NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/9/22


下鴨神社 Shimogamo-jinja 

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 下鴨(しもがも)神社は、正式名称を賀茂御祖(かもみおや)神社といい、上賀茂神社と並んで京都で最も古い神社の一つである。社殿が造営されたのは天武六(677)年といわれている。古代豪族である賀茂氏の氏神社で、賀茂建角身命(かもたけのつぬみのみこと)と玉依姫命(たまよりひめのみこと)が祭神で、平安遷都後は王城の守護神として崇められてきた。
 白砂が敷き詰められた広大な境内には国宝になっている東西二棟の本殿と、五五棟の社殿が建ち並び、その多くは重要文化財に登録されており、世界文化遺産でもある。
 本殿西側にある「大炊殿」は神様へのお供え物、いわゆる神饌(しんせん)を調理する神様の台所で、重要文化財である。 境内の御手洗池の底より湧いてくる泡をかたどったのが「みたらし団子」の起源で、昔は無病息災を願って神前に供えられていた。
 その他、五穀豊穣や縁結びにも御利益がある神社である。
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秩父夜祭 Chichivuyo-matsuri 

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 秩父夜祭(ちちぶよまつり)は、埼玉県秩父市番場町の秩父神社にて、毎年一二月一~六日に開催されている例大祭であり、京都祇園祭、飛騨高山祭と共に日本三大曳山祭の1つに数えられている。
 秩父神社は崇神天皇の御代(紀元前97~紀元前30)に創建されたと伝えられる古社で、祭神は八意思兼命(やごころおもいかねのみこと)、知知夫彦命(ちちぶひこのみこと)、天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)、秩父宮雍仁親王(ちちぶのみややすひとしんのう)。
 例大祭は古代から神事祭礼として行われてきたとされているが、具体的な開始時期は不明である。享保年間(1716~36)、例大祭に付祭として、笠鉾・屋台の曳行をはじめとする屋台行事が始まったと言われている。
 毎年一二月二日が宵宮、一二月三日が大祭で、国指定の重要民俗文化財である6台の屋台・笠鉾が牽引され、三日の夜にクライマックスを迎える。秩父の人々にとっては、1年の総決算ともされる祭りである。
 
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2008/9/8


水中綱引き Suichuu-Tsunahiki 

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 福井の水中綱引きは、福井県三方郡美浜町日向にて行われる、無病息災・豊漁を願う伝統行事である。国の無形民俗文化財に指定されている。
 真冬の1月第3日曜日に行われ、運河に飛び込んだ若い男達が、結ばれた大網を東西に分かれて引きちぎり、神に捧げるため切れた網を外海に流す。
 美浜町日向は、三方五湖のひとつ「日向湖」と若狭湾の間にある細長い町で、古くから漁師町として知られていた。その昔、日向と若狭湾を繋ぐ運河に大蛇が出て川を塞いで困っていた所、「蛇は自分より大きいものを恐れる」と言われ、藁で大きな綱を造り、運河に張っておいたら大蛇はいなくなったという。村人は喜び、縁起の良い綱に触れようと海中で引き合ったのが、綱引きの由来とされる。
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2008/9/5


滝原の顕拝 Takihara-no-kenbai 

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 滝原の顕拝(たきはらのけんばい)は、宮城県仙台市太白区に伝わる県指定の民俗芸能で民俗文化財でもある。室町時代に広まった念仏踊をルーツとした、古態の念仏剣舞である。仙台では剣舞は多いが顕拝と記されているものは他にはなく、いわれは不明である。
 現在は伝教大師の弟子である慈覚大師によって建立された、秋保大滝不動尊の春祭に演じられている。
 踊りの装束(しょうぞく)は、日天役と月天役の踊手がその「建物」を、他の者は幣束(へいそく)を立てたざんぎりをかぶり、面を付け、長袖、裁著、襷、手甲脚絆、白足袋、切緒の草鞋をはき、剣を振り回しながら踊る。
 笠回しは長袖、腰帯、広帯、白足袋、切緒草鞋の女装で、紅白それぞれの幕を垂らした笠をかぶる。二つの笠には能で演じられる松浦小夜姫の人形と大蛇の作りものが乗せられている。
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金津七夕 Kanazu-tanabata 

