NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/7/28


日前神宮 國懸神宮 Hinokuma-jinguu Kunikakasu-jinguu 

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 日前神宮(ひのくまじんぐう)と國懸神宮(くにかかすじんぐう)は一つの境内に二つの社が鎮座する日本では珍しい神社である。和歌山市の東の外れに位置する。二つの社ともに、創建二千六百年以上の由緒を持ち、紀伊国の一之宮である。
 神話で有名な天照大神(あまてらすおおみかみ)が天岩戸にお隠れになった時、岩戸より誘い出す手段として鏡が三つ鋳造されたという。そのうちの一つ、八咫鏡(やたのかがみ)は三種の神器の一つといわれ伊勢神宮に奉納され祀られている。残りの二つの鏡は、日像鏡(ひがたのかがみ)は日前神宮に奉納され日前大神として、もう一つの日矛鏡(ひぼこのかがみ)は國懸神宮に國懸大神として祀られている。
 このことから皇室との関係も深く朝廷からも篤く崇敬されてきた。現在の社は大正八年から大正一五に国費をもって改修されたものである。鳥居をくぐり参道を歩いていくと、東に国懸神宮が西に日前神宮が立つ。鬱蒼とした樹木に囲まれ静かで荘厳な雰囲気を醸し出している神社である。
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2008/7/25


香川 田村神社 Kagawa Tamura-jinja 

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 田村神社(たむらじんじゃは)香川県高松市にある神社である。
 創建は和銅二(709)年古くから讃岐の国で一番格の高い一宮として人々の崇敬を集めてきた。また、江戸時代初期、延宝七(1679)年には神仏習合を廃止、神道のみを重視し、国守松平家の祈願所としたことから幕府や武家からも大きな崇敬を集めていたといわれている。
 神社は琴平電鉄一宮駅そばに鎮座し、大鳥居をくぐりきれいに舗装された参道を行くと見事な拝殿が建つ。その裏には本殿がありその後ろの奥殿付近に定水と呼ばれる深淵がある。香川県は灌漑用のため池が多く水に関する信仰も強く、この淵にも蛇や竜に関する伝承も残されている。
 田村神社はさぬき七福神のひとり金箔が貼り付けられた布袋様の像が置かれており、参拝に訪れる人々を暖かく見守っている。
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徳島 大麻比古神社 Tokushima Ooasahiko-jinja 

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 大麻比古神社(おおあさひこじんじゃ)は徳島県鳴門市の大麻山(おおあさやま)の山麓に鎮座する神社である。古来より阿波の国でも格式の高い一宮として栄えてきた。
 神社の起源は阿波の国を治めていた天富命(あめのとみのみこと)が先祖の天太玉命(あめのふとだまのみこと)、大麻比古神を守護神として祀ったのがはじまりと伝えられている。天太玉命は第一代神武天皇の時代(紀元前585年ごろ)、阿波国で麻の播殖と開拓に努めた。
 神社周辺は県指定自然公園に指定されており美しい樹木に包まれている。参道の長さは1キロにも及び、境内には樹齢1000年を超える楠の御神木がそびえている。本殿は重厚な雰囲気を漂わせて、この社が由緒ある神社であることを物語っている。
 毎年正月の初詣には三が日で20万人以上の人々が参拝に訪れる地元でも有名な神社である。
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2008/7/24


吉備津彦神社 Kibitsuhiko-jinja 

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 吉備津彦神社(きびつひこじんじゃ)は岡山県岡山市の西に位置する神社である。古くから備前国の最も格の高い一宮として鎮座し、神社の背後にある吉備の中山は巨大な神の岩を有し、山全体が神の山として崇敬されてきた。
 吉備津彦神社は第一〇代崇神天皇(すうじんてんのう)の御世(紀元前一四八年頃)、この地を平定するために遣わされた大吉備津彦命(おおきびつひこのみこと)を祭神として創建されたと伝えられている。
 神社の正面八脚門の随身門をくぐると左手には大きな水盤舎、拝殿宝物館、神殿が建ち本殿へと続く。本殿は元禄時代(1688~1703)の建立で屋根は流造り、桧皮葺の流麗な様式であり県指定の重要文化財となっている。
 また、吉備津彦神社は夏至の日には太陽が正面鳥居の真正面から昇り、神殿の御鏡に入ることから朝日の宮とも称されている。
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2008/7/17


