NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/10/23


帆布竹刀袋 Hanpu-shinai-fukuro 

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 この帆布竹刀袋は、国産の8号帆布と天然皮革で創ったフリーサイズの2本入竹刀袋である。
 帆布は厚手の綿織物で、帆船の帆やテントなど、様々な用途で使用されている。張りがあり丈夫で、天然素材のため、風を良く通し中の物が蒸れない。
 使っているうちに柔らかくなり、馴染むと味が出てくるのが特徴で、時間が経つに連れて新品の時とは違った風合いになる。
 32や34など短い竹刀の場合、上部を折り曲げて固定する、小学生から大人まで使える竹刀袋で、素早く開閉できるマジックテープ式は便利であり、ファスナーをスッと開ければ誰でもスムーズに竹刀を取り出せる。
 鍔・鍔止めは上部ポケットに収納されており、背負い紐は長さを無段階調節できる。木刀の持ち運びにも便利な革ベルトと足元ポケット付。
 帆布竹刀袋は、丈夫で使うほどに味の出る、便利な竹刀袋である。
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2008/10/9


龍光寺 Ryuukou-Ji 

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 龍光寺(りゅうこうじ)は、愛媛県宇和島市三間町戸雁にある真言宗御室派の寺である。本尊は、十一面観世音菩薩。四国八十八ヵ所霊場第41番札所となっている。山号を稲荷山護国院と言い「三間のおいなりさん」と呼ばれて親しまれてきた。
 大同二(807)年、弘法大師空海が三間平野で出会った稲を背負った白髪の老人が、五穀豊穣を司る神の化身と考え、稲荷大明神像を刻んで本尊としたのが開基である。明治初期に本堂を稲荷神社として、一段下に寺の本堂が建てられ、寺の本尊は十一面観世音菩薩となった。今でも、境内には本堂と稲荷神社が併存し、神仏混淆時代の名残りを色濃く残している。
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2008/9/10


大太刀 Ootachi 

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 大太刀(おおたち)とは、3尺(90センチ)~5尺(150センチ)の刃をもつ太刀のことをいうが、この長さの定義は時代により異なり、また、剣術の流派によっても色々な解釈がされており、一定ではない。
 鎌倉時代に入り、日本は武家が支配する社会へと変わっていった。武士の世界において、武人としての誇りは剛気と腕力であった。そのため、武具として長大な大刀が戦場で多く見られるようになっていったのである。その時代の日本人の平均身長が150~165センチであるから、いかに大きな刀であったかが推測できる。
 野太刀(のだち)や馬の足を切り武将を馬から落とすための長刀である斬馬刀(ざんばとう)も大太刀と同じものである。
 大きさからして背中に背負われるものであったが、中には腰に差す剛気な武将もいたという。
 大太刀は実戦で使用される他には、神社に奉納される刀でもあった。
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2008/9/4


野口鹿踊 Noguchi-no-shishi-odori 

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 野口鹿踊(のぐちのししおどり)は、宮城県仙台市太白区に伝わる、五穀豊穣、悪魔退散、家内安全を祈願する踊りだ。宮城県の民俗文化財に指定されている。
 もともとは盆の季節に先祖供養の踊りで、五色御幣(ごしきごへい)を配りながら集落の各戸を練り歩いていたという。
 他の地域の鹿踊りが白く長い角を付けた鹿に扮しているのに比べ、この野口鹿踊りは異形の鹿頭に五色御幣を背負い、太鼓を身につけて踊る。この鹿役の周りを道化面を付けた「ささらすり」が踊り、子供たちが鐘をならす。陰陽五行の古い信仰に基づいた姿形が、踊庭や装束などに残っている。
 