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 阿武隈川の東岸に位置し、仙台藩の代官所や交通の要衝として栄えた宿場町金津(かなづ)。そんな歴史ある地区で、今から350年ほど前に始まったといわれ、藩制時代を経て今に続く伝統行事が金津七夕である。豊作祈願や虫除け、成長祈願を主とした行事で、宮城県の無形民族文化財にも指定されている。
 同じく七夕祭りである「仙台七夕」が大人主体の祭りであるのに対し、金津七夕はその一切を幼稚園から中学生までの子供達が、主体となって行っているのが特徴だ。
 地元子ども会手作りの七夕飾りが飾られた中、夕暮れになると祭りが始まる。星あんどんを先頭に夏の夜の下、拍子木を打ち鳴らしながら古今和歌集の古歌「七夕の戸渡る舟の梶の葉に幾秋かきつ露の玉ずさ」を歌いながら、提灯や竿灯を持って町中を練り歩く。ともすれば、夏の日の遠い思い出を垣間見るような、印象的な姿がそこにはある。
 織姫と彦星も夏の夜空から目を細めて、子供達の行列を見つめているに違いない。
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2008/9/4


野口鹿踊 Noguchi-no-shishi-odori 

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 野口鹿踊(のぐちのししおどり)は、宮城県仙台市太白区に伝わる、五穀豊穣、悪魔退散、家内安全を祈願する踊りだ。宮城県の民俗文化財に指定されている。
 もともとは盆の季節に先祖供養の踊りで、五色御幣(ごしきごへい)を配りながら集落の各戸を練り歩いていたという。
 他の地域の鹿踊りが白く長い角を付けた鹿に扮しているのに比べ、この野口鹿踊りは異形の鹿頭に五色御幣を背負い、太鼓を身につけて踊る。この鹿役の周りを道化面を付けた「ささらすり」が踊り、子供たちが鐘をならす。陰陽五行の古い信仰に基づいた姿形が、踊庭や装束などに残っている。
 
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2008/9/2


石手寺 三重塔 Ishite-ji Sanjuu-no-tou 

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 四国霊場でも随一の寺宝、文化財を有する名刹と言われる石手寺(いしてじ)は、真言宗の寺院で、四国霊場の第五一番札所。神亀五(728)年に聖武天皇の勅願により創建されたと伝えられる。
 もともとは安養寺という名前だったが、寛平四(892)年、城主河野家の子息が左手が開かないと言い出し、安養寺の住職に祈祷を頼み左手が開いたとき、手から「衛門(えもん)三郎再来」と書かれた小石が転がり落ちたため、石手寺と改めたと言われている。
 境内にある三重塔は国の重要文化財に指定されている。この三重塔のつくりは三間三重と呼ばれる形式で、屋根は本瓦葺になっている。鎌倉時代に立てられた三重塔としては愛媛県内唯一のものである。石手寺の境内は曼荼羅に作られ、三重塔を中心に右回り、左回りしながらお参りをすれば自然と心が和み、温かい心が全身によみがえってくると言われている。
 立派な堂宇が立ち並び、道後温泉の東にあたることから境内は参拝の人が絶えない。
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2008/8/29


大獅子小獅子の舞 Oo-jishi-ko-jishi-no-mai The Dance of Big Shishi and Small Shishi

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 年に一度、半田市の春の祭礼「春の山車祭り」で成岩神社に奉納される舞が「大獅子小獅子(おおじしこじし)の舞」である。
 祭礼に奉納される獅子舞は数多くあるが、その中でもこの舞の歴史は特に古い。江戸中期にはすでに舞踊られていたという記録が残っており、それ以前の流派が色濃く伝承されているという。
 大獅子・小獅子それぞれ二人で四足の獣体をかたどる伎楽(ぎがく)獅子と呼ばれる。
 白い鶏の冠をつけ、簓(ささら)と呼ばれる楽器を手にした男の子、「ささら摺りの童子」に寄り添われ、大獅子の舞が演じられる。乱獅子、花獅子、鳶獅子、剣獅子の四曲が大獅子によって演じられた後、小獅子の舞が始まる。
 道化役のおかめとひょっとこが現れ、軽快な調子で小獅子は十二曲の舞を演じる。農民達の雨乞いの祈りが込められているという小獅子は、地をのたうち雲を呼んで天に昇ろうとする龍の姿を演ずるものである。
 昭和四二年一〇月三〇日に県の無形民俗文化財に指定された。
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