NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/4/22


アクリルのからくり人形 Akuriru-no-kawakuri-ningyou Acrylic Karakuri Doll

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 「からくり」は、機巧、絡繰、機関などと書かれるように、日本の伝統的な機械仕掛けのものを指し、特に江戸時代には、時計の歯車の技術を導入した精巧なからくり人形が作られた。
 その「からくり」の仕掛けをわかりやすく図示して世に公開したのが、土佐の郷士、細川半蔵である。この江戸時代の機械工学書『機功図彙(からくりずい)』は多くの職人が技術を発展させるきっかけになり、日本のロボット製造技術の原点ともいわれている。
 そして20世紀に誕生したアクリル樹脂。半蔵の「公開魂」は、この「からくり」を復元した大野勇太郎にも受け継がれ、アクリル製のからくり人形が誕生した。
 現在の最先端技術による透明な歯車の美しさ、それが組み合わさった姿、そして歯車の動く様子が見られるのがすばらしい。
 綺麗な着物を着た人形が美しくお茶を運んでくれる。そのこと自身がとてもエキサイトであるが、中味を知りたい。作りたい。そして仕掛けも綺麗に見せたい。
 そんな職人達の気持ちが日本の美意識を支えている。
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2008/4/8


中町こみせ通り Nakamachi-komise-doori 

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 青森県黒石市にある「中町こみせ通り」には、日本の道百選に選ばれた、風情ある伝統的な建造物が建ち並ぶ通りである。こみせ(小見世)とは、日差しや雨・積雪から人を守るために、家の前に造られた木造の、アーケードのような道路のことをいい、藩政時代(江戸時代1603~1867)から残されているものだという。
 約百メートルにわたって続くこみせは全国的にも類例がなく、平成一七(2005)年に、文化庁の重要伝統的建造物群の指定となったとされる。
 当時から商家・旅篭・呉服屋が軒を連ね、こみせは重要な役割を果たしていたという。中でも江戸中期に建てられた商家「高橋家住宅」は、昭和四八(1973)年に、国の重要文化財となっている。
 二月と九月の第二土・日曜には「黒石こみせまつり」が開催され、高橋家住宅の公開をはじめ、二軒の造り酒屋「菊乃井」「玉垂」の造り酒屋見学・津軽民謡・踊りが催されるという。
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2008/3/18


当麻鐘乳洞 Touma-shounyuudou 

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 当麻鐘乳洞(とうましょうにゅうどう)は、北海道当麻町にある鍾乳洞で、全長一三五メートルの長さを誇る。発見されたのは昭和三二(1957)年で、昭和三六(1961)年、北海道の天然記念物に指定された。北海道指定の天然記念物では、唯一、一般公開されている。
 今から一億五千万年前のジュラ紀から、想像を絶するほどの時間をかけて、地下水の溶触作用により作られた石灰洞窟である。
 鍾乳石が三センチメートル成長するのには約二百年の歳月を要するといわれ、鍾乳石がつくられた年月が計り知れないものだということがあらためて証明される。また不純物が少ないことから、結晶度が良いことで知られている。
 天井から同じ太さでパイプ状に連なる「鐘乳管」は、学術的にも貴重な存在であり、そのほか天井から落ちる水滴により、たけのこのようにどんどん高くなってゆく「石筍」、つららと石筍がつながった「石柱」、壁や天井からの石灰水が膜状になった「カーテン」などの見どころがある。
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松前屏風 Matsumae-byoubu 

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 北海道松前町は、道内で唯一の城である松前城がある。安政元(1854)年に完成した、我が国最後となった日本式城郭である松前城は、復元された天守閣の内部が資料館となっている。そこに展示されているのが、往時の様子を描いた「松前屏風(まつまえびょうぶ)」で、北海道有形文化財に指定されている。
 江戸時代中期に活躍した松前の画家・小玉貞良(こだまていりょう)が、宝暦年間の松前城下を描いたものである。
 この屏風は、蝦夷地の交易に活躍した近江八幡の商人で、小樽の場所請負人でもあった恵比須屋岡田弥三右衛門が描かせたものである。松前での繁盛ぶりを伝えるために屏風をつくったといわれ、高さ約一、六メートル、横約三、七メートルの大きさに、当時の風俗、交易の様子などが描写されている。
 近江八幡の商人は、北前船で蝦夷地のニシン・コンブ・干しアワビをを京都や大阪に持ち帰り、呉服・米・みそ・しょうゆなどを松前に運んで商いをしていた。
 現物は非公開で、現在資料館にて原寸大の複製が展示されている。
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2008/2/18