福岡 八坂神社 Fukuoka Yasaka-jinja Yasaka Shrine, Fukuoka

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 福岡県北九州市小倉の八坂神社(やさかじんじゃ)は北九州の一ノ宮で、小倉城北の丸跡に鎮座する。かつては祇園社と呼ばれ、鋳物師町にあったが明治になり八坂神社と名前がかわり、昭和九(1934)年に現在の地に遷座した。
 平安時代の初めには、すでに須佐之男尊(すさのうのみこと)が祀られていたのを、関が原の合戦での功により、丹後から転封となった小倉城主、細川忠興(ほそかわだだおき)が鋳物師町に祇園社を建立した。祭神は須佐之男尊(すさのうのみこと)他一二神。
 ある日、忠興が鷹狩に出かけた折り、小さな社を見つけ祠の中にある御神体を覗こうとした。その時、中から鷹が飛び出し忠興の目を蹴って飛び去った。失明の危機に陥った忠興はこれを神罰と受け止め、壮麗な社殿をつくり、目も快癒したと伝えられている。
 八坂神社は長きに渡り小倉の鎮守さまとして人々から崇敬を集め、毎年七月に行われる小倉祇園祭は日本三大祇園祭の一つとして見事な祇園太鼓のバチさばきが披露され小倉の人々の風物詩となっている
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2008/6/6


八幡馬 Yawatauma 

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 八戸をはじめ南部地方に伝わる、木彫り馬の郷土玩具が「八幡馬(やわたうま)」といわれる。仙台の「木ノ下駒」、福島の「三春駒」と共に日本三駒と呼ばれている。
 八幡(やわた)の一ノ宮である櫛引八幡宮(くしひきはちまんぐう)で、年に一度「流鏑馬」の祭礼が行われた際、参詣者のお土産として境内で売り始めたのが、約七百年前だと言われている。
 もともとは、農家の人たちが農閑期に副業として、八幡馬を作り始めたのが始まりとされる。当時は、親子馬が乗る台に四つ車がついており、引いて遊べる男の子用のおもちゃも売っていたという。
 胴体は、黒(鹿毛)・赤(栗毛)・白(芦毛)などの原色を使って鮮明に彩られており、馬の模様は八戸名産である「食用菊」や、八戸の名所である「蕪島(かぶしま)のうみねこ」などが使われており、八戸の特色を馬体に表しているという。昔から変わらず、ひとつひとつ丁寧に手作業で作られている。
 八幡馬は縁起物として、また記念品やお祝いの品として幅広く知られている。
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2008/5/26


府中市 大国魂神社 Fuchuu-shi Ookunitama-jinja 

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 東京都府中市、大國魂神社(おおくにたまじんじゃ)は、景行天皇四一(111)年に創建、その約五〇〇年後の大化元(645)年に、武蔵国の総社となったとされる、長く古い歴史を持つ神社である。
 その後、一宮から六宮までを勧請して六所宮とし、総社と合祀して武蔵総社六所宮と称された。源頼朝、北条氏、足利氏など数多くの武将にも崇敬され、社殿などが造営されている。
 大国魂大神(おおくにたまのおおかみ)を御祭神とし、神社を中心に甲州街道の宿場町として栄え、明治四(1872)年、社名は大國魂神社と改められた。
 毎年四月末から五月初めに行われる、古式ゆかしい例大祭「暗闇祭り」は、提灯の灯りだけを頼りに、人目に触れないよう神輿の行列を行う神事である。現在は夕刻に奉納されるようになったが、その伝統は今もしっかりと受け継がれている。
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2008/3/5


弥彦神社 yahiko-jinjya yahiko Shrine

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 越後平野の中央にそびえ立つ弥彦山の麓に、弥彦(伊夜比古)神社(やひこ(いやひこ)じんじゃ)はある。越後国の一ノ宮である。
 境内はうっそうとした樹林に覆われ、長い月日を経てきた老杉、古欅が佇んでいる。その創建年代は不詳だが、万葉集にも歌われたほどの古社。
 祭神は天香山命(あめのかごやまのみこと)。神武天皇の命を受け、越後国開拓のため地元の民に、漁労や製塩、稲作や養蚕などの農耕術を教えたという。かつては、伊夜比古さまと呼ばれ、越後の人々の心のふるさと、魂のよりどころとして、古くから栄えてきた。
 日本有数の長い日本刀である志田大太刀(しだのおおたち、重要文化財)や、源義家や源義経らに所以すると伝えられる武具などの文物が、社宝として宝物館に展示されている。
 現在の社殿は、火災のために焼失した後、大正五(1916)年に再建されたものである。
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