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五条大橋(ごじょうおおはし)とは、京都府の京都市内の繁華街を、北から南へ流れる鴨川にかかる橋のことをいう。国道九号線と国道一号線を結び、京都でも有数の基幹道路に架かる橋として知られている。
この橋は、もともと清水寺(きよみずでら)参詣のためにつくられた橋で、平安時代から中世まで清水寺が管理していた。
五条大橋のたもとには、牛若丸と弁慶の像が建っている。この橋は牛若丸と弁慶が初めて出会った所とされているが、平安京の時代の五条大橋は現在の位置ではなく、今の五条大橋の北にある松原橋であったといわれている。豊臣秀吉が天正一七(1589)年、方広寺大仏殿造営の際に現在の五条大橋の位置に架け替えたのである。
五条大橋での牛若丸と弁慶の戦いはあまりにも有名で、降参した弁慶は牛若丸、のちの源義経の家来になり、最後まで義経に忠節を尽くすのである。
現在の鉄橋を完成させたのは、当時の京都市長であった高山義三(たかやまぎぞう)で、昭和三四(1959)年のことであった。
この橋は、もともと清水寺(きよみずでら)参詣のためにつくられた橋で、平安時代から中世まで清水寺が管理していた。
五条大橋のたもとには、牛若丸と弁慶の像が建っている。この橋は牛若丸と弁慶が初めて出会った所とされているが、平安京の時代の五条大橋は現在の位置ではなく、今の五条大橋の北にある松原橋であったといわれている。豊臣秀吉が天正一七(1589)年、方広寺大仏殿造営の際に現在の五条大橋の位置に架け替えたのである。
五条大橋での牛若丸と弁慶の戦いはあまりにも有名で、降参した弁慶は牛若丸、のちの源義経の家来になり、最後まで義経に忠節を尽くすのである。
現在の鉄橋を完成させたのは、当時の京都市長であった高山義三(たかやまぎぞう)で、昭和三四(1959)年のことであった。
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