NIPPON Kichi - 日本吉

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2007/12/6


小泉の水祝儀 Koizumi-no-mizu-syuugi Mizushugi (Water Celebration) in Koizumi

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 加美町小泉地区に伝わる「小泉の水祝儀」は毎年二月ニ日に行われている。
 小泉の水祝儀は、前年結婚した夫婦とこの地区に住んで満一年以上経つ夫婦のための祝いの儀式である。家内安全や子宝、安産の祈願の意味も込められている。
 盛装した夫婦達が、講の人々が手を取り合って作る鳥居をくぐり抜け、会場に祀られた道祖神に礼拝する。そして講組織への加入資格を認めてもらうという。
 そして、参加者全員の額に墨で「水」の字を書き、冷酒を酌み交わして祝う。
 その後、集落の家々を回り、「火伏せ」の掛け声とともに柄杓で屋根に水をかける火伏せの行事を行うという。
 かつては県内各地で行われていた水祝儀だが、そのほとんどが廃絶したとされており、ほぼ旧態のまま伝承され続けている小泉の水祝儀は貴重な伝統文化である。
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2007/7/20


とうろう流しと大花火大会 Tourou-nagashi-to-daihanabi-taikai Lantern Floating and the Great Fireworks Display

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 とうろう流しと大花火大会(だいはなびたいかい)は、福井県敦賀市松島町の松原海岸にて、毎年8月16日に行われる名物行事である。
 昭和二五(1950)年、旧盆に、戦没者の霊を慰めるために始まったとされる。
 大花火大会は、名勝「気比の松原」をバックに、水上花火やスターマインなどが、日本海側最大級の1万2000発が打ちあがり、ダイナミックに繰り広げられる。
 また、大花火大会にあわせ、僧侶の読経の中、赤・青・黄色の3色の灯籠約6000個が松原海岸にいっせいに流される。
 近年ではレーザーや音響を駆使した大規模な舞台設定も行われ、打ち上げ花火に始まり、キャラクター花火など、技巧を凝らしたものもある。
 とうろう流しと大花火大会は、水と光と音が調和した、厳かでありながらも神秘的な催し物である。
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2007/1/29


常忠寺 Jouchu-ji Jochu-ji Temple

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 戦国時代に豊後、豊前、筑後、筑前、肥後、肥前の九州六ヶ国を支配した豊後のキリシタン大名、大友宗麟の先祖、大友家初代能直の墓所。
 落雷に打たれて半身不随になっても輿に乗り指揮を取り、宗麟の家中第一の武将とされた鎧岳(よろいだけ)城主、戸次鑑連 ( べっきあきつら)の菩提寺。
 一時廃絶していたが宝永年間(1704〜1710)に本田善輝が再興、その後火災で炎上したが文化三(1806)年善輝の曽孫により修復し、存続される。
 40種もの花菖蒲が植えられ、毎年5月には「常忠寺しょうぶ祭り」が行なわれる。夏の夜には蛍の観賞も出来る。
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2007/1/23


俳聖殿 Haiseiden Haisei-den

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 俳聖殿(はいせいでん)は、松尾芭蕉生誕300年を記念して1942年に建設された、三重県伊賀市の建造物である。市指定文化財。
 俳聖殿は上野公園(伊賀上野城)内にある。全体が芭蕉の旅姿を形どった八角堂で、屋根は旅笠、八角形の庇は袈裟、柱は杖、木額は芭蕉の顔を表わしている。殿内には伊賀焼等身大の芭蕉座像を安置している。
 この風変わりで壮大な殿堂は、地元出身の代議士故川崎克が私財をもって建築したものである。
 毎年10月12日の芭蕉の命日には「芭蕉祭」が挙行され、その業績を称え遺徳を偲んでいる。また、全国から応募された俳句や連句が芭蕉像に奉納され、この日だけ芭蕉像が開帳される。
 旅人と建築をひとつのものとして表現した日本でも類例のないこの建物は、建築美術の上でも傑作といわれている。
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2007/1/18


金沢神社 Kanazawa-jinjya Kanazawa Shrine

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 加賀藩主であった前田家は、菅原道真を先祖としている。その菅原道真を祀って、十一代藩主前田春脩(はるなが)が、寛政六(1794)年に建立したのが金沢神社である。
 この時期、春脩は、藩校、明倫堂を創始しているが、その鎮守神として道真を祀ったのである。
 明倫堂は、兼六園建設のため移動したが、鎮守神は残った。そのため十二代藩主前田斉広が建てた竹沢御殿の鎮守神として、竹沢御殿御鎮守天満宮と称した。金沢神社と改称されたのは、明治九(1876)年のことである。
 県内で一番の受験の神社ということで、合格祈願の受験生たちがたくさん詣で、必死に祈念する姿は印象的である。
 また神社内には、金沢の地名の由来となった、金城霊沢がある。その池の周りを三回巡りお願いをすれば願いが叶う、といわれている。
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