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2007/10/1


野田雨乞笠おどり Noda-amagoi-kasa-odori Amagoi Kasa-odori Dance in Noda

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 野田雨乞笠おどり(のだあまごいかさおどり)は、愛知県刈谷市の野田八幡宮で毎年八月下旬に開催される、雨乞いを今に伝える行事である。
 神前にお神酒とお灯明を供え、踊りを奉納する。
 雨乞い唄と采配が始まると、踊り手は太鼓を内に向かい合い、両手に桐の木で作った「つろろ」と呼ばれる短いバチを持って踊りだす。またホラ貝の音色に合わせて、踊り手が空を仰ぎ見る所作もある。
 踊り手は浴衣をたくし上げた姿で、赤いたすき、つばの広い一文字笠の姿をし、凛とした姿で舞う。
 正徳二(1712)年から三百年近くの間引き継がれており、昭和初期に一旦打ち切られたものの、現在は保存会の手で伝承を守っている。市指定無形民俗文化財に指定されている。
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2007/9/10


霧島神宮 Kirishima-jinguu 

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 霧島神宮は、鹿児島県霧島市霧島田口にある神社である。祭神は天饒石国饒石天津日高彦火瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)。国指定の重要文化財とされる。
 欽明天皇の御宇(540年)、高千穂峰と火常峰の間に社殿が造られたのが始まりとされる。
 火山の麓にあるため度々炎上し、天暦年間(938~956年)には高千穂河原に遷されるが、ここでも噴火の巻添えで炎上する。
 文明一六(1484)年、現在地に兼慶が神社を再建した。
 正徳五(1715)年、現在の社殿が完成する。
 修験僧による霧島山を中心とした、霧島六所権現信仰の中心的役割を果たしている。
 社殿はいずれも朱塗りの華麗なものであり、特に本殿は内部も豪華に装飾され、贅をこらしていて、西の日光とも言われる。
 霧島神宮は、神代からの長い伝統を誇る古社である。
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2007/9/4


弘前さくらまつり Hirosaki-sakura-matsuri Hirosaki Cherry Festival

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 弘前市(ひろさきし)にある弘前公園では、毎年四月下旬から五月上旬に「弘前さくらまつり」が開催される。二月の雪燈籠まつり、八月のねぷたまつり、一〇月の紅葉まつりと共に弘前四大祭りのひとつに数えられている。
 この桜は正徳五(1715)年、京都から取り寄せたカスミザクラ二五本などを城内に植えたのが始まりとされている。その後明治時代に植栽が数回行われた。
 公園内には津軽氏の居城となった弘前城があり、中心には東北唯一の現存する天守閣がある。明治二八(1895)年に弘前公園となり市民に開放され、現在では、ソメイヨシノをはじめ約五〇種類二千六百本の桜が咲き乱れ、日本を代表する花見の名所となった。
 濠に連なる桜は水面間際まで枝が伸び、水面に写る桜の姿は格別である。また、夜になると明かりが灯され、夜桜のなかに浮かび上がる天守閣は幻想的な姿を見せる。
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2007/8/22


成田山新勝寺 三重塔 Narita-san-shinshou-ji Sanjuu-no-tou 

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 真言宗智山派の大本山である成田山新勝寺(なりたさんしんしょうじ)は、天慶三(940)年に寛朝大僧正(かんちょうだいそうじょう)によって開山された。
 不動明王をご本尊とし、全国より年間千三百万人の参詣者で賑わう。お不動さまは、真言密教の根本仏である大日如来の化身である。江戸期から「成田のお不動様」とよばれ親しまれてきた。
 三重塔は高さ二五メートルあり、正徳二(1712)年に竣工したもので、大工棟梁は桜井瀬左衛門であった。屋根は銅板葺で、柱などの軸部材に種々の地紋彫りを施している。
 また、軒下の組物から斜め下方に突き出ている構造材の尾垂木(おだるき)の頭が、通常と違い龍に変身している。唐様といっても、軒高には垂木を使用する代わりに、雲海模様の極彩色彫刻を見せる装飾豊かな板軒なのである。幾重もの雲海を泳ぎ回る数多の龍神様の姿は圧巻である。
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2007/7/3


