NIPPON Kichi - 日本吉

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2007/8/16


名振湾 Naburi-wan 

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 宮城県北部。東北一の大河と謳われる北上川の河口であり、太平洋へと流れ込む入り口となる追波湾(おっぱわん)から少し南に下った場所にあるのが、名振湾(なぶりわん)である。
 昔から周辺は魚介類の豊富な天然の良港であると同時に、沖に浮かぶ八景島などを始めとした景勝地としても知られている。
 その八景島は全島が原始林で覆われており、ユズリハやモチノキ、タブノキ、トベラなどの常緑樹が、落葉樹と交錯して育成しており、暖地性常緑樹群落の北限として国定天然記念物に指定されている。
 湾を含む周辺は牡鹿半島から連なるリアス式海岸の一角であり、湾周辺にも奇岩などが多く見られる。
 むき出しの大きな岩の頂上部だけにいくばくか生えている常緑樹はまるで自然が描き出した水墨画のような佇まいを覗かせてくれる。
 その後ろにはどこまでも広がる太平洋が控え、ポツリと浮かぶ八景島と、その後ろから立ち昇る朝日など、自然の景観美というものを思う存分、堪能することが出来る。
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2007/1/30


大入島 Ohnyu-jima Onyu Island

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 大分県、豊後水道に面した佐伯湾内に浮かぶ島。面積5・9平方キロ、外周17キロ。
 神武天皇が東征の折に立ち寄り、折れ弓を地面に立てると清水が湧き出したという、今でも真水が湧いている「神の井」がある。
 主産業として漁業が盛んであり、ちりめん、いりこは全国的にも有名。新鮮なまま加工した天日干しや燻製はみやげ物として人気が高い。
 観光にも力を入れており、海水浴場や釣り場の他、オーストラリアの姉妹都市から送られた「カンガルー公園」などがある。
 毎年1月に行なわれる「大入島トンド火まつり」は神武天皇の船を送るために焚いた火明かりが縁起とされる。無病息災を願い、十数メートルの巨大な松明が燃え盛る姿は壮観。
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2007/1/29


暘谷城址 Youkoku-joushi The Remains of Yokoku Castle

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 慶長七(1602)年、日出藩初代藩主、木下延俊が細川忠興の援助を受け築城した暘谷城(ようこくじょう)の城址。
 暘谷城は元々は日出城(ひじじょう)、青柳城、浮津城とも言われたが、三代藩主木下俊長が中国古書「淮南子」の「日は暘谷より出でて咸地に浴す」より引用して暘谷城と名前を変えた。
 現在、城跡は日出小学校として使用されているが、鬼門櫓、御裏門などの一部は移築され現存している。
 周辺は城下公園として整備され、別府湾が一望できる眺望として親しまれている。
 城址下の海岸、城下海岸を名前の由来に持つ有名な「城下かれい」は真水の湧くこの一帯を生息地としている。
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2007/1/26


由布川渓谷 Yufugawa-keikoku Yufu River Valley

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 由布川渓谷は、大分県別府市東山〜由布市挾間町付近にある景勝地である。
 県道601号線沿いの由布川にある渓谷で、別府市と由布市にまたがり高さ60mの断崖が12kmも続いている。
 岩肌をすべる40数条の滝と大小百余りの深淵などの自然が織りなす神秘的な渓谷美で、「東洋のチロル」と呼ばれている。
 この渓谷は由布鶴見連山に源を発する由布川の水が、永い年月をかけて水成岩を侵食して造ったもので、岩肌はやさしい曲線を描いているのが特徴的である。
 毎年7月第2日曜日には、別府市と挾間町の共同で由布川渓谷祭が開催されている。この祭りは、渓谷での安全祈願をこめておこなうもので、神楽や宝さがし等の催しがあり多くの見学者が訪れる。
 由布川渓谷は、複雑な崖と滝を持つ素晴らしい景観の地である。
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2007/1/25


志賀島 Sika-no-sima The Island of Shika-no-Shima

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 志賀島は、福岡県福岡市東区にある島で、博多湾の北部に位置し、砂州により本土と陸続きになった陸繋島である。
 志賀島は、周囲約11km、全戸数約790戸、人口約3000人余り。このような形態の島は、全国的にも珍しい。
 天明四(1784)年、2人の農民がこの島の田んぼで偶然「漢倭奴国王」の金印を発見した。
 中国の後漢書に、57年、光武帝が奴国の使者に金印を渡したと書いてあり、これがその金印だと言われている。歴史的にも貴重な品で、国宝である。
 この金印は日本の歴史の始まりを示す品であり、今は福岡市博物館に展示されている。金印がなぜこの志賀島に埋没していたかは今でもよく解っていない。
 志賀島は、古代日本の大陸・半島への海上交易の出発点であり、古から続く歴史的舞台である。
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2007/1/23


英虞湾 Agowan Ago Bay

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 英虞湾(あごわん)は、三重県志摩半島南部の湾である。
 志摩半島で一番大きな入海で、美しいリアス式海岸の特徴をもち、賢島をはじめ無数に浮かぶ大小さまざまの島影が印象深い。
 真珠の養殖で有名であり、昭和初期には真珠湾と呼ばれていた。英虞湾は世界で最初に真円真珠を発明した海であり、「英虞湾は真珠の故郷」とも言われている。
 「あご」と言う呼び方は天武天皇の時代に遡る。古くから多くの人が暮らしており、石器時代の石器に使われた石は遠く信州から運ばれてきた物で、この時代から遠い地方との交流があったことが伺える。
 英虞湾は、日本の歴史の始まりから登場する由緒ある海であり、真珠の筏が浮かぶ光景は、この地方独特の風物詩として訪れる者の目を楽しませてくれる。
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