NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/2/7


五条大橋 Gojou-oohashi 

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 五条大橋(ごじょうおおはし)とは、京都府の京都市内の繁華街を、北から南へ流れる鴨川にかかる橋のことをいう。国道九号線と国道一号線を結び、京都でも有数の基幹道路に架かる橋として知られている。
 この橋は、もともと清水寺(きよみずでら)参詣のためにつくられた橋で、平安時代から中世まで清水寺が管理していた。
 五条大橋のたもとには、牛若丸と弁慶の像が建っている。この橋は牛若丸と弁慶が初めて出会った所とされているが、平安京の時代の五条大橋は現在の位置ではなく、今の五条大橋の北にある松原橋であったといわれている。豊臣秀吉が天正一七(1589)年、方広寺大仏殿造営の際に現在の五条大橋の位置に架け替えたのである。
 五条大橋での牛若丸と弁慶の戦いはあまりにも有名で、降参した弁慶は牛若丸、のちの源義経の家来になり、最後まで義経に忠節を尽くすのである。
 現在の鉄橋を完成させたのは、当時の京都市長であった高山義三(たかやまぎぞう)で、昭和三四(1959)年のことであった。
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2007/10/31


神泉苑 Shinsen-en 

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 延暦一三(794)年、桓武天皇によって平安京が造営された際、大内裏の南にあった湿地帯を利用してつくられたのが神泉苑(しんせんえん)のはじまりである。常に清らかな神泉が湧き出ていることからその名が付いたといわれる。
 神泉苑は霊場としても知られており、天長元(824)年、干ばつのため淳和天皇の勅命によって弘法大師が雨乞いの祈祷をしたといわれる。この時天竺、すなわちインドから勧請したのが祈雨の神様である善女龍王(ぜんにょりゅうおう)で、それ以降善女龍王は神泉苑に住むようになり、善女龍王を祀るお堂が建てられた。
 また貞観五(863)年に疫病が流行り、神泉苑にて多くの御霊を鎮めるため御霊会が行われた。全国の国の数である六六本の鉾を立て、厄払いをしたのが、のちの京都三大祭のひとつである祇園祭のはじまりであるとされる。
 法成就池(ほうじょうじゅいけ)に架かる朱塗りの橋は法成橋という。願い事を一つだけ心に念じながら橋を渡り、善女龍王にお参りすると願望が叶うといわれている。
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2007/6/18


能面 大童子 Noumen Oodouji Noh Mask Dai-doji

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 能で使われる面の一つで、霊力をもった男等に使われる。
 年かさの相貌で、見た目から険しい眉や眉間の皺、しっかりと開いた睨みつける目から神秘性や力強さを表現している。
 通常の童子の面と違い丸みがあることで、表情全体が強いのが特徴。
 個性が強いためか、一般の演目ではなかなか使われない。
 能の曲である大江山では、八尺もある大男で、人血、人肉を喰らい、源頼光に退治されるといった役である酒呑童子が鬼になる前の姿等、特別な役として使われる。
 この大江山での酒呑童子は、平安京での一部の貴族たちの繁栄に対し、暗い生活に耐えて生き抜いてきた人々の象徴として描かれている。
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2007/4/25


平安神宮 Heian-jinguu 

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 「平安神宮(へいあんじんぐう)」は、京都府京都市左京区にある神社。
 1895年、平安建都1100年を記念して、平安京天皇桓武天皇を祀る神社として創建された。また、1940年に孝明天皇が祭神に加わった。
 敷地面積は約20000坪と広い。間口も広く、鮮やかな朱色の「大鳥居」、瓦葺の門「神門」がある。境内には「神苑」と呼ばれる美しい日本庭園があり、カワセミ、大鷹などの珍しい鳥類や、ミノガメ、本州ではここにしかいないといわれる「南石亀」が生息している。
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2007/3/9


平城宮跡 朱雀門(世界遺産) Heijyou-kyuu-ato Suzaku-mon Heijokyu Palace Site, Suzaku-mon Gate (World Heritage Site)

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 平城宮跡・朱雀門は、奈良県奈良市にある世界遺産である。
 平城宮は710年に遷都した奈良の都・平城京の大内裏である。平城京の北端に置かれ、120ヘクタールの敷地を誇っていた。
 平城宮の四方には高さ5メートルの築地塀が巡り、それぞれに3つずつ、合わせて12の門が存在していた。
 朱雀門は、平城宮の入り口である南の正面中央に建立された、高さ24メートルに及ぶ巨大な門である。
 平城宮は、平安京遷都後に放棄されて農地となっていたが、その後大がかりな発掘調査が始められ、平城宮跡が世界に比類のない地下遺構、歴史の宝庫であることが明らかになってきた。
 1998年、朱雀門と東院庭園が復原された。
 朱雀門は、朱の色も鮮やかに、人々を引きつけてやまない、幻想的で壮大な門である。
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2007/2/27


大和神社 Ooyamato-jinja Oyamato Shrine

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 大和神社(おおやまとじんじゃ)は奈良県天理市に位置する神社。旧称を朝和之宮。
 崇神天皇の御世に、宮中に天照大神と共に祀られていた大国魂大神の神威を恐れ、皇女の渟名城入姫(ぬなきいりひめ)に市磯邑に遷して祀らせたのが始まりとする。後に市磯長尾市(いちしながおおいち)を祭主として創建された。
 平安初期には大いに栄え、伊勢神宮に次ぐ社領を得ていたが、平安京への遷都などで衰微した。
 同名の縁から戦艦大和に分霊をしており、境内に慰霊の碑が建つ。
 例祭である4月の「ちゃんちゃん祭」は古式の装束に身を包んだ行列が、神輿と共に鉦鼓を鳴らして練り歩くもので、春を告げる祭りとして近隣の人に親しまれている。
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2007/2/2


日吉大社 Hiyoshitaisha Hiyoshi Taisha Shrine

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 日吉大社(山王権現)は、滋賀県大津市坂本にある全国の日吉・日枝・山王神社の総本宮である。主祭神は大物主神、大山咋神。
 日本全国に約3800の分社・末社があり、神仏習合期には山王と称され、今日でも山王さんの愛称で親しまれている。
 千年の都・京都平安京の表鬼門を守る方除・厄除の神社として大変有名で、猿を神の使いとして崇拝することでも知られている。
 日吉大神の使いである神猿は「マサル」と呼ばれ、「魔去る」「勝る」に通じる縁起の良いものとして信仰されている。
 国宝の本殿をはじめ、大半の建造物が文化財に指定されている。
 西本宮と東本宮を中心に、40万平方mの広大な境内に生える3000本の紅葉は圧巻である。
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