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2007/11/16


御物頭御番所 Omonogashira-gobansho 

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 御物頭御番所(おものがしらごばんしょ)は、秋田県秋田市の保田城跡にある千秋公園に建つ史跡である。
 宝暦八(1758)年から安永七(1778)年の間に建築されたと推定される、秋田20万石佐竹氏の居城・久保田城内に唯一現存する藩政時代の役所建物とされている。
 御物頭御番所は、「物頭」と言われた足軽の組頭が長坂門の開閉や登城者の監視をし、城下町一帯の警備や火災の消火等を行っていた場所である。
 二の丸から長坂を登った表門の手前にある建物で、木造2階建て、内部には14畳の番所、7畳の休息室、台所、便所、2階には8畳の部屋があり、屋根は切妻藁葺きで正面南側に庇が付いている。
 御物頭御番所は、往時の姿を今に伝える建築物である。
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2007/9/25


米倉鹿嶋神社 献饌行事 Yonekura-kashima-jinja Kensen-gyouji The Kensen Ritual at Yonekura Kashima Shrine

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 米どころ宮城の中心的役割を果たしているのが大崎市。ササニシキ、ひとめぼれなどが誕生した地として知られている。市役所から一キロ程の米倉(よねくら)地区にある鹿嶋(かしま)神社では、毎年九月九日と一〇日の二日間にわたり、献餞(けんせん)行事が執り行われる。献餞とは神道の祭式で、祝詞(のりと)を上げるに先立って、神官が神前に食物を供えることをいう。
 米倉鹿嶋神社は大崎開拓以来の古社とされ、戦前までは清和源氏足利氏(せいわげんじあしかがし)の一門・大崎氏の遺臣が祀ってきたが、その後は地域民も加わり祭事を続けている。初日は初穂献上に始まり、その他の儀を経て、神酒を戴き神饌を食する直会(なおらい)に至る。翌日の神輿巡幸をもって終わる。穀物の収穫に感謝する静かなこの祭事は、県の民俗文化財、風俗習慣に指定されている。
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2007/9/4


諫早・川まつり Isahaya Kawa-matsuri 

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 長崎諫早市では毎年7月25日に「諫早(いさはや)・川まつり」が行われる。
 昭和三二(1957)年の諫早大水害は、行方不明者も含め539人の尊い命を奪った。この大水害の犠牲者の冥福を祈りつつ、防災の誓いを新たにする為、市と商工会議所などが中心となって大水害のあった7月25日に諫早公園前の本明川河川敷一帯で開催しているのが「諫早・川まつり」である。
 お祭りを「動」と「静」に大別すると、ここのお祭りは厳かで幻想的な「静」の祭りで、午後8時から市役所近くの高城橋で行われる式典では、市民らが犠牲者の霊に黙祷し、冥福を祈る。
 そして、本明川では約23000個の万灯が一斉に灯され、静寂な川面に灯火を映す。その灯火が神秘的な光景を観せる中、夜空には花火が打ち上げられ大輪の華を大音響と共に咲かせ、観客をこの明かりと音のコントラストで魅了しているのだ。
 尊い命の冥福を祈るこのお祭りは、神秘的な雰囲気の中で厳かに行われる。
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2007/8/20


おやまサマーフェスティバル Oyama-summer-festival 

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 栃木南部にある小山市最大のイベントである「おやまサマーフェスティバル」は、毎年七月の最終土曜日と日曜日の二日間に亘って開催される。
 土曜日のオープニングカーニバルは、小山駅前・祇園城通りのパレードから始まり、市役所周辺会場にて市民の参加による「よさこいおやま」、小山の伝統芸能など様々な催しが行われ、辺りは多くの人々で賑わう。
 そして二日目の夜の見ものは、なんといっても花火大会だが、これは戦後間もない昭和二四(1949)年に人々の心をなぐさめ、元気づけようと始められたものである。
 今ではスターマインを中心とする尺玉の打ち上げ、そして花火師達による絢爛豪華な花火の競演やナイアガラなど、関東でも有数の規模を誇る二万発を超える花火が夜空を焦し、大輪の美しい花を咲かせ、観客を魅了し続けている。
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2007/8/13


