NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/5/19


みんまや義経まつり Minmaya-yoshitsune-matsuri 

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 みんまや義経まつり(みんまやよしつねまつり)は、青森県東津軽郡外ヶ浜町三厩にて毎年八月一四日、一五日に行われている祭りである。
 この地区には、逃げ延びた源義経がここから北海道へ渡った、という伝説が残されている。
 祭りは義経伝説を再現したもので、義経や静御前、弁慶など従者40人ほどに仮装した行列が、三厩体育館から義経海浜公園まで行進する。
 平安朝絵巻が二日間にわたって繰り広げられ、流し踊り、花火大会、義経こだわりゲームなどの催しも多彩に行われる。
 三厩という地名も、義経が三つの石に馬を繋いだ、という言い伝えからきている。
 みんまや義経まつりは、義経伝説に因んだ、賑やかで楽しい夏祭りである。
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2008/2/7


五条大橋 Gojou-oohashi 

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 五条大橋(ごじょうおおはし)とは、京都府の京都市内の繁華街を、北から南へ流れる鴨川にかかる橋のことをいう。国道九号線と国道一号線を結び、京都でも有数の基幹道路に架かる橋として知られている。
 この橋は、もともと清水寺(きよみずでら)参詣のためにつくられた橋で、平安時代から中世まで清水寺が管理していた。
 五条大橋のたもとには、牛若丸と弁慶の像が建っている。この橋は牛若丸と弁慶が初めて出会った所とされているが、平安京の時代の五条大橋は現在の位置ではなく、今の五条大橋の北にある松原橋であったといわれている。豊臣秀吉が天正一七(1589)年、方広寺大仏殿造営の際に現在の五条大橋の位置に架け替えたのである。
 五条大橋での牛若丸と弁慶の戦いはあまりにも有名で、降参した弁慶は牛若丸、のちの源義経の家来になり、最後まで義経に忠節を尽くすのである。
 現在の鉄橋を完成させたのは、当時の京都市長であった高山義三(たかやまぎぞう)で、昭和三四(1959)年のことであった。
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2008/1/30


薩摩の水からくり Satsuma-no-mizu-karakuri 

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 毎年七月、鹿児島県下の各神社では境内に淡く美しい沢山の灯篭を灯す六月灯が行われる。場所によっては出店や花火、ミニコンサートもある夏の風物詩だ。
 加世田市竹田神社、知覧町豊玉姫神社、吹上町温泉祭りの三ヶ所ではこの六月灯に「水からくり」とよばれる人形劇が奉納される。
 浄瑠璃風の武者人形が舞台の上で矢を射、刀を交える。水からくりは人の手で人形を操作するのではなく、舞台の脇にある水車の動力を利用して、歯車や滑車などで全自動の舞台を設計、複雑な仕草や演技の描写を表現する。
 演目は牛若丸と弁慶、巌流島の決闘、那須与一や花咲かじいさん、かぐや姫、桃太郎など、親しみのあるもので、各上演時間は約20分ほど。パフォーマンス性たっぷりで、大人から子どもまで幅広く楽しめる。 
 水からくりは、全国で唯一の水車によるからくり人形であり、昭和五九年に国選択有形民俗文化財に指定された。
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2007/10/9


八王子 白山神社 Hachiouji Hakusan-jinja Hakusan Shrine in Hachioji

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 八王子の白山神社(はちおうじのはくさんじんじゃ)は、東京都八王子市中山にある神社である。祭神は、伊邪那岐命(いざなぎのみこと)。
 創建年代は明らかではないが、平安時代に比叡山、西塔の僧武蔵坊弁慶の血縁であった弁智が法華経を奉納した、関東七社の一社であると伝えられている。
 天正一八(1590)年、豊臣秀吉と北条氏政・氏直が戦った小田原合戦で焼失したが、慶弔一八(1613)年、再建された。
 境内には、仏教の経典を埋めた経塚があり、出土した仁平四(1154)年の如法経奥書には、かつて神社に隣接した神宮寺である長隆寺があったと記されている。
 また、樹齢1000年以上の高野まきの老木があり、都の記念物に指定されている。
 八王子の白山神社は、長い歴史を誇る古社である。
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2007/8/20


