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湛慶(たんけい)は、鎌倉時代の仏師で、東大寺金剛力士像造仏で著名な仏師、運慶の嫡男である。
承安三(1173)年~建長八(1256)年とされるが、没年には諸説ある。
祖父の康慶が興した平安末期にはじまる仏師の一派「慶派」に属し、父である運慶や同じく仏師として知られる快慶と並ぶ大家として知られている。
運慶工房の一員として、東大寺や興福寺の復興造像に携わり、運慶が没するまで、さながら父子二人三脚で隆盛を極めていくこととなる。
父の没後は工房の後継者として活動し、生命感あふれるたくましい表現の「運慶様式」を引き継ぎつつ、さらに洗練された温和な作風の作品を生み出してその独自性を高めていくが、建長八(1256)年、東大寺講堂の復興造像における中尊千手観音像の造像半ばで没する。
代表作としては、京都の妙法院・三十三間堂本尊の木造千手観音坐像や高知県の雪蹊寺にある木造毘沙門天及び両脇侍立像がある。
承安三(1173)年~建長八(1256)年とされるが、没年には諸説ある。
祖父の康慶が興した平安末期にはじまる仏師の一派「慶派」に属し、父である運慶や同じく仏師として知られる快慶と並ぶ大家として知られている。
運慶工房の一員として、東大寺や興福寺の復興造像に携わり、運慶が没するまで、さながら父子二人三脚で隆盛を極めていくこととなる。
父の没後は工房の後継者として活動し、生命感あふれるたくましい表現の「運慶様式」を引き継ぎつつ、さらに洗練された温和な作風の作品を生み出してその独自性を高めていくが、建長八(1256)年、東大寺講堂の復興造像における中尊千手観音像の造像半ばで没する。
代表作としては、京都の妙法院・三十三間堂本尊の木造千手観音坐像や高知県の雪蹊寺にある木造毘沙門天及び両脇侍立像がある。
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