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2008/9/1


春日町 おまんと Kasuga-chou Omanto Omanto Festival at Kasuga-cho

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 春日町のおまんとは、愛知県高浜市の春日神社と八剣神社にて、毎年10月の第1土曜日と日曜日に行われる祭りである。
 1800年代の初め頃、雨乞いのために春日神社と八剣社に馬を奉納したのが起源という説があるが、定かではない。
 はっぴに地下足袋姿の若者が、木材で組んだ1周100mほどの馬場に放たれ、鈴飾りや造花を背負い疾走する馬めがけて、口綱を取って走り回る。西三河地域では最も盛大な祭りとも言われている。
 春日神の境内には、おまんとのためだけに使われる円形広場があり、当日は7町内から集められた40~50頭の馬が、馬場の中に入れられる。参加者が人馬一体となって駆け回る勇壮な風景が繰り広げられる。
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2008/7/30


鵜祭 U-matsuri 

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 鵜祭(うまつり)は、石川県羽咋市(はくいし)にある気多大社(けたたいしゃ)にて一二月一六日に行われる神事である。
 厳冬の深夜に鵜をもってして吉凶を占うという珍しい祭りで、平成一二(2000)年二月に国重要無形民俗文化材の指定を受けた。
 毎年一二月一〇日頃、七尾市鵜浦町の鹿渡島で鵜を一羽だけ生け捕りにする。この瞬間から鵜は神として崇められ「鵜様」と呼ばれる。葦で編まれた籠に丁重に納められた鵜様は、三人の鵜捕部(うとりべ)に交代で背負われ、気多大社まで約四〇キロメートルの距離を運ばれる。一行は、路上に出て賽銭をおとし手を合わせる人々に見送られながら、一歩一歩を踏みしめつつ、ゆっくりと大社を目指す。実に三日間の旅路である。
 一二月一六日の午前三時、いよいよ神社で神事が営まれる。二本のロウソクの灯りだけで神職と鵜捕部の問答がおこなわれた後、鵜を神前に向けて放つ。この鵜の跳躍によって翌年の吉凶が占われるという。大役を終えた選ばれし鵜は、その後一ノ宮海岸へ運ばれて、闇の空へと放たれる。 
 
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2008/6/10


花取り踊り(愛媛県城川町) Hanatori-odori (Ehime-ken Shirokawa-cho) Hanatori Odori in Shirokawa in Ehime Prefecture

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 花取り踊り(はなとりおどり)は無病息災を祈願して舞う、勇壮な「太刀踊り」の一種で、各地域毎に少しずつ形を変え、その土地特有の姿となって継承されている。
 愛媛県西予市城川町では毎年八月二一日、八幡神社のお大師様の縁日に奉納されている。
 神社の境内に鉦(かね)と太鼓が並べられむしろが敷かれる。大世話と呼ばれる人が拍子を取り、お囃子が始まると、木の葉と色とりどりの短冊を背負った中学・高校生たちの踊り子が二列に並ぶ。掛け声とともに大刀や鎌などの刃物を振りかざすと「疫病退散」と勇ましく踊る。この踊りは六庭といわれ、六パターンの舞があるのだという。
 市指定無形文化財に指定されている、かなり勇壮で見ごたえがある踊りだ。
 
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2008/5/26


正宝院 Shoubou-in 

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 正宝院(しょうぼういん)は、東京都台東区竜泉にある修験系天台宗の単立寺院である。本尊は不動明王。下谷七福神の恵比寿も祀っており、関東三十六不動霊場第24番札所とされる。
 享禄三(1530)年、修験者として修行後に諸国を巡歴していた正山上人は、この地に泊まった時に不動明王の加護を象徴する龍の夢を見た。上人は村人達の息災延命と、自らの旅の安全を祈って不動明王を刻み、この地に奉安したのがはじまりという。
 創建後まもなく、寺の住職が修行のため、本尊の不動尊を背負って大峯山まで運んだ。その間江戸の寺にて、不動尊の分身を携えた人々が集まり一心に祈ったところ、不動尊は一夜にして大峯山から江戸に飛び帰ったという。以来、飛不動尊と呼ばれるようになった。
 正宝院は、近年航空機の発達と飛不動が結びつき、航空安全を奉じられるようにもなった寺である。
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