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2008/10/3


藩庁門 Hantyoumon 

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 長州藩主毛利敬親は、幕末の有事に備え藩庁を萩から山口に移す決意をし、文久三(1863)年に現山口県庁の地に政事堂建設を着工している。
 藩庁門はその藩庁の正門で、脇門付薬医門、切妻造り、平入り、本瓦葺きで、山口県の重要文化財に指定されている。
 明治四(1871)年までは山口藩庁門として使用され、それ以後も山口県庁門として引き続き使用された。
 大正初年新しく県庁舎が竣工し、正門も東寄りに築造されたが、この門はそのまま西口の役割を果たしながら使用され現在もなお使われている。
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2008/3/6


東大寺 南大門(国宝) Toudai-ji Nandai-mon(Koku-hou) 

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 東大寺(とうだいじ)は、奈良県奈良市雑司町にある華厳宗大本山の寺院である。本尊は盧舎那仏(るしゃなぶつ)。
 南大門(なんだいもん)は、天平宝宇六(762)年頃に建立されたが、その後倒壊と再建、焼失を経験し、現在残るものは鎌倉時代の正治元(1199)年に再建されたもので、国宝に指定されている。
 俊乗坊重源(しゅんじゅうぼうじゅうげん)が宋から伝えたといわれる、大仏様(だいぶつよう)方式で建築されており、上屋根と下屋根が異常に接近していて、直径1m、高さ24mの円柱が18本林立している。
 当時の和様技法では太い柱が必要であったが、大仏様の「貫」技法により、柱径を細くするだけでなく柱間隔も広げる事が出来た。
 門の左右にある金剛力士像は、建仁三(1203)年に運慶・快慶他によって作られた。
 東大寺の南大門は、東大寺大伽藍の正面に建つ雄大な正門である。
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2007/11/1


応声教院 山門 Ousyou-kyouin sanmon Sanmon Gate at Oshokyoin Temple

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 応声教院(おうしょうきょういん)は、静岡県菊川市中内田にある浄土宗の寺である。本尊は、準国宝の阿弥陀如来像とされる。
 斉衡二(855)年、茲覚大師により、文徳天皇勅願所の天台宗天岳院として創建された。
 後に、浄土宗を改宗した法然上人が、桜ケ池の竜神になったといわれる恩師皇円阿闍利を偲んで阿弥陀如来像を安置し、天台宗を浄土宗に改宗し、天岳院を応声教院に改名したと伝えられる。
 また、京都知恩院末、遠江十二支辰巳霊場としても知られ、阿闍利伝説の縁起書や歯吹阿弥陀如来座像などを所有している。
 石坂を登ると徳川2代将軍秀忠が建立した山門があり、のんべえ地蔵をはじめとした様々な地蔵や、遠州七不思議の一つ、片葉のアシや三度栗が植えられている。
 応声教院は、様々な伝説に彩られた古刹である。
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2007/9/14


岡崎市 妙源寺 Okazaki-shi Myougen-ji Myogenji Temple

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 岡崎市の住宅地の表通りからは見えにくい、奥まった場所に「妙源寺(みょうげんじ)」はある。
 薬医門(やくいもん)と呼ばれる構造の山門をくぐり、参道を直進すると四脚門がある。さらにその門の先には、室町時代中期に建てられた「太子堂」があり、聖徳太子一六歳像などが祀られている。かつて堂の前に柳の木があったことから、「柳堂」とも呼ばれる。
 文暦ニ(1235)年、碧海一郡の領主・安藤薩摩守信平(あんどうさつまのもりのぶひら)は、この柳堂に親鸞聖人を招き説法を受けたという。これに感化された信平は武門を捨て仏門に入り、正嘉ニ(1258)年、「明源寺」を建立したのが寺の始まりとされる。
 後に家康公を尊敬していたことから徳川氏の本姓である「源」の一字を賜り、「妙源寺」と改称したという。
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2007/6/15


碓氷関所跡 Usui-sekisho-ato The Ruins of Usui Checkpoint

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 碓氷関所跡は、群馬県安中市松井田町にあった関所跡である。三大関所のひとつとされている。
 元和九(1623)年、江戸幕府・二代将軍徳川秀忠によって中山道の関所が置かれた。
 いわゆる「入鉄砲に出女」の取締まりを狙いとしたものである。
 明治二(1869)年、廃関されるまで中山道の要所となった。
 昭和三四(1959)年、東京大学教授工学博士・藤島亥治郎の設計により、番所跡に、東門が復元された。
 門柱および門扉は当時使用されていた物で、総ケヤキ材の要所に金具を用いた、堅固な物である。
 毎年5月第2日曜日には碓氷関所まつりが催され、八木節や太鼓の演奏などが賑やかに披露されるほか、子供たちが扮する関所役人隊も登場し、可愛らしい姿を一目見ようと大勢が訪れる。
 碓氷関所跡は、往時を今に伝える歴史的建築物である。
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妙義神社 Myougi-jinja Myogi Shrine

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 妙義神社は、群馬県富岡市妙義町にある神社である。祭神は、日本武尊、豊受大神、菅原道真。
 宣化天皇二(537)年、白雲山の東の麓に創建された。
 江戸時代においては歴代将軍から厚い崇拝を受け、古くから武士や民衆から信仰されてきた。
 宝暦六(1756)年、現在見られる黒漆塗銅葺入母屋造の本殿と銅葺平入の唐門、総門が建てられた。いずれも、国の重要文化財に指定されている。
 建物に施された龍や鳳凰などの精巧な彫刻は、日光東照宮の彫刻師の手による物と伝えられる。
 例大祭は4月15日と10月15日に催され、春には樹齢200年以上のしだれ桜が咲き誇り、秋には真赤に色づく紅葉に覆われ社殿が映える。
 妙義神社は、天狗信仰も根強い歴史ある社である。
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2007/6/7


脇本陣 Waki-honjin Waki-honjin

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 脇本陣(わきほんじん)とは、本陣の予備的施設である。
 本陣は、天皇の使いである勅使や、公家、大名、公用で旅をする幕府の役人などが宿泊するための施設であった。
 本陣だけで泊まりきれない場合や、宿場で藩同士が鉢合わせになった場合の格式の低い方の藩の宿として利用されるなど、本陣に差し支えが生じた場合に利用された。それ以外の時は、一般旅客の宿泊にも供した。
 規模は本陣よりも小さいが、諸式はすべて本陣に準じ、上段の間などもあり、本陣と同じく宿場の有力者が勤めた。
 本陣と脇本陣は一般の旅籠屋と違い、特権として門、玄関、書院を設けることができた。
 脇本陣は、本陣の予備として設けられた大名・公家や幕府役人などの江戸時代の宿泊所である。
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2007/5/25


函館高龍寺 Hakodate-Kouryuu-ji 

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 函館高龍寺(はこだてこうりゅうじ)は、北海道函館市船見町にある曹洞宗の寺である。本尊は、釈迦三尊。
 寛永一〇(1633)年、松前の法源寺の末寺として亀田地区に建立された。明治一二(1879)年、現在地に移転し、明治三三(1900)年、入母屋瓦葺きの屋根、総ケヤキ造りの本堂が建てられる。明治四四(1911)年、東北以北最大であり、総ケヤキ造りの見事な彫刻が施されている山門が建築された。
 境内は広く、門の傍には金毘羅の社があり、庭中は見事な泉水築山となっている。
 道文化財指定の、蠣崎波響(かきざきはきょう)の描いた釈迦涅槃図を所有していることでも有名である。
 函館高龍寺は、函館最古と云われている開基を誇る、歴史ある古刹である。
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