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2008/6/6


延年舞 Ennen-mai 

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 延年舞(えんねんまい)は、日光の輪王寺で舞われている千年以上の歴史を持つ舞曲であるという。
 天台宗の慈覚大師・円仁(じかくだいし・えんにん)が、唐から将来した秘舞曲とされ、寺伝によると祥元(848)年に、慈覚大師が日光山に来山した際に伝えられたという。
 延年舞は、毎年5月17日の午前8時に行われ、太鼓の音が鳴り響くと牡丹や唐草模様が描かれた、緋色の直垂(ひたたれ)に身を包んだ「舞衆(まいしゅう)」と呼ばれる二人の僧侶が登場する。
 朗々と声明(しょうみょう)を唱える一山の僧侶を背に、上座(じょうざ)の舞衆が重々しく、下座の舞衆が烏帽子(えぼし)を着けて軽やかに舞を奉納する。
 東照宮春季例大祭にさきがけて舞われるもので、現在は輪王寺と岩手県の毛越寺(もうつうじ)に残るのみであるという。
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八戸えんぶり Hachinohe-enburi 

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 「八戸えんぶり」とは、毎年二月一七日から四日間、八戸地方で行われる伝統芸能である。豊年祈願のお祭りとして知られ、昭和五四(1979)年二月、県内初となる国の重要無形民俗文化財に指定されている。
 「えんぶり」とは、昔「えぶり」という農具を手に持って舞ったことが由来となり、それがなまって「えんぶり」と言われるようになったといわれる。
 太夫と呼ばれる舞い手をはじめ、歌い手など総勢二〇人ほどで一組が構成される。太夫は農耕馬の頭を象徴する色鮮やかな烏帽子をかぶり、種まきから稲刈りまでの稲作における動作を表現し、頭を大きく振りながら舞うのが特徴であるとされる。
 えんぶりには「ながえんぶり」という昔ながらのゆっくりした形と、「どうさいえんぶり」という現代的な調子の速い活発な形があるといわれる。
 この祭りは、長者山新羅神社を中心に行われる。また、青森冬の三大まつり、みちのく五大雪まつりに数えられているという。
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2008/4/4


箟岳白山祭 Nonodake-hakusan-sai Nonodake Hakusan Festival

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 宮城県遠田郡涌谷町に、古くから信仰の山として広く知られている箟岳山(ののだけさん)がある。この山頂にある箟峯寺(こんぽうじ)で、箟岳白山祭(ののだけはくさんさい)が開催される。
 箟岳白山祭は一〇〇〇年以上の歴史を持っている古式ゆかしい祭り。正月を中心に約一ヶ月間行なわれるのだが、一番の注目行事は一月第四日曜に開催される御弓神事(おゆみしんじ)だ。
 当日は五穀豊穣を願う祈祷が行なわれ、白山様に白米を臼で挽いた「おしとぎあげ」が奉納される。その後小さな三角の烏帽子に鮮やかな直垂(ひたたれ)をまとった二人の稚児が住職に手伝ってもらいながら、一年、一二ヶ月を意味する一二本の矢を射る。
 的中すると好天に恵まれ、はずれてしまうと強風、という具合に、その年の天候や農作物の豊穣の吉凶を占う。 
 可愛らしい稚児の御弓天気占いは当たると好評だ。

 
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2008/2/27


違い棚 Chigaidana 

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 和室の象徴ともいえる床の間に造作された、左右に分かれた高さの違う棚を2段組み合わせたものが違い棚(ちがいだな)である。
 床の隣に設けられる床脇棚の一種であり、他にも一枚棚の「一分字棚」や、円窓と違い棚を組み合わせた「満月棚」など、四八種類存在するといわれている。
 段の高いほうが隣の床と隔てる壁に接するように造作され、上下の段が交わる中央部分には、海老束(えびづか)と呼ばれる支持具が入る。
 段差が設けられたのは、隣の床との境界に設けられた壁の下にある「狆潜り」(ちんくぐり)からの光を遮らないように工夫されたものである。
 棚に置くものは、元来は決められており、高い棚には冠や香炉、筆を置き、低い方の棚には烏帽子や壺、印判、巻物などを置くとされていたため、今も高いほうの棚の端には、筆が落ちるのを防止するための筆返しを装飾として設ける風習が残っている。
 互い違いが生む絶妙なバランスは、床の間における、床柱と並ぶもう一つの顔といえるだろう。
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2008/2/7


