NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/8/13


桜(サクラ) Sakura 

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 言わずとしれた日本の春の象徴、桜。日本で最も有名な花である。
 「サクラ」の名称の由来は、一般的に「咲く」に複数を意味する「ら」を加えたものとされる。また他説として、春に里にやってくる稲(サ)の神が憑依する座(クラ)だからとされるとも考えられている。
 風流事を称して「花鳥風月」というが、日本の古典において単に「花」と言えば桜のことを指す。桜は、俳句の世界では古くから春の季語として用いられ、江戸時代の俳人・松尾芭蕉は次の句を詠んでいる。
「さまざまの事おもひ出す桜哉」
 開花時期には、大勢の花見客が桜の名所を訪れる。短い開花だからこそ、散る花の艶やかな美しさがきわだつ桜。古来より愛されてきた、日本人の心の原風景である。
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2007/7/26


多聞山 Tamon-zan 

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 多聞山(たもんざん)は、宮城県の塩竈湾に突き出した七ヶ浜町代ヶ崎の断崖に位置する、標高わずか56mの小山である。
 しかし、そこは大高森や松島町の富山、扇谷と並んで松島四大観と呼ばれる景勝地であり、日本三景の一つ、松島の絶景を一望できる場所として知られている。
 その頂には毘沙門堂があり、多聞天との別名を持つ毘沙門天像が本尊として祀られ、多聞山の名前の由来となっている。
 松島から見て南東に位置する頂上からは馬放島(まはなしじま)や地蔵島など、松島湾に浮かぶ大小260余の島々の景勝を遠くまで見渡せ、その雄大な眺めは時を忘れるほどの魅力を持って、見るものに迫ってくる。
 多聞山と海を挟んですぐ手前には地蔵島にある灯台が見え、島々の間を抜けるように行き交う船舶の往来も、景勝にアクセントをつけてくれる。
 この地を愛した松尾芭蕉も同じように、島々の間を抜ける船の航跡を見て、思索を巡らせたのかもしれない。
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2007/7/10


三段の滝(恵庭市) Sandan-no-taki(Enisa-shi) Three-Storied Waterfall (Eniwa)

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 三段の滝は、北海道恵庭市にあるラルマナイ自然公園にある滝だ。同公園内にある3つの滝のうち、最下流に位置する。
 島松山付近からの沢にかかり、ラルマナイ川の絶壁から20mの落差を一気に落ちていく。この絶壁が3つの段になっており、滝の名前の由来ともなっている。
 20mの高さから3つの段をリズミカルに流れ落ちてくる飛瀑は、あまり大きくはないものの水量も豊富で迫力充分だ。
 周りがそもそも渓谷なため、流れ落ちる飛沫が発する3つの轟音はさらに増幅され、その迫力をよりいっそう盛り上げてくれる。
 滝近くの橋から見れば、滝の全景は見れるものの、やはりそのパノラマを堪能するならば、一番下の河川敷まで下りていくのが良い。
 下まで来ると、さすがに一段目が隠れてしまって見えなくなるが、段を超えて迫ってくるその瀑容は、爽快そのものだ。
 秋には周囲に群生するカエデなどの木々が美しく色付き、豪快さと優雅さを併せ持った荘厳な景色を堪能できる。
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2007/7/9


オムサロ台地 竪穴群 Omusaro-daiti Tateana-gun Pit Dwellings on the Omusaro Plateau

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 オムサロ台地竪穴群(おむさろだいちたてあなぐん)は、北海道紋別市の中心から約7km北西の海岸近くにある小高い丘にある遺跡。
 遺跡は、渚滑川と興部町のオムサロ沼の間の丘の上に約1kmに渡り、208個余りの先住民の竪穴住居跡が続く。
 今から約1万年前以上の縄文早期、続縄文、それにオホーツク文化と呼ばれる北海道特有の大陸系民族の文化、擦文(さつもん)、アイヌと、1万年もの間途切れることなく、北海道の住民の生活の跡を残している。
 遺跡の中でも見晴らしのよい台地には遺跡公園が作られ、1千年前の擦文時代の様子や、竪穴住居、高床倉が復元され、アイヌの人々が好んで食用したとされるオオウバユリやエゾエンゴサク、ギョウジャニンニクなどの植物が植えられている。
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2007/5/31


富士山 Fujisan Mt Fuji

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 静岡県と山梨県にまたがる山。
標高3,776メートルは言わずと知れた日本で一番高い山である。
 始まりは数十万年前といわれる。
現在でも活火山である。最後に大きな噴火をしたのは、江戸時代の1707年12月16日で、江戸の町まで届く大量の火山灰が発生したという記録が残されている。
 古代の文献には不死山、不二山と書かれている。竹取物語では不老不死の薬を焼いた山ということで「不死山」となったとされている。「肩をならべるような同じ山はない」という理由から「不二」になったという言い伝えもある。鎌倉時代に以降には「富士」と呼ばれるようになった。「士が富む」という武士が好む表記の影響である。
 世界で一番登山者が多いといわれる富士山、 この山にまつわる話をすれば本当にきりがない。あらためてこの山の偉大さを感じてしまう。
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2007/2/19


三春城 Miharu-jyo Miharu Castle

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 三春城は、福島県田村郡三春町にあった城である。
 三春城は、鎌倉〜南北朝時代にかけて、田村氏の田村義顕が大志多山に築いたと言われる。
 やがて、田村氏は強豪に臣従するようになったが、天正18(1590)年の奥羽仕置により、伊達政宗に従い仙台へ去った。
 その後は蒲生氏郷、上杉景勝、加藤嘉明などの大名の所領となったり、天領になったりした。
 正保2(1645)年、秋田俊季が5万5千石で入封し、以後明治維新まで秋田氏が続いた。
 明治4(1871)年、廃藩置県により廃城となる。
 現在は公園となっており、桜の名所としても知られている。城跡近くには公共機関が集まり、三春町の中枢地域をなしている。
 三春城は、歴史に翻弄された小勢力の悲哀を感じさせる城である。
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2007/2/13


つばくろ谷 Tsubakuro-dani Tsubakuro Valley

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 つばくろ谷の、深く切れ込んだ不動沢に向かって、木々が迫るように茂る風景は圧巻である。
 吾妻八景のひとつに数えらる磐梯吾妻スカイラインの紅葉の名所。かつてイワツバメが谷底を飛び交っていたことからこの名前が付けられた。
 谷底から約80メートルの高さに架けられた不動沢橋は2002年に架け替えられ、かつてより谷底の見通しがよくなり、川をはさんで渓谷になっていて、幅がせまいので隙間のようだ。
 谷全体が紅葉シーズンを迎えたときの美しさは格別で、色とりどりに染まる谷の木々と不動沢の白い流れのコントラストは見事である。
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2007/2/5


中山仙境 無明橋 Nakayama-senkyo Mumyo-hashi Nakayama-Senkyo Mumyo Bridge

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 国東半島にあり、夷耶馬(えびすやば)と呼ばれる岩稜の険しい山域の一角にある中山仙境は、標高317メートルで、登山口からの高低差も200メートル程。無明橋まで30分、高城まで1時間、周回で2時間程の登山コースとして知られている。
 途中にある無明橋は橋の中央部で2枚の石の板が合わさっている石橋。岩と岩の間に掛かった石橋は幅40センチメートル、長さ3メートル程の橋。一瞬、不安に駆られるが、里の方を見下ろすと足を止めてしまうほどの景観が広がっている。山頂の高城(夷耶馬)からは、360度の大展望が広がる。
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