NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/5/15


俳句 Haiku 

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 俳句(はいく)は、五文字、七文字、五文字から成る日本独自の定型詩であり、世界最短の詩としても知られている。
 日本の伝統的詩形の一つである「連歌」から派生した「俳諧連歌」の、第一行目である発句を独立させる形で生まれた近代文芸である。
 室町時代に入り、連歌より俳諧連歌が大いに嗜まれていたが、江戸時代に松尾芭蕉が、自立性の高い発句を数多く詠んだことが源流となり、その後の明治に入って正岡子規の文学運動によって俳句として自立、発展していくこととなった。
 五、七、五の音数による言葉を発した時のリズムと、季節を象徴的に示す「季語」、発句の完結性を表す「切れ」によって、非常に短い詩でありながら心象を大きくひろげることができる特徴を持っており、今も昔も人々をひきつけて止まない魅力となっている。
 現代においても性別や年齢を問わず、俳句と聞けば言葉は簡単に出ずとも五、七、五のリズムを思い浮かべることができるほど、日本人の深くに浸透している詩の形式でもあるだろう。
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2007/7/23


オホーツク海の流氷 ohotsuku-kai-no-ryuuhyou Drift Ice on the Okhotsk Sea

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 北海道のオホーツク海は、冬になると流氷に覆われることで有名だ。
 厳寒期には海面の80%が流氷に覆われる。流氷が出来始まるのは、11月中旬頃、サハリンの北、アムール川河口付近の海上。誕生した流氷は、どんどん成長しながら北風と海流に流され、2000kmの旅をして、1月中旬頃に網走の沖合いに姿を現す。
 オホーツク海は、アムール川からたくさん真水が流れ込むため、海面近くに塩分の薄い層が出来る。塩分の薄い海水は凍りやすいため、流氷が成長すると言われる。
 この遠い北の海で生まれた氷が豊富なプランクトンを運んでくるため、毛がにやサケ、マス、ホタテなどの海の幸をはぐくむのだという。
 見渡す限りの白い大氷原と波の音のしない、静まり返った時間。オホーツク海の流氷は、自然の神秘が生み出す詩情あふれる世界である。
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2007/6/29


丹後藤布 Tangofujifu Tango Fujifu (Tango Wisteria Cloth)

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 5月の中頃、山々を美しく彩る藤の花。その藤のつるから取り出した繊維を紡いで織り上げるのが「藤布」だ。丹後地方においては、山間部を中心に1200年以上織り継がれてきた技術であり、京都府指定伝統工芸品にもなっている。
 藤布の歴史は古く、万葉集の中にも「大君の塩焼く海人の藤衣」と、藤布が着用されていたことが詠まれている。また、元弘2(1333)年、鎌倉幕府によって隠岐の島に流された後醍醐天皇が藤の苗木を隠岐に持参されたという逸話もあり、藤を愛した天皇が藤布を身にまとい、都を懐かしんだとも語られている。
 かつては全国各地で庶民の衣料として生産されていたが、今では衣料の他にのれんやタペストリー、帯など装いからインテリアまで多彩な商品が作られ、伝統を現代に活かす取り組みが行われている。
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2007/2/15


香道 Kou-dou The Art of Burning Incense

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 香道とは香木を炊いて、その香りを楽しむ日本独自の芸道である。
 香木は仏教の伝来と同時期に日本に伝来し、儀式や衣服、髪に炊き込める風習を生んだ。その後、室町時代中期に茶道、華道と同じく現在の形に整えられたとされる。
 基本的な流れとしては香を炊く香炉に香木を薄く切り入れ、その香炉を一座に回して、香りを鑑賞する。
 他の芸道と異なるのは、香とゆかりの古典や和歌になぞらえて香りを当てるゲーム的な要素があることだが、勝敗よりも香りを楽しむのが本道である。
 文学の知識、礼儀作法、書や道具への造詣など様々な要素が組み合わされた奥深い芸道であり、多くの愛好家に好まれている。
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2007/1/25


