NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/5/14


五色ヶ浜 Goshikiga-hama 

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 日本海に突き出た能登半島の先端付近、いわゆる奥能登の珠洲郡内浦町にあるのが五色ヶ浜だ。
 周辺には悲恋伝説が残る恋路海岸や赤茶色の岩礁が連なる赤碕海岸などもあり、日本海の美しい海岸の続くスポットでもある。
 一日に五回、砂の色が五色に変化するという言い伝えが残っており、それがこの浜の名の由来となっている。
 遠浅になっていることもあって打ち寄せる波は非常に穏やかで、透明度の高い奥能登の海の美しさと相まって、砂浜の白さがいっそう際立っている。
 浜そのものは海水浴場にもなっており、シーズンになれば海水浴客で賑わいを見せる。
 また、シーズンを過ぎても、この静かで美しい海岸は、絶好の夕陽のスポットになる。
 日本海の水平線へと沈み行く、赤く燃える落日は、白い砂浜を一時だけ、赤い絨毯へと変貌させてくれるだろう。
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2007/7/19


花馬祭 Hana-uma-matsuri Hanauma Festival

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 花馬祭(はなうままつり)は、約400年前から長野県・木曽町の五宮(いつのみや)神社に伝わる五穀豊穣を祈る神事である。毎年10月3日に開催される。
 細長く切った竹に五色の色紙を付けた「花」を3頭の木曽馬が付け、氏子たちが小中学生の笛や太鼓の音とともに田立駅前から五宮神社までゆっくり練り歩く。
 神社では、行列が境内を3周した後、見物客が馬に殺到して花を奪い合う。
 この「花」は、稲穂に見立てたもので、厄除けや虫除けのご利益があるとして田の畦(あぜ)や家の入り口に挿すのだという。
 花馬祭は1993年に町の無形文化財に指定、また1998年の長野冬季オリンピックでは、この花馬祭が祭典のフィナーレを飾り、演じられた。
  
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2007/6/19


五色渓谷 Goshiki-keikoku Goshiki Gorge

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 五色渓谷(ごしきけいこく)は、北海道浦河郡浦河町上杵臼にある全長10kmの景勝地である。浦河十景のひとつとされる。
 日高と十勝を結ぶ天馬街道沿いの日高幌別川上流ニオベツ川にあり、北海道の背骨と言われる日高山脈を横断するルートのほぼ中間地点にある。
 一帯にはシラカバ、モミジ、イタヤ、カツラ、アサダなどが茂っており、五色の名の通り、色とりどりに染まった日高山脈の美しい秋の彩りを、存分に楽しむことができる。
 例年の見頃は9月下旬~10月中旬ぐらいで、徒歩で沢に降りると清流に映える紅葉が美しい。
 翠明橋公園と五色橋から見る渓谷美と紅葉が殊に有名である。
 五色渓谷は、四季を通じて日高山脈の表情を身近に楽しめる華やかな景勝地である。
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2007/5/31


蔵王 お釜 Zaou Okama Zao Okama

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 宮城県苅田郡蔵王町にある、周囲1.5キロメートル、最大深さ25メートルの火山湖。標高1、841メートルの熊野岳、刈田岳、五色岳からなる蔵王連山の中央にある。
 蔵王のシンボル的観光地であり、五色沼という名があるのだが、まん丸い釜状の形から別名「お釜」とよばれ、人々に親しまれている。
 この湖の特徴は、なんといっても神秘的な色を放つ湖水にある。「エメラルドグリーン」の湖水が天気や日差しの状態によって、コバルト色やブラウン色に変化する。「五色」という名前はここからきているともいわれている。
 水質は「弱酸性」で生物は存在しない。水温に特徴があり、水深10数メートルまでは、摂氏2度まで下がっていくが、それ以下の深さになると、水温が上がっていくという世界でもここしかない湖である。
 5月から8月のシーズンには多くの登山者や観光客がこの湖を一目見ようと訪れる。
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2007/4/24


