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松山城は、愛媛県松山市の中心部、勝山(標高132メートル
)にそびえたつ城郭だ。姫路城、和歌山城とともに、日本三大連立式平山城に数えられる。
現存する天守としては最も新しい。築城は1602年(慶長7年)、賤ヶ岳(しずがだけ)の合戦で有名な七本槍のひとりである加藤嘉明(よしあき)により始められた。25年の歳月をかけた松山城は、山頂に本丸、中腹に二ノ丸、山麓に三ノ丸を整備した広大な規模となる。その後、蒲生忠知、松平定行と代が変わり、定行以降、松山城は松平家の居城となり明治維新を迎えたのだった。
幾度もの焼失のたびに時の藩主の庇護のもと再建され、今にいたる。昭和10年(1935年)には国の重要文化財、昭和27年(1952年)には国の史跡に指定された。
)にそびえたつ城郭だ。姫路城、和歌山城とともに、日本三大連立式平山城に数えられる。
現存する天守としては最も新しい。築城は1602年(慶長7年)、賤ヶ岳(しずがだけ)の合戦で有名な七本槍のひとりである加藤嘉明(よしあき)により始められた。25年の歳月をかけた松山城は、山頂に本丸、中腹に二ノ丸、山麓に三ノ丸を整備した広大な規模となる。その後、蒲生忠知、松平定行と代が変わり、定行以降、松山城は松平家の居城となり明治維新を迎えたのだった。
幾度もの焼失のたびに時の藩主の庇護のもと再建され、今にいたる。昭和10年(1935年)には国の重要文化財、昭和27年(1952年)には国の史跡に指定された。
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