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2008/2/22


浪華本染めゆかた Naniwa-honzome-yukata 

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 浪華本染めゆかた(なにわほんぞめゆかた)は、大阪を主生産地とする木綿の染物である。
 木綿の一大生産地として知られた泉州と河内がすぐ近くにあり、石津川と大和川の水質や流域の自然条件が木綿の晒作業に最適であることなど、発展に必要な土台が好条件で揃っていたことが、その誕生に大きく関わっている。
 加えて明治に入ってから、布地の上に伊勢型紙を置いて糊を付け、その上から染料を注いで染める、注染(そそぎぞめ)技法が大阪で開発されたことによって、この優雅で涼しげな浴衣が誕生することとなった。
 染物としても非常に質の高いものであり、表裏両面に色を染めることやなかなか色落ちしないこと、めくれても裏にも模様があることが特徴で、この染物が長く愛される元にもなっている。
 昭和六十(一九八五)年には、浴衣としては全国で唯一、大阪府より伝統工芸品の指定を受け、今も活発に夏の夜を彩る美しい浴衣を生み出し続けている。
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2007/10/1


野田雨乞笠おどり Noda-amagoi-kasa-odori Amagoi Kasa-odori Dance in Noda

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 野田雨乞笠おどり(のだあまごいかさおどり)は、愛知県刈谷市の野田八幡宮で毎年八月下旬に開催される、雨乞いを今に伝える行事である。
 神前にお神酒とお灯明を供え、踊りを奉納する。
 雨乞い唄と采配が始まると、踊り手は太鼓を内に向かい合い、両手に桐の木で作った「つろろ」と呼ばれる短いバチを持って踊りだす。またホラ貝の音色に合わせて、踊り手が空を仰ぎ見る所作もある。
 踊り手は浴衣をたくし上げた姿で、赤いたすき、つばの広い一文字笠の姿をし、凛とした姿で舞う。
 正徳二(1712)年から三百年近くの間引き継がれており、昭和初期に一旦打ち切られたものの、現在は保存会の手で伝承を守っている。市指定無形民俗文化財に指定されている。
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2007/7/23


じゃんがら念仏踊り Jangara-nenbutsu-odori Jangara Nenbutsu-odori (Buddhist invocation dance)

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 じゃんがら念仏踊り(じゃんがらねんぶつおどり)は、福島県いわき市に伝わる、8月の旧盆時期に行われる伝統芸能である。市の無形民俗文化財に指定されている。
 江戸時代、いわき四倉出身の名僧・祐天上人(1637~1718)が、信仰心の薄いこの地方の庶民に誰でもわかりやすく念仏を唱えさせようと「南無阿弥陀仏」の言葉を歌の節にあわせて唱えさせたのが始まりといわれている。
 この1年間に亡くなった新盆の家庭を廻り、鐘や太鼓でにぎやかに仏様を供養し家族を慰めるもので、浴衣姿にたすき掛けの若者らが、新盆の家々を回り、独特のリズムと踊りで霊を慰める。
 市内には約100の団体があり、地域に根ざして活動している。基本的な動きは共通だが、細部についてはそれぞれに違いがある。
 じゃんがら念仏踊りは、いわきの風物詩といえる伝統芸能である。
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2007/7/9


わたらせサマーフェスタ 足利花火大会 Watarase-sama-fesuta Ashikaga-hanabi-taikai 

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 利根川水系の渡良瀬川に架かる渡良瀬橋は、明治の末頃に木造橋から鉄橋に変わり、永らく人々の生活に役立ってきた。この橋から望む夕陽の美しさも有名である。
 足利花火大会(あしかがはなびたいかい)は、明治三六(1903)年に、この渡良瀬橋の完成を祝い花火が打ち上げられたのが始まりで、関東有数の規模を誇る伝統ある花火大会である。
 「わたらせサマーフェスタ」は、平成六(1994)年に足利花火大会の80回記念イベントとしてスタートした。
 ジャズなどのコンサートをはじめ、浴衣コンテストなど趣向を凝らした多彩なイベントが行われ、8月の第1土曜日にクライマックスの最終日を迎える。
 渡良瀬川の田中橋下流から大玉や仕掛け花火、スターマインなど約2万発の花火が2時間にわたり打ち上げられ夜空に様々な色が飛び交う。フィナーレは幅600mもある、2段掛けの豪華な大ナイヤガラが川を彩る。
 例年、約30万人以上の人出で賑わう事から「30万人の夕涼み」とも呼ばれている。
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2007/6/11