俵津文楽 Tawarazu-bunraku 

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 俵津文楽(たわらづぶんらく)は愛媛県指定無形民俗文化財に指定されている人形浄瑠璃である。嘉永五(1852)年伊井庄吾が大阪から人形数個を購入し、人形芝居を始めたのが発端とされている。
 約8キロの重さの人形を、頭と右手、左手、両足を3人がそれぞれ息を合わせて操る。
 三味線に合わせて太夫が老若男女様々な登場人物を演じ、さらにそれに合わせて人形遣いが人形を操り、生きた演技で感情を表現する。
 この文楽が公演されているのが、御殿風瓦葺き屋根の俵津文楽会館である。
 この会館には県指定有形民俗文化財「俵津文楽人形頭、衣裳道具一式」をはじめ、文楽に関する資料120点余りが、保存状態も良く、展示されている。普段触れることの少ない文楽の世界を味わうことができる。
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2007/7/31


上杉まつり Uesugi-matsuri Uesugi Festival

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 山形県米沢市の城下町で毎年行なわれるお祭り。
 藩祖・上杉謙信公を祭神とする上杉神社と、2代景勝公・10代鷹山公を合祀する松岬神社の春の大祭である。
 4月29日から5月3日の期間、
会場となる松が岬公園には露店がたちならび、多くの人で賑わう。
 祭りのならわしで、家庭の主婦はいそいそとウコギを摘み鯉を煮て、祭料理に精をだす。
 笛や太鼓の音にのせて,千人規模の踊り手が色とりどりの衣装に身を包み、花笠踊りなどを踊り町中を練り歩く。
 最終日には、上杉、武田軍が死闘を演じた「川中島の合戦」を再現。両軍あわせて約700名もの武者姿の人々や馬たちが、実践さながらに演じる。
 
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2007/7/12


釜石よいさ Kamaishi-yoisa Kamaishi Yoisa Festival

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 釜石よいさ(かまいしよいさ)は、岩手県釜石市大町にて行われる祭りである。
 昭和六二(1987)年、釜石に住む若者を中心に、自分達の手で活気ある街を造る事は出来ないか、と1万人の虎祭り「釜石よいさ」を開催したのがはじまり。
 市内の目抜き通りは夕暮れ頃から歩行者天国となり、約3000人の踊り手が集まり、賑やかに釜石よいさの輪ができる。
 市内の幼稚園児によるかわいらしい「子どもよいさ」や、市役所職員らによる「よいさ小町」、先太鼓などが披露される。
 その後には参加団体ごとに趣向を凝らした衣装・山車が出る。
 「サーサ、ヨイヤッサー」の威勢のいい掛け声とともに、跳んだりはねたりとエネルギッシュなのが特徴とされる。
 釜石よいさは、釜石市民も観光客もみんなが総出で楽しめる、躍動感あふれる祭りである。
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2007/6/27


旧檜山爾志郡役所 Kyuu-hiyama-nishi-gun-yakusho 

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 旧檜山爾志郡役所(きゅうひやまにしぐんやくしょ)は、北海道檜山郡江差町にあるかつての役所跡である。
 延宝六(1678)年、江差地方に自生するヒノキアスナロの伐採取締番所として、檜山番所が上ノ国から江差に移転した。その後、檜山奉行所と改称された。
 明治一二(1879)年、道内各所に郡が設けられ、檜山郡と爾志郡の二郡を管轄する郡役所として檜山爾志郡役所が設置された。
 明治二〇(1887)年、檜山爾志郡役所兼江差警察署庁舎として落成したのが、現在の旧檜山爾志郡役所である。
 内部では郡役所制度の変遷などをパネルで解説しており、郡長室には初代郡長の人形があって当時をしのばせている。
 旧檜山爾志郡役所は、北海道で現存する唯一の旧郡役所であり、全国にも25棟しか残っていない貴重な建物のひとつである。
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