鶯沢神楽 Uguisuzawa-kagura 

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 目は鏡のごとく照り輝き、背びれ尾びれをたなびかせた大蛇をキラリと光る刀で打ち砕く。
 鶯沢神楽(うぐいすざわかぐら)は栗原市鶯沢地区に約150年前から伝わる伝統神楽である。
 宮城県北部、岩手県の信仰地であった岩手県一関市萩荘の自鏡山金剛院では、古くから祈祷として山伏神楽が奉納された。これが明治以降一般民衆に広がり、踊られる事によって、神々しい中にもストーリー性豊かで華やかなリズム、民謡調のセリフ回しなど、親しみのある南部神楽となったとされている。
 鶯沢神楽は、この南部神楽の師匠を招き習得したと言われており、このきらびやかな南部神楽の特色を強く持っている。
 現在は創作仕組舞として、弁慶安宅の関、扇の的、宝剣の納め盗み取り、大蛇退治などの演目があり、保存会が活発な活動を行っている。
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2007/8/10


義経・弁慶伝説 Yoshitsune-Benkei-densetsu Legends of Yoshitsune and Benkei

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 最上地域には、義経・弁慶に関する伝説が多く残っている。室町時代に書かれたとされる「義経記」によると、兄源頼朝の追手を逃れ岩手県平泉に向かう途中、文治3(1187)年に最上地域を通ったとされている。

 なかでも瀬見温泉周辺には、義経の子「亀若丸」の誕生に加護があったという子安観音などの義経主従にまつわる数々の伝説、旧跡が残されている。
 「瀬見」という名の由来には、弁慶が使っていたなぎなたの名が「せみ丸」であったから、亀若丸が落人の身であることを知って一度も泣かなかったので「泣かぬ蝉」から、キズを負っている蝉が、温泉の上の木に止まって湯煙で湯治をしていたから、など諸説ある。
 最上町瀬見の義経・弁慶にまつわる観光地には、産湯を探して谷川を下った弁慶が、なぎなたで岩を砕いたところ、温泉がわきでたとされる「薬研の湯」や、亀若丸の名をつける時、弁慶がすずりとして墨をすったといわれる「弁慶の硯石」などがある。
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2007/8/1


川台渓谷 Kawadai-keikoku Kawadai Gorge

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 川台渓谷(かわだいけいこく)は、宮城県栗原市栗駒沼倉川台にある景勝地である。
 栗駒ダムの東方、枯木立山の南側、長さ2kmにわたり流紋岩層を浸食した渓谷で、新緑・紅葉時の景観は素晴らしい。
 川台渓谷には義経伝説が残っている。源義経に縁の御俯金不動尊が岩の上に祀られ、沢のかたわらには遙拝所のような小さな御堂が建てられている。
 弁慶が「御堂の側には滝がなければならない」と言って、岩を軽々と転がして造ったとされるつくり滝、猿渡り等の奇勝があり、ハイキングも楽しめる場所である。
 10月下旬~11月上旬には、三の迫の渓谷をふさぐようにせり出した色とりどりの紅葉が燃えるような回廊をつくり、言葉にも表せないほど美しい様相を見せる。
 川台渓谷は、義経伝説と紅葉に彩られた名勝地である。
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2007/6/6


北海道 弁慶岬 Hokkaidou Benkei-misaki 

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 弁慶岬(べんけいみさき)は、北海道・寿都湾(すっつわん)の西、月越山脈が日本海に突き出た所にある岬だ。文字通り、弁慶ゆかりの伝説の残る寿都の名所である。
 その昔、弁慶の舎弟ともいうべき常陸坊海尊が、義経再挙の兵を募って蝦夷へ向かったという情報を得た弁慶は、毎日この岬の先端に立ち、海尊の到着を待っていた。そんな弁慶の姿を見ていたアイヌの人々は、この岬のことをいつしか「弁慶岬」と呼ぶようになったという伝説が残り、その姿を再現した銅像が建てられている。
 弁慶岬は「狩場・茂津多道立自然公園」の中にあり、夕日の名所としても有名だ。遥か遠くに狩場山、茂津多・積丹・雷電の岬を一望できるビュースポットである。夕暮れとともに点灯される弁慶岬灯台も、景勝をより幻想的なものにしている。
 岬に打ち寄せる波は、今も変わることなく沖へと弁慶の想いを運んでいるかのようである。
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