高照神社 Takateru-jinja 

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 津軽を統一した藩祖、津軽為信(つがるためのぶ)と四代藩主津軽信政(つがるのぶまさ)を祭っている神社である。
 信政が神道を極め、「高照霊社(たかてるれいしゃ)」の神号を得て、春日四社のほこらがあった高岡の地を自身の葬地と定めた。五代藩主である津軽信寿(つがるのぶひさ)によって正徳二(1712)年に建築し、明治一〇年には為信も合祀された。
 吉川神道の思想に基づき東西に一直線に配置されており、本殿、中門、随神門、拝殿、幣殿が重要文化財、青森県重宝に指定されており、また宝物殿には国重要文化財である友成の太刀や、青森県重宝である津軽信政着用具足等が収蔵されている。
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2007/5/2


花山鉄砲まつり Hanayamateppou-Matsuri 

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 花山鉄砲まつりは、宮城県栗原市にて行われる祭である。
 正徳二(1712)年、伊達藩の宿老・遠藤守信の奥方が病弱の幼君を憂え、蔵王権現御嶽神社に祈願した。その功が顕著に表れたので喜び、鉄砲組に礼砲を打たせて奥方、幼君と共に参拝したのが始まりとされる。
 御獄神社から発砲会場まで、鉄砲組を先頭に子供鉄砲組、稚児行列、囃子が中心街を練り歩き、発砲会場では12丁の火縄銃が轟音を轟かせる。
 見どころは、鉄砲組独特の歩行と日本で唯一伝承された火縄銃の古式技法である。
 その他、鉄砲組との撮影会や農産物などの即売会、子供たちが参加できる川魚つかみ取りコーナーなども開設される。
 花山鉄砲まつりは、華やかで豪壮なお祭である。
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2007/4/19


寶林寺 Hourin-ji Horinji Temple

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 寶林寺(宝林寺、ほうりんじ)は、静岡県浜松市細江町中川にある黄檗宗(おうばくしゅう)の禅寺である。本尊は、釈迦如来とされる。
 寛文4(1664)年、黄檗宗開祖隠元禅師と共に来朝した明国の僧・独湛禅師が、旗本の近藤登之助の尊崇を得て、近藤家の菩提寺として開創された寺院である。
 創建当時は黄檗禅の専門道場として栄え、七堂伽藍も整い、5万坪を超える敷地に20棟余りの諸堂が建ち並んでいた。
 しかし明治になると近藤家の庇護を失い、廃仏毀釈の波に飲込まれて多くの堂が倒壊した。
 寛文7(1667)年竣工の仏殿、正徳6(1716)年竣工の方丈は、黄檗宗伝来初期の中国明朝風様式を現代に伝える、大変貴重な建物として、国の重要文化財に指定されている。
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2007/3/16


柏原藩陣屋跡 Kaibara-han-jinya-ato Kaibara Jinya

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 陣屋とは、江戸時代、城を持たない小大名の屋敷のことをいう。柏原藩陣屋跡は、明治四(1872)年まで存続した柏原藩織田氏十代にわたる藩主の屋敷跡である。
 正徳四(1714)年に、第六代藩主織田信休(のぶひさ)が築城した。後に焼失の憂き目に合う。現在の陣屋は、文政九(1826)年、信憑(のぶより)により再建されたもの。
 造りは桃山時代風の書院造りで、桧皮葦唐破風の玄関と東南方向へ雁行式に続く大書院は当時のままの姿をとどめているという。長屋門は正徳四(1714)年の初めの建立時からのもの貴重な遺構で、尚徳門(しょうとくもん)と呼ばれる。
 柏原藩陣屋跡は、昭和四六年に国の史跡に指定されている。
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