NIPPON Kichi - 日本吉

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2007/8/9


仙台すずめ踊り Sendai-suzume-odori Sendai Sparrow Dance Festival

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 仙台すずめ踊り(せんだいすずめおどり)は、宮城県仙台市宮城野区にて7月の終わりに行われている祭りである。
 慶長八(1603)年、仙台城新築移転儀式後の宴席で、泉州・堺出身の石工が、伊達政宗の御前で、即興で披露した踊りがはじまりと言われている。
 小気味良いテンポ、躍動感あふれる身振り、跳ね踊る姿が餌をついばむ雀の姿に似ている事や、伊達家の家紋「竹に雀」にちなみ、すずめ踊りと呼ばれる様になった。
 戦前までは石切町の石工の子孫によって伝承されてきたが、近年、市民の間に広がり、多くのグループが創られるようになってきた。
 現在は、扇子を体の前で大きく動かし、足を左右にぴょんぴょん跳る「はねっこ踊り」を基本とし、各グループそれぞれに工夫を凝らした振り付けを創作して技や美を競い合っている。
 仙台すずめ踊りは、夏の風物詩として親しまれている踊りである。
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2007/2/13


石垣 Ishigaki Stone Walls

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 国境などの境界線を定めるものや、城や砦を守る為に石を組み上げて作られた柵や壁で、城や砦の建物自体の基礎として用いられる事も多かった。石垣は、古来からあらゆる文明で見る事が出来る。手法も、自然のままの石を積み上げたものや割った石や切った石を美しく組み上げて見栄えを良くしたもの、様々な種類の石を組み合わせて力を分散させ、排水を良く堅固にしたものなどがある。
 日本では、城郭などの石垣の建設に、穴太衆(あのうしゅう)などの近江国の石工の集団が有名であり、彼らの組んだ石垣は町並みに美しい特徴を与えている。また、琉球諸島などの伝統的な村落で、台風の被害を防ぐ為に、屋根の上に石を積んだり、家の周りに石垣を積んだりという事が行われている。
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2007/1/26


角牟礼城址 Tsunomure-joushi Tsunomure Castle Ruin

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 角牟礼城址(つのむれじょうし)は、大分県玖珠町にある中世の山城跡である。
 角牟礼城址は、標高577mの角埋山に存在する。角牟礼城は、弘安年間(1280年)に森朝通によって築かれた。
 戦国時代には、交通の要衝の地であったため、玖珠郡衆により城はより堅固に修築された。
 天正十四(1586)年の島津義弘の侵攻にも、堅固な要塞は耐え、防ぐことに成功した。
 城跡には、穴太(あのう)積みの高さ約7m、長さ約100mに及ぶ石垣が残存している。
 他にも、豊臣時代の城主・毛利高政の頃の櫓跡及び虎口、礎石立ちの門の遺構、桁行5間・梁行3間の礎石建物などが、1993年からの発掘調査によって出土した。
 2004年、国指定史跡に選定される。
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2007/1/23


亀山城跡 Kameyamajo-ato Ruins of Kameyama Castle

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 亀山城跡は、京都府亀岡市にある、明智光秀が築いた丹波亀山城(亀宝城、霞城)の跡で、現在は扇形の石垣と天守台、内濠の一部が残るのみとなっている。
 丹波亀山城は、1577年に明智光秀が造らせたもので、1610年に藤堂高虎らにより五重天守に大手門、外堀などを備えた亀山城が完成した。
 明治十(1877)年、明治政府の城郭処分により取り壊され、以後荒れ果てていた城跡を大正八(1919)年大本教が買い取り、残った石により昭和の初期頃までに石垣が再築され現在に至る。
 また、「本能寺の変の裏舞台」としても有名である。明智光秀は、この亀山城から出発して、本能寺にいる織田信長を討ち、「三日天下」を手にした。
亀山城跡は、戦国の昔に思いを巡らせられる、夢の跡である。
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2006/11/28


新発田城 Shibata-jyou Shibata Castle

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 新発田城は、現在の新潟県新発田市にある城郭。別名、菖蒲城(あやめじょう)。新潟県内では唯一、江戸時代当時の城郭建築が残る城跡である。
 この城は、室町時代、1596年に初代新発田藩主・溝口秀勝(ひでかつ)が築城し、3代宣直(のぶなお)のときに完成。以来、版籍奉還まで約270年間、外様大名溝口氏の居城であった。
 新発田城は山城とは違い、政治・経済の中心として交通の便利さを考え、平地に作った平城。石垣が隙間なくかみ合うようにきちんと積まれる「切込みはぎ」と呼ばれる美観を重視した技法を取り入れている。また、北国の城特有の海鼠壁(なまこかべ)は全国的にも珍しい。
 城の表門前には新発田藩家臣の血をひく堀部安兵衛の銅像がすっと立ち、しっかりと江戸を見つめている。
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