丹前 Tanzen Tanzen

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 丹前(たんぜん)とは防寒用の着物のことで、厚手のウール生地のものや、綿入りのものがある。
 特に、綿入りのもののことを関東では「どてら」とも言うが、関西では丹前と言う。
 浴衣の上から着ることが多く、細帯で締め、柄は縦縞のものが多く丹前縞と呼ばれる。
 江戸初期に、西神田雉子通りの堀丹後守屋敷前にあった、女性が昼間は髪すきや垢すり、夜は売春宿として営業していた湯女風呂「丹前風呂」で人気の湯女、勝山が変わった格好の着物が好きだった。
 そのため、彼女の目を引こうと男たちが綿の入った広袖に、広幅の帯を締めて風流をきどっていたのが由来とされている。
 後に武家につとめる使用人の間で流行し、その後一般にもひろがった。
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2007/5/11


因幡の傘踊り Inabanokasaodori 

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 鳥取県を代表する民俗芸能に、「因幡の傘踊り」がある。230年以上も歴史のある由緒ある祭りだ。
 江戸時代の終わり、因幡地方はひどい日照りが続き、作物は今にも枯れそうだった。これを見かねた吾郎作という老人が編み笠を持って三日三晩踊り続けた。これが天に届き、大雨が降り、村は飢饉を逃れることができたとか。しかし、老人は過労がたたって帰らぬ人となってしまった。これを悲しんだ村人たちが吾郎作翁の霊を慰めようと、彼の踊りを真似たのが発祥とされる。
 因幡の傘踊りは、百個もの小鈴を付け、赤、白、青、金、銀と美しく彩った傘を使い、揃いの浴衣を身にまとった踊り手たちが勇壮に舞うもの。唄に合わせて傘を回転させ、テンポよく振り回す激しい踊りだ。
 今年も、8月の祭りの夜には、約4000人もの踊り子たちが凛々しく舞う姿が見られることだろう。
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2007/5/8


江尾十七夜 Ebi-Juushichiya Ebi Jushichiya Festival

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 江尾十七夜(えびじゅうしちや)は、鳥取県日野郡江府町にて続けられる伝統的な祭りである。
 約五百年前、江美城主の蜂塚氏が盆明けの十七日に城内を開放して民衆を招き、無礼講で踊りと相撲に興じたのが始まりとされる。
 この十七夜の踊りは、蜂塚氏が毛利氏に滅ぼされた後も、城下の住民たちが蜂塚氏在城の頃を慕い悲しみ、盆明けの十七日に城跡の草むらに集い、念仏の心を抱いて踊りを伝えたといわれている。
 現在、毎年8月17日に開かれており、祭りは、まず地元自治会や職場グループ、子どもたちの踊りや太鼓、相撲で盛り上がる。
 そろいの浴衣に編みがさ姿の踊り手たちが「こだいぢ踊り」を披露すると、日野川対岸の久連山に「十七夜」の火文字が現れ、祭りは最高潮に達する。
 江尾十七夜は、華やかで勇壮な長い歴史を誇る祭りである。
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2007/4/6


おはら祭り Ohara-Matsuri Ohara-Matsuri Festival

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 おはら祭りは、鹿児島県鹿児島市で毎年催される市民の祭り。
 昭和二四(1949)年、鹿児島市制施行60周年を記念して、戦後の復興を目指す市民の中で始められた。
 おはら祭りの名は、鹿児島の代表的民謡「おはら節」に由来し、浴衣姿に花笠をかぶった約2万人の踊り子たちが「おはら節」や「はんや節」のリズムに合わせて市内を踊り歩く。沿道には多くの見物客が訪れ、今では南九州最大のお祭りとなっている。
 スタート当初はおはら節の踊りのほか、自動車仮装パレードが主体だったが、1961年、現在のような踊りが中心となる祭りとなって、今日に至る。
 おはら祭りは、参加する者も訪れる者も共に楽しめる、祭りが本来もつ、熱気あふれる素晴らしい祭りである。
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