おばけの金太 Obake-no-kinta Obake no Kinta

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 「おばけの金太(きんた)」は、熊本県熊本市に伝わる郷土玩具である。
 からくり人形の頭だけの張り子玩具で、頭の後ろにある紐を引くと、どんぐり目玉がひっくり返って「あかんべぇ」と舌を出すのが大きな特徴である。頭の中に竹ばねが入っていて、紐を引くと舌と目が一緒に動くようになっている。真っ赤な顔に黒い烏帽子をかぶった姿は強烈な印象があり、子どもには怖がられているが、大人には人気のある玩具で知られている。
 加藤清正が熊本城を築城したとき、顔だちが面白く、人を笑わせることが上手な「おどけの金太」と呼ばれていた足軽の金太という人気者がいた。嘉永年間(1848~1853)、金太の伝説をもとに人形師である西陣屋彦七(にしじんやひこしち)がからくり人形を作りだしたのがはじまりといわれ、その後「おばけの金太」を別名「目くり出し人形」と呼ぶようにもなった。
 このからくり人形は、仕掛けとなる竹ばね作りが出来上がりを左右するといわれている。
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2007/11/29


のぼりざる Nobori-zaru Climbing Monkey

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 のぼりざるは宮崎県延岡に伝わる郷土玩具で、子供の立身出世、無病息災、五穀豊穣を願い、端午の節句に鯉のぼりと一緒に上げられる。風を受けると竿を伝って上へ昇る。
 今から200年ほど前、延岡内藤藩の武士の妻たちの手内職としてつくられるようになったと伝えられるが、その由来はいくつかあり、神話時代の猿田彦の乱暴狼藉を戒めるためとか、延岡藩の旧藩主有馬公が戦の時、背に負った馬印に猿を描き勝利したためとかいわれている。
 人形は木材で猿の型を作り、そこに和紙を何重にも張り重ね、背を切り開き木材の型を取り出し、背を縫い合わせ色付けをする。その猿に金筋入りの烏帽子をかぶらせ小鼓と御幣を持たせた、歌舞伎の前に行う祝儀の舞のいでたち風に仕上げられる。そして、菖蒲の絵の描かれたのぼりにつるされるのである。
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2007/11/12


烏帽子 Eboshi 

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 烏帽子(えぼし)とは、平安時代から近代にかけて被られた、長くて黒い帽子の事である。
 古代の帽子で、平安時代には公家は円筒状の立烏帽子、武家は少し先が折れた折烏帽子を着用した。
 冠から派生していると考えられ、文字どおり烏の羽根のように黒い漆が塗布されている。
 平安時代以降になると、身分の貴賤にかかわらず成人男性が被った帽子を指し、被り物をしていない頭を人前に晒す事は恥辱とされていた。
 当初は布で作られていたが、15世紀頃より紙に漆を馴染ませて強度を持たせた紙製の烏帽子が出現し、江戸期にかけて一般化するとともに、烏帽子の大型化に伴って頭頂を剃り上げる月代(さかやき)が普及し、一般民衆に烏帽子を被らない事が定着していった。
 烏帽子は、中世日本の成人男子にとって、基本となる服飾である。
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2007/10/31


西琳寺 Sairin-ji Sairinji Temple

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 西琳寺は、大阪府羽曳野市古市にある高野山真言宗の寺院である。本尊は薬師如来立像。
 欽明天皇の勅願寺として建立された向原寺を起源とし、7世紀前半に百済系渡来人の王仁博士の後裔である西文(かわちのふみ)氏が開基したとされる。
 出土品の瓦などから、飛鳥時代の創建が裏付けられているが、境内の庭に置かれた高さ2メートル近い塔礎石は重量27トンを超え、塔礎としては飛鳥時代最大のものである。また、当時の伽藍の資材について記された資料では、679年には七堂伽藍が完成し、743年まで七堂伽藍を揃えていた事が確認されているが、戦国時代の兵火と明治の廃仏毀釈により堂塔のほぼ全てを喪失した。
 河内飛鳥七福神の1つに数えられ、風折烏帽子に狩衣、釣竿を肩にかけ、こわきに鯛をかかえた姿の恵比寿神も祀られている。
 西琳寺は、長い歴史と伝説を持つ、古代寺院である。
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