夢二生家 Yumeji-seika The Birthplace of Yumeji Takehisa

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 岡山県瀬戸内市にある「夢二郷土美術館分館」には、竹久夢二が16歳まで過ごした生家を保存、公開している。多感な幼少年時代を過ごした部屋や茅葺の屋根も生前そのままの姿で見ることができる。
 大正ロマンを代表する、漂泊と叙情の画家詩人竹久夢二は、明治17年、邑久町にあるこの家で生まれた。美しい山河に囲まれた恵まれた風土のこのふるさと、そしてこの生家こそ夢二芸術の原点と言える。
 ここには夢二の素描、版画などの作品も展示されており、窓の桟には嫁いだ姉を慕って落書きした跡も残っているという。入口には夢二の良き理解者であった有島生馬の筆による「竹久夢二ここに生る」の碑が立つ。隣には、夢二自らの設計によるアトリエを復元した、「夢二少年山荘」も併設しており、夢二ファンなら一度は訪れたいスポットである。
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2007/1/23


二上山 Nijyozan Nijyozan Mountain

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 生駒山地と葛城連山の間に位置し、標高こそ低いものの、奈良でも屈指の歴史をもつのが二上山である。
 大阪府側から見ると、ちょうどらくだの背中のような形をしている。丸い二つの峰が連なる二上山は、標高517メートルの雄岳と474メートルの雌岳からなる。雄岳山頂には、謀反の嫌疑で処刑された大津皇子の墓がある。姉大伯皇女が悲劇の弟を偲んで詠んだ万葉集の歌は知る人ぞ知るところであろう。「うつそみの人なる我や明日よりは 二上山を弟世と我が見む」
 二上山は自然公園「万葉の森」としても整備が進められ、登山道沿いには奈良時代の石窟寺院跡などの史跡や万葉歌碑も数々あり、登山だけでなく史跡めぐりの楽しみも味わえる。休日には、散策を楽しむ観光客で賑わいを見せる。
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新湊法生津八幡宮 Shinminato-Hojozu-hachimangu Shinminato Hojozu Hachimangu Shrine

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 放生津八幡宮(ほうじょうずはちまんぐう)は、奈呉の浦の景勝を愛した、歌人大伴家持が越中国司として在住中の天平十八(746)年、豊前の宇佐八幡宮から勧請したのが始まり。現在の富山県射水市に位置する。
 八幡宮の境内の裏手には大伴家持が奈古の浦を記念して詠んだ、万葉集にも残っている歌の歌碑が立つ。「東風(あゆ)を疾(いた)み 奈呉の浦廻に 寄する波 いや千重しきに 恋ひ渡るかも」。境内からは、奈呉の浦が境内から一望できるので、古(いにしえ)の歌人の情緒に思いを馳せるのもいい。そのほか境内には、奥の細道の松尾芭蕉の句碑も立っている。
 毎年10月1日は、放生津八幡宮祭礼の曳山まつりで賑わう。豪華絢爛な13本の曳山を、昼は花山、夜は提灯山車に趣を変え曳き廻り、それは勇壮な眺めだという。
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俳聖殿 Haiseiden Haisei-den

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 俳聖殿(はいせいでん)は、松尾芭蕉生誕300年を記念して1942年に建設された、三重県伊賀市の建造物である。市指定文化財。
 俳聖殿は上野公園(伊賀上野城)内にある。全体が芭蕉の旅姿を形どった八角堂で、屋根は旅笠、八角形の庇は袈裟、柱は杖、木額は芭蕉の顔を表わしている。殿内には伊賀焼等身大の芭蕉座像を安置している。
 この風変わりで壮大な殿堂は、地元出身の代議士故川崎克が私財をもって建築したものである。
 毎年10月12日の芭蕉の命日には「芭蕉祭」が挙行され、その業績を称え遺徳を偲んでいる。また、全国から応募された俳句や連句が芭蕉像に奉納され、この日だけ芭蕉像が開帳される。
 旅人と建築をひとつのものとして表現した日本でも類例のないこの建物は、建築美術の上でも傑作といわれている。
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