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2008/3/4


江戸刷毛 Edo-hake Edo Hake Paint Brush

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 刷毛(はけ)はものを塗るための道具として古くから使われてきた。平安時代の文献には、植物のキビの毛を用いて、器や弓矢などに漆を塗っていたことが記されている。
 江戸刷毛とは、江戸の流れをくむ各種職人にとって重要な役割を担ってきた道具で、江戸時代中期に発行された「万金産業袋(まんきんすぎわいぶくろ)」の中で、表具用糊刷毛が「江戸刷毛」として紹介されている。今日、江戸刷毛として指定されているものには、経師刷毛、染色刷毛、人形刷毛、漆刷毛、木版刷毛、白粉刷毛、塗装刷毛の七種類がある。
 今の江戸刷毛には人毛や馬、鹿、山羊などの獣毛と、ツゲやシュロなどの植物繊維が用いられている。クセや脂分のある毛は、職人の繊細な刷毛さばきに大きな影響を与えるため、クセ直しと脂分の除去が大切な工程となる。このため、刷毛づくりの大半はこの工程に費やされる。
 刷毛の命は毛先と言われるように、ムラ塗りが出ない、腰のあるものが優良とされ、素材は刷毛師の目で厳しく吟味される。
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2007/10/17


京唐紙 Kyou-karakami Kyokarakami

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 京唐紙(きょうからかみ)は襖に施される一種の版画で、桂離宮や寺院、茶室などで現在も使われている。用途によって多くの文様があり、それぞれに洗練された美しさを持つ。
 顔料に用いられるのは雲母(うんも)の粉末や絵の具で、最初に刷毛で「ふるい」という団扇(うちわ)の形をした道具に付ける。次に「ふるい」から版木に顔料をふるい落とすようにして付け、その上に和紙を置いて刷る。この作業を何回か繰り返して一枚が完成する。
 中国から伝えられた唐紙は、平安時代に詩歌を書き記す詠草料紙(えいそうりょうし)として日本でも作り始められた。後に襖に張られるようになり、大きく発展したのは江戸時代中期といわれている。浮世絵師・菱川師宣(ひしかわもろのぶ)の作品には、京唐紙を刷る職人の姿が描かれている。
 顔料に雲母が用いられているため、うっすらと上品に光るのが特徴で、蝋燭の暗い明かりに照らされた京唐紙の一部が、炎のゆらめきに合わせてきらめく様は趣がある。
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2007/9/7


蒔絵 Makie Makie

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 蒔絵(まきえ)は、漆芸の技法の一つで、およそ千五百年も前から日本にある伝統工芸である。
 蒔絵と似たような技法である「平文(ひょうもん)」や「螺鈿(らでん)」が中国起源のものであるのに対し、蒔絵はその初例が正倉院の宝物とされており、海外にも類のない日本独自の漆芸技法とされている。
 漆器の表面に漆で絵や文様を描き、それが乾かないうちに金や銀などの金属粉を「蒔く」ことで、漆器の表面に定着させる技法だ。
 蒔いてはみ出したものや定着し切れなかったものは後で刷毛などで払い落とす事で、漆を塗った場所にのみ定着した美しい文様が表れる。
 主な技法としては研出蒔絵(とぎだしまきえ)、平蒔絵(ひらまきえ)、高蒔絵(たかまきえ)、肉合蒔絵(ししあいまきえ)、卵殻蒔絵(らんかくまきえ)などがあり、また、金粉を蒔く事で”ぼかし”の表現もでき、その表現は多種多様に及ぶ。
 金を直接貼るのではなく、蒔くあたりに、日本人の緻密さが表れているのかもしれない。
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2007/4/13


松井俊樹 Matsui Toshiki Toshiki Matsui

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 京都に伝わる伝統工芸品、京友禅の伝統工芸士。雅号は祥瑞。
 1940(昭和十五)年、京都生まれ。友禅技法の内糸目糊挿し色の他、素描・無線友禅での総合加工を得意とする。88年に伝統工芸士に認定される。
 京友禅は江戸時代中期、扇絵師、宮崎友禅の描いた絵を着物に染め描いたのが始まりとされる。
 友禅の斬新な絵柄に加え、染色、糊置き、刺繍、箔張りなどの多彩な技術を組み合わせる事により完成された。
 加賀友禅は筆を使って色を挿すが、京友禅では刷毛が主流。
 氏、自らが作った三千にものぼる刷毛は、手先の如く流れるように色を挿し、同じ働きをするものは一つとして存在しない。
 卓越した技術と多彩な世界で描かれた絵柄は、現在では着物に留まらず、ドレスや染額など多岐に渡り広がり始めている。
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2007/2/23