若胡子屋跡 Wakaebisuya-ato 

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 若胡子屋跡(わかえびすやあと)は、広島県呉市豊町御手洗にある江戸時代の茶屋跡である。
 寛文年間(1661〜73)以来、御手洗は沖乗り航路の要衝にあり、港町として繁栄した。
 これに伴って遊楽施設も整備され、数軒の茶屋が営まれた。中でも享保九(1724)年に公認された若胡子屋は、いつでも99人の遊女を抱えるほどの繁盛振りであったと言われている。
 入母屋造りの二階建てで、本瓦葺きの建物はよく旧観を維持しており、2階の部屋には遊客の落書きや、かむろの手形などが残されている。
 裏庭の五色の小石で築いた塀や、離れ座敷にある屋久杉の天井板、土塀などからも、当時の華やかな様子が伝わってくる。
 若胡子屋跡は、今でも当時の面影が残る建築物である。
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2007/4/17


目黒不動尊 Meguro-fudouson Meguro Fudoson

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 目黒不動尊とは、東京都目黒区下目黒にある天台宗の寺院・瀧泉寺の別名である。関東三十六不動霊場第十八番とされる。
 本尊の不動明王像の目が黒いため、目黒不動と呼ばれる。地名の「目黒」は、この目黒不動に由来するとする説もある。
 大同三(808)年に慈覚大師円仁が、下野国から比叡山に赴く途中に不動明王を安置して開創したと伝えられる。
 江戸城を守るために配置された江戸五色不動のひとつであり、山手七福神のひとつとして恵比寿神を祀っている。
 境内の独鈷滝を浴びると病気が治癒するとの信仰があり、寺名の由来となった。
 目黒不動尊は関東最古の不動霊場として、日本三大不動の一つに上げられる寺院であり、文化・文政の時代には富籤で親しまれていた古刹である。
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2007/4/2


忍び駒 Shinobi-goma 

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 忍び駒は、岩手県花巻市にて造られる民芸品である。
 南部藩の昔から馬の産地として知られる岩手県には、数々の馬玩(馬の郷土玩具)がある。
 稲藁を材料にした素朴な裸の馬人形で、美しい布で飾られた花巻地方独特のものである。
 忍び駒とは、花巻地方の円万寺・馬頭観世音に古くから伝わる、縁結びや子孫繁栄、五穀豊穣などの祈願の使い駒とされる藁の馬人形の事である。
 里人はその祈願に際し、駒を人に見られぬよう深夜密かに観音前に供えて帰り、祈願成就した時はお礼のため先に供えた駒に五色の色布を着せ飾り、再び仏前に供える習わしであった。
 昭和41年には、郵政省の記念切手図案として採用されている。
 忍び駒は、今でも縁起が良いとして地域の人々に愛されている郷土玩具である。
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2007/3/9


石光寺 Sekkou-ji Sekkoji Temple

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 石光寺は、奈良県葛城市染野にある浄土宗の寺院である。本尊は弥勅如来菩薩。別名、染寺。
 630年頃、この地に光を放つ三大石があり、掘ると弥勒三尊の石碑が現れたという。
 勅願により堂宇を建立し「石光寺」の名を賜り、役小角が開基したのがはじまりとされる。
 中将姫が曼荼羅を織る為に蓮の茎を集めて糸を採り、それを水に浸したところ五色に染まったという伝説から、庭にある井戸を「染の井」、傍らの桜の枝を「糸掛け桜」という。
 また、ぼたんの名所としても知られており、4月下旬〜5月上旬の開花期には約5百種・4千本の牡丹を見る、花見客で賑わう。
 南門前には奈良時代の塔心礎石が残っており、白鳳文化の搏仏も寺宝として伝わっている。
 石光寺は、数多の伝説と古い歴史を持つ、花溢れる寺院である。
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