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2008/3/12


名寄鈴石 Nayoro-suzuishi 

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 名寄鈴石(なよろすずいし)は、褐鉄鋼(かってっこう)という鉱物の一種で、昭和一四(1939)年九月に国の天然記念物の指定を受けた。
 約一〇万年前にできた丘陵や台地の土中に産出し、昭和五(1930)年に、名寄在住の弁護士で郷土史家の田中長三郎が発見した。
 核となる粘土などに、鉄分が殻のように巻き付いてできたと考えられる。鉄サビの固まりのような色で、ほぼ丸く、ピンポン玉からこぶしほどまでの大きさがある。
 振ると音がすることから「鈴石」と呼ばれるようになった。全国でも同様のものは、岐阜県の岩壷、奈良県の鳴石があげられる。
 中国の漢方では「石薬」として不老長寿の薬とされ、正倉院にも納められていた。
 名寄(なよろ)の由来は、アイヌ語で川のそばの国「ナイ・オロ・プト」がなまった「なよろ」からきている。語源のとおり、名寄市は西に天塩川(てしおがわ)、東に名寄川が流れている。
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2007/12/21


小津神社 Ozu-jinja Ozu Shrine

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 小津神社(おづじんじゃ)は守山市西南の琵琶湖畔近くにあって、祖神と五穀豊穣の神が祀られている。本殿は大永六(1526)年の再建と記録されており、室町時代の建築様式を今によく伝えている。
 毎年5月5日の例祭で奉納される「長刀踊り(なぎなたおどり)」が有名で、国の民族無形文化財に指定。昔々、琵琶湖の氾濫によって社殿が流されたとき、神霊を湖中から迎えて祀った氏人たちの喜びが踊りになったといわれる。
 例祭では神輿行列が組まれ、一列に行進しながら手に特った長刀を振る「長刀振り(なぎなたふり)」の後に、囃子に合わせて音頭をとりながら踊る「田楽踊り(でんがくおどり)」が続く。このふたつを合わせて「長刀踊り」と呼んでいる。
 神輿行列は賑やかな掛け声を辺りに響かせながら、隣の赤野井町にある小津若宮神社まで往復する。沿道には桟敷(さじき)が設けられ、多くの見物人で賑わう。
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2007/12/20


【寛】 Kan Tolerance, Leniency

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 いわゆる会意文字です。まず上部ですが、ほかの字にもたくさん見られる宀(ウ冠、うかんむり)はただの屋根を表しているのではなく、霊廟(れいびょう、みたまや)の屋根です。この部分がアジアの宗教文化の基礎となっている祖先供養と祖先礼拝を表しています。
 歴史に見られるアジアの長い平和の秘訣は、このような漢字にも含まれています。祖先の恵みを思うことで人生の困難に耐えることが可能になり、心が広くなります。自分とは異なる考え方、人生観を持っていた祖先を思いますと現在の自分と正反対の生き方や信念を持つ人に対しても、もっと寛容になることができて、人生の本質が見えてきます。
 下の部分は廟(みたまや)で儀式を勤めている巫女です。神道にも巫女が神がかりになる儀式はよくあります。巫女が緩やかになり、神のお告げを伝えます。その時の巫女の姿は、目が強調されてその上に常用漢字には草冠の形になってしまった呪飾も象っています。巫女の寛和な振る舞いだけでなく、それと切り離せない儀式に参加している家族の祖先を敬う心と気持ちも字の意味に寄与していると考えられます。
 
■ 寛・篆文(てんぶん)
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2007/10/15


山田薬師 Yamada-yakushi 

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 奈良時代の僧・行基によって開かれたとされ、新四国曼陀羅霊場・第五三番札所でもある善福寺(ぜんぷくじ)。そこには日本三大薬師のひとつ「山田薬師(やまだやくし)」がある。
 天平年間(729~749)、宇和に天然痘が流行し、多くの死者が出た。困った群主が神に祈りをささげると、行基にすがるようにと告げられ、群主は行基に仏像の彫刻を依頼した。彫り上げられた薬師如来像を山田に安置すると、猛威を振るっていた天然痘はぴたりと止んだという伝説が残る。
 行基は後に朝廷より菩薩の称号が与えられ、行基菩薩と言われるようになった。安置されている薬師如来像は行基菩薩作とされている。
 また、昭和三八年の豪雨で本堂脇の岩山が崩れ落ちた際、本堂は岩の下敷きになったが、像はお堂の外に飛び出し傷一つなく無事だったという話も残る。巨大な岩は今も本堂のすぐ傍にある。
 四月八日の「花祭りの日」には屋根を花で飾った花御堂が作られ、家内安全・無病息災を祈願する人たちで賑わう。
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2007/10/5