小石原焼 Koishiwara-yaki Koishiwara Ware

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 小石原焼は、福岡県朝倉郡小石原村にて焼かれる陶器である。主生産品は、生活雑器。
 1682年、江戸時代前期に黒田藩藩主によって開かれた、筑前最初の窯である。
 当初は「中野焼」と呼ばれ、大型のかめ、壷、徳利等の磁器を焼いていたが、18世紀初めから陶器が焼かれるようになり、小石原焼と呼ばれるようになった。
 刷毛目、飛び鉋、櫛描きなどによって表現される独特の幾何学的な紋様が特色で、素焼きを行わず、釉薬を流し掛ける。
 元々はささやかな里であったが、昭和30年代後半からの陶芸ブームにのり、小石原焼は全国的に有名になった。
 現在、村には50余軒にのぼる窯元があり、最も古い窯元は300年の歴史をもつ。
 小石原焼は、400年の歴史を受け継ぐ伝統工芸品である。
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2007/1/25


小鹿田焼 Onta-yaki Onta-Yaki Ceramic Ware

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 小鹿田焼(おんたやき)は、大分県日田市の山あい、小鹿田地区にて焼かれる陶器である。
 小鹿田焼は江戸時代中期に、筑前の国・小石原焼きから陶工・柳瀬三右衛門を招き、大鶴村の黒木十兵衛によって開窯された李朝系登り窯である。
 小鹿田焼は開窯から300年、代表的な技法として、飛びかんな・刷毛目・櫛描き・打ち掛け・流しなどがあり、色調も青磁、黒、白飴、黄など多彩である。
 1954年、及び64年、世界的に著名な英国のバーナード・リーチが日田に滞在し、作陶したのは有名である。
 今も集落の谷川でのんびりと陶土をつき続ける唐臼のように、永い歴史と伝統を守りながら、小鹿田焼10軒の窯元がじっくりと手仕事に取り組んでいる。
 1995年、国の重要無形文化財保持団体の指定を受ける。
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2007/1/12


江戸からかみ Edokarakami Edo Karakami Paper

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 江戸からかみは、江戸の町づくりとともに発展し、襖、壁、屏風などを彩るために加工された和紙である。
 からかみの源流は、平安時代に中国からもたらされた美しい文様の紙「紋唐紙(もんからかみ)」であり、それを和紙で模した物が「からかみ」である。
 当初、和歌を筆写する詠草料紙として貴族の間で好まれたが、中世以降には襖や屏風などにも貼られるようになった。
 江戸時代、徳川幕府による江戸の街づくりが進む中で、需要も拡大し独自の発展を遂げた。
 江戸からかみは、木版摺りを重視した「京からかみ」に対し、木版摺りを基調としながらも型紙による捺染や刷毛引きなど多くの技法で作られる。
 その文様は江戸らしく、武家や町人の好みを反映した自由闊達で粋なものであるのが特徴である。
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木部弘 Hiroshi Kibe Hiroshi Kibe

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 1931年、東京都浅草橋生まれ。江戸からかみの伝統工芸士。
 からかみの歴史は、平安中期、中国産唐紙の模造から始まる。後に江戸にて、捺染摺りや刷毛引き、砂子振りの技法を多く用いた江戸からかみが生まれた。
 1650年、父の仕事を継ぐため、からかみの捺染加工の仕事に従事する。
 氏の作品の中で特に素晴らしいのが、色とりどりの花鳥、人物などの更沙模様を襖面一杯に貼り込んだからかみである。
 「この仕事は名人も下手もありません。ただ丁寧にやることと、使う人の気持ちになって仕事をすることが大切です。襖は一枚だけでなく何枚も並ぶので、一枚一枚が同じように仕上がり、しかも味があるように心がけています」とは、氏の言葉。
東京都伝統工芸士。1997年、葛飾区伝統工芸士に選定される。
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