/9/14


高月院 Kougetsu-in Kogetsuin Temple

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 高月院(こうげついん)は、徳川家の始祖松平親氏(ちかうじ)、泰親(やすちか)の菩提寺として知られる。境内にある松平家墓所は、周囲を石製の塀で囲んでおり、葵の紋が刻まれた扉がつけられ、中央に親氏、そして泰親、親忠夫人の墓が並んでいる。
 高月院はもともと「寂静寺(じゃくじょうじ)」ともいい、貞治六(1367)年に足助重政(あすけしげまさ)が、親氏の妻の父親である在原信重の援護を受けて建立した。永和三(1377)年、松平親氏が本尊阿弥陀仏をはじめ、堂・塔を寄進してから「高月院」と改め、松平氏の菩提寺となった。
 その後、慶長七(1602)年、徳川家康によって寺領百石が与えられた。寛永一八(1641)年、三代将軍家光により山門や本堂が再建され、明治維新まで徳川将軍から厚い保護を受けてきた寺である。
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2007/8/16


向泉寺 小松如来 Kousen-ji Komatsu-nyorai Kosenji Temple

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 向泉寺(こうせんじ)は、宮城県仙台市にある古い寺で、その創建は元応三(1321)年といわれている。
 平清盛の子である小松内大臣・重盛の子孫が、平家滅亡の際に山伏に身をやつして現在寺がある地に逃れ、一族の守り本尊である阿弥陀如来像を安置。平家一族の菩提を弔うために開基した小松寺が、その始まりだといわれている。
 その後、名前を現在の向泉寺に改め、今に至っている。
 本尊である阿弥陀如来像は重盛が中国の育王山欣山寺より贈られ、守り本尊としていたものとされており、向泉寺に祀られてからは、重盛公にちなんで小松如来と名付けられ、親しまれている。
 この他にも、寺には韋駄天神(いだてんじん)像や重盛公含め十二枚の位牌、快慶(かいけい)作の地蔵尊などがあり、往時を偲ばせている。
 一時は日本を席巻した平家の栄枯盛衰が、この寺には凝縮されているようだ。
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