NIPPON Kichi - 日本吉

記事数5件: 1~5 件表示          

2008/9/5


名取夏まつり Natori-natsu-matsuri 

Jp

 名取夏まつりは宮城県名取市の閖上(ゆりあげ)漁港で開催される夏まつりで、名取市三大祭りの一つである。毎年八月初旬、太平洋を臨むゆりあげビーチをメイン会場として屋台が並び、様々なイベントや仙台すずめ踊りの練り歩きなどを楽しむことができる。
 午後三時頃、ハッピ姿の漁師による大漁祈願の大漁船パレードが開催され、雄大な眺めに観客は大声援と拍手を送る。船上では大漁祝い唄と閖上太鼓が演奏される。
 夕方になると先祖の霊を供養するために約1000基の灯篭が流され、揺らめく水面を静かに流れていく光の美を堪能する。
 フィナーレを飾るのは午後19時30分から始まる約4000発の花火大会だ。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2008/8/1


佐渡 たらい舟 Sado Tarai-bune Sado Tarai-bune (Tub Boat)

Jp En

 佐渡のたらい舟(たらいぶね)は、新潟県佐渡市に伝わる伝統的な漁船である。
 たらい舟は、日本の沿海で使われている船の中でも大変珍しい舟と言われている。
 小木半島に伝わるたらい舟は、昔の大事な嫁入り道具であり、岩礁と小さい入江が多い小木海岸では、小回りのきくたらい舟でのワカメ、サザエ漁が昔から行われていた。
 洗濯桶を改良したたらい舟が考案されたのは、明治時代初期の事で、現在でも漁に活躍している。
 また、小木港には観光用のたらい舟があり、実際に乗ったり漕いだりすることもできる。
 操作は、T字型のカイをまっすぐ立て、目標の一点を決めてカイの先で8の字を描くつもりで漕ぐ。
 佐渡のたらい舟は、地元特有の地形に合致した、実用的な伝統漁船である。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2008/7/25


京都 保津川下り Kyouto Hozugawa-kudari Boat Ride down the Hozu-gawa River, Kyoto

Jp En

 京都の保津川下り(ほづがわくだり)は、京都府亀岡市保津町~京都市嵐山まで約16kmの渓流を、約2時間で下る舟下りである。
 川下りというのは、長岡京に都があった頃(784~794)から、保津川の水流を利用して下流にある京都・大阪に物資を輸送する事にはじまった言葉で、いわゆる水運の事である。
 慶長一一(1606)年、角倉了以(すみのくらりょうい)が、木材・薪炭など丹波地方の産物を京へ送るための産業水路として開いた。これが、保津川下りの起源とされている。
 今では、日本一の川下りとして、国内はもちろん世界的にも良く知られている。
 曲がりくねった狭い川筋は、激流岩を生んで、かいの音が木霊し、谷間ではウグイスが鳴き、夏はかじかの涼やかな合唱が聞こえる。
 保津川下りは、桜、岩つつじ、新禄、紅葉、雪景色など四季折々の景観も魅力的な舟下りである。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2007/12/20


土舟 Dobune 

Jp

 土舟(どぶね)は、新潟県にて使用された、農民の道具である。
 新潟平野の、現在のJR新潟駅や周辺の繁華街まで含む亀田郷一帯、東西11km、南北10km、約1万ヘクタールは、かつて湖であった。
 しかし、この水郷地帯はなけなしの農地でもあったが為に、農民は、その肩まで沈む農地を少しでも高くするため、毎年、川の底から舟でわずかな土をさらってきては、自分の農地に撒き続けた。
 その運搬手段が、土舟である。
 かつては、収穫を終えた晩秋から雪が積もり始めるまでの、農家総出の重労働であったという。
 新潟平野は、現在でも海抜ゼロmであり、農業排水施設で24時間排水を行う事により水没を免れている。
 土舟は、新潟平野において湖の水を埋めるための土を載せて運ぶ「どぶね農業」の為に使われた、農民の舟である。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2007/10/9


蒼竜山松源寺(猿寺) Souryuuzan-Shougenji(Sarudera) 

Jp

 蒼竜山松源寺(そうりゅうざんしょうげんじ)は、東京都中野区上高田にある臨済宗妙心寺派の寺である。本尊は釈迦如来と聖観世音菩薩。東京二十三ヵ所霊場第19番札所とされる。
 年代は不詳だが、麹町四番町に蓬山宗丘禅師が開山、戸田山城守忠昌を開基として創建された、江戸触頭4ヵ寺の一員である。慶長一八(1613)年に牛込神楽坂に、明治三九(1908)年に現在地に移転した。
 寺が元禄期、まだ神楽坂にあった頃、寺を荒らす乱暴猿が捕まったが慈悲深い和尚が助けてやった。すると後日、渡し舟に乗ろうとした和尚をいつかの猿が必死に止めた。その舟は定員オーバーで川の中ほどで転覆し、舟に乗らなかった和尚は一命を全うした、という話が伝わり、通称・猿寺(さるでら)と言われている。
 蒼竜山松源寺は、不思議な猿伝説が伝わる、歴史ある寺である。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



記事数5件: 1~5 件表示          
NIPPON Kichi - 日本吉 - 日本語に切り替える NIPPON Kichi - 日本吉 - to english

モノ・コト・ミル・ヒトで綴る
日本の美意識。

現在の記事 5444
カテゴリーズ
都道府県
キーワードシャッフル
お気に入り
キーワード検索
閲覧履歴



Linkclub NewsLetter