NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/3/17


【気】 Ki Energy, Spirit, Atmosphere

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 象形文字の气が初文。また、气の初文は乞、雲気の流れる形です。気は空気、天気、湯気、気息などに現れるエネルギーの根本のユニットと考えられます。
 白川先生が最後に執筆した漢字字書『常用字解』に、はじめて「気を養う」という、「気」と「お米」との役割関係が説かれています。ちなみに、韓国のジェーコブ・チャング-ウイ・キム氏の英語の漢字説にもそのように説かれています。
 生き物にエネルギーを与えているのは食べ物であり、食べないと生きていけず、気力がわいてきません。昔から東アジアの基本食はご飯とされており、お米はエネルギーの元でもあります。「気」の上の部分は炊いたお米・ご飯から上がる「湯気」ではないかという、象形的な文字としての位置づけができると考えられます。
 「気」は日本語では人間の気分・気持ちを表現する多くの言い方に使われるようになり、東アジアでは太極拳や合気道などの気息・呼吸法が大事とされる武道の文化の基本にもなりました。
 古代ギリシャ哲学には、とても似ている概念の「プノイマ(空気)」があります。汎神論を唱え、自然の法則に従うライフスタイルをすすめていた古典哲学派のひとつである「ストア派」は、これを「宇宙にどこにもあるロゴス(世界理性)を担っている、一番細かい空気みたいな物資」として考えています。そういう意味では昔から「気」は西東共通の考え方でした。
 
■ 気・篆文(てんぶん)
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2007/9/26


役小角 En-no-ozunu En no Ozunu

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 役小角(えんのおづぬ)は、修験道の開祖。山岳信仰による呪力の獲得、自然との一体化による即身成仏を説いた。日本的霊性の源流として、只ならぬ影響力を持つ人物である。
 舒明天皇六(634)年、大和国葛城上郡茅原(現在の奈良県御所市)、葛木山のふもとで誕生。独学で仏像を作り、梵字を書き始める特異な少年だった小角は、一七歳で家を捨て、葛木山での本格的な霊的修行に入る。
 仙人と遊び、仏や神を叱り飛ばし、鬼を従者として使う強者となっていった。神通力が朝廷に知られ、恐れられ、天皇の命令で伊豆大島へ流刑されたりした。
 晩年は、諸国を巡り、数々の霊山高峰を訪れた。現在、日本で霊山とされるほとんどの山が役小角の開山という伝説がある。六八歳の時、天井ヶ岳にて、多くの弟子達に見守られるなか、微笑み続けながら息を引き取った。
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2007/5/31


明道の滝 Myoudounotaki Myodo Waterfall

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 山形県米沢市にある最上川の源流とされる滝。正確に言うと、最上川の上流は「松川」と呼び、その源流が「明道の滝」となる。
 西吾妻山のハイキングコースにある展望台から、迫力ある姿が見られる。断崖絶壁にあり、近くまでは行けない。
 このあたりは米沢の山岳地帯。西は朝日連峰、東に奥羽山脈、そして南に吾妻連峰があり、米沢市はこれらの山に囲まれた盆地になっている。100ヘクタールに広がる湿地帯は、高山植物の宝庫である。
 近くには温泉がいくつかあり、シーズンを通して観光客で賑わう。観光としての人気は、秋のシーズンで、明道の滝の回りも紅一色の紅葉で色づく。紅葉の中にひと筋の「水」の路が現れる、その姿はいかにも「源流」の象徴である。
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2007/2/19


小高城 Odaka-jyo Odaka Castle

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 小高城は、福島県南相馬市小高区にあった平山城である。
 小高川の中洲に城を構えていたため、紅梅山浮船城とも呼ばれた、自然の要害地である。
 小高城は相馬氏の居城で、そのはじまりは定かでない。元亨3(1323)年、相馬重胤が下総国から太田の別所館に移ったが、その後小高城に居城を変えた。
 建武3(1336)年、相馬光胤は小高城を大改修し、以後相馬氏の本拠とした。
 南北朝の乱には北朝の重要な地位を占め、戦国時代は伊達政宗と激しく争いながらも生き残った。
 慶長16(1611)年、相馬利胤が居城を移り廃城となった。
 現在、本丸跡には小高神社があり、相馬野馬追い祭りにおいての野馬駆けの神事は見物である。
 小高城は、今や神社となり往時の面影はないが、長い間小高で慕われてきた城である。
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2007/1/23


玉競り Tamaseseri Tamaseseri Festival

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 玉競り(たませせり)とよばれるのは、福岡県福岡市東区で行われる玉取祭の事である。
 毎年1月3日に行われる玉取祭は、文字通り宝珠と呼ばれる玉を競い合う男たちの祭りである。
 陰陽二つの木製の宝珠のうち陽玉(直径28cm、重さ8kg)に触れて頭上にかざすと家門が繁栄し幸運が授かるといわれ、総勢250人の褌姿の男たちが勢い水を浴びて宝珠を奪い合う。
 玉の由来には諸説有り、定かではないが、一説に神功皇后三韓との戦いの時、龍神の捧げた満珠千珠の玉にあやかっているとも言われている。
 いずれの説でも、1個を筥崎宮に奉納したが、夜、光を放って鳴動するなど、数々の不思議な事があるので、他の1個も筥崎宮に納められたと言うのは同じである。
 玉競りは、500年前から続く勇猛で壮観な奇祭である。
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