明王院 五重塔(国宝) Myouou-in Gojuu-no-tou 

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 広島県福山市の小高い丘の中腹にある明王院(みょうおういん)。急な石階段を上り切り、境内に足を踏み入れると、真正面に本堂が、そのすぐ左手に五重塔が現われる。いずれも国宝に指定されており、丹塗りの朱が目に鮮やかだ。本堂は大同二(807)年に、五重塔は正平(南朝)三/貞和(北朝)四(1348)年に建立されたと伝えられている。
 明王院五重塔は全国の国宝指定塔の中で5番目に古く、南北朝時代を代表する純和風の建築物で、すらりと伸びた立ち姿は実に美しい。初層内部は心柱を天井上に立てる特異な構造で、四天柱や周囲の壁板には極彩色の仏画や文様が程度良く残されている。天を突く青銅製の相輪は建築当初のもので、水煙は全体が火焔文で珍しい。
 高さ29・14m。外観は常時公開も、内部は非公開とされている。
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2008/2/7


正倉院 Shousouin 

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 天平勝宝八(756)年六月二一日、光明皇后が聖武天皇の七七忌に、遺品を大仏に献納したのが正倉院(しょうそういん)宝物の始まりといわれている。
 「正倉」とは寺の倉庫の意味で、かつてはどこの寺にも存在していたものだが、現在では東大寺のものだけが残り、固有名詞となっている。もともとは東大寺の倉庫であったが、現在は東大寺を離れ、宮内庁の管轄となっている。
 この建物は奈良時代につくられ、三角の木材を組み合わせた「校倉造り(あぜくらづくり)」の内部は三倉に分かれており、「三ツ倉」とも呼ばれている。また高床式になっており、聖武天皇の遺愛品や東大寺の年中行事で使用される仏具、そして遣唐使や留学生が持ち帰った工芸品などが納められている。
 正倉院宝物は通常は見ることができないが、毎年一〇月下旬から一一月にかけて曝涼(ばくりょう)と呼ばれる虫干が行なわれ、この時に一部の宝物が奈良国立博物館で「正倉院展」として公開される。
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2007/12/14


康楽館 Kouraku-kan 

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 康楽館(こうらくかん)は、明治四十三(1910)年、銅や亜鉛、鉛の鉱山として栄えた小坂鉱山の厚生施設として作られた、木造の芝居小屋である。秋田県鹿角郡小坂町に位置する。
 歌舞伎、新劇、映画等の公開、上演が行われてきたが施設の老朽化やテレビの普及などで衰退、昭和四十五(1970)年には使用を停止されたが、昭和六十(1985)年に市民の手により再興され、現存する日本最古の芝居小屋として、いまも公演が行われている。
 和洋折衷の造りであるが、舞台には花道、切穴、回り舞台などが揃っており、全て人力で稼動する。
 国重要文化財、秋田県指定有形文化財に指定され、明治の息吹を感じながら公演を見ることができる建物である。
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2007/11/14


珠洲 喜兵衛どん Suzu Kihei-don 

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 珠洲の喜兵衛どん(きへいどん)は、石川県珠洲市上戸町北方にある建築物である。
 正式には能登記念館といい、数多くの民俗資料を展示している。
 今の建物は、明治二〇(1887)年に再建されたもので、浜屋づくりの典型を示している。
 「喜兵衛どん」の「どん」は、この地方の有力農民への敬称であり、この地域の大庄屋・喜兵衛どん櫻井家の立派な屋敷を利用したもので、喜兵衛どんは江戸時代は製塩と漆掻きを家業としていた当地の名家である。
 美術工芸品や、国指定の重要有形民俗文化財である製塩用具と生漆の採取用具、及び漆工用具などが多数保存され公開されていた。
 現在は、残念ながら閉館してしまっており、これらの資料を見る事は出来ない。
 珠洲の喜兵衛どんは、当時の生活を知る貴重な古民家である。
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