日振島 Hiburi-jima 

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 日振島(ひぶりじま)は、宇和島市の西方約28kmの沖合いに浮かぶ小島。全体が山の形をしており、屈曲の多い入江の美しさが格別で、釣りのメッカとして知られている。島では豪快な自然を満喫できるほか、中世の歴史探索も楽しめる。
 平安時代に「藤原純友(ふじわらのすみとも)の乱」の舞台となった日振島には、純友も使用していたといわれる古井戸「みなかわの井戸」や、反乱の際に立てこもったとされる高さ約80mの小山・城が森(じょうがもり)の「純友の砦跡」などが残されている。
 島名は、その昔、闇夜に船が航路を見失った時、島民が振る松明の火を頼りに無事にこの島に辿り着いたことから「火振島」、これが転じて「日振島」になったという。
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2007/10/4


田名部まつり Tanabe-matsuri Tanabu Festival

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 下北地方最大の夏祭りが「田名部(たなぶ)まつり」である。江戸時代に下北の総鎮守だった田名部神社の例大祭で、青森県の無形民族文化財に指定されている。
 祭りの起源は定かでないが、寛政五(1793)年の菅江真澄(すがえますみ)の紀行文に、すでにこの祭が記されていることから、それ以前に始まったと推測されている。かつては陰暦七月一八~二〇日に行われていたが、明治三(1870)年より現在の八月一八~二〇日となった。
 田名部五町から「ヤマ」と呼ばれる木製黒漆塗りの山車が繰り出し、むつ市内を練り歩く。ヤマは二階建てで、下の階には乗子(のりこ)と呼ばれる囃子方が乗り、上の階には御神体を乗せて運行する。京都祇園祭の流れを汲むとされる山車は絢爛豪華そのもの。
 祭りは最終日の深夜、「五車別れ」でクライマックスを迎える。五台の山車は田名部神社を後にし、目抜き通りの本町十字路に勢ぞろいする。お囃子が鳴り響く中、山車を引く若衆や見物客にたる酒が振る舞われ、来年の再会を約束してそれぞれの町内へ帰る。
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2007/8/27


群馬 茂林寺 Gunma Morin-ji Morinji Temple

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 群馬の茂林寺は、群馬県館林市堀工町にある曹洞宗の寺である。本尊は、釈迦牟尼仏。
 応永三三(1426)年、大林正通禅師が開山した大寺で、たぬきが茶釜に化けて和尚さんに恩返しをする、童話「文福茶釜」の舞台として知られている。
 寺には今も分福茶釜や古文書などが大切に保存されているばかりでなく、ユーモラスな表情をしたたぬきの焼き物たちが境内で参拝者を出迎えてくれる。

 また、2002年から4月には狸桜祭を開催している。薩摩琵琶「分福茶釜」の演奏や、講談、舞踊などが披露され、先着100名には餅が振る舞われる
 茂林寺は、文福茶釜とたぬきに彩られた楽しい寺院である。
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2007/8/23


板山獅子 Itayama-jishi Itayama Lion Dance

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 板山獅子(いたやましし)は、半田市に伝承されている三種類の獅子舞のうちの一つである。古くから村の安全と五穀豊饒(ごこくほうじょう)を祈願すべく氏神である八幡神社の祭礼に「獅子芝居」が奉納されてきた。
 幕末に県北部より知多半島に伝えられたといわれている。かつて知多半島の各地で多く演じられていた「獅子芝居」だが、今ではその数も減り貴重な伝統芸能となっている。
 大太鼓、小太鼓、拍子木のお囃子にのって、男性が一人で派手な女物襦袢、黒紋付、紺股引に白足袋の女形(おやま)姿で女性のような立ち振る舞いで演じられるため一人立ちの嫁獅子といわれている。
 県の無形民族文化財に指定されている。
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