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2008/3/6


やんさんま Yansanma 

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 やんさんまは、富山県射水市加茂(いみずしかも)にある下村加茂神社(しもむらかもじんじゃ)にて、毎年五月四日に行われている神事である。県無形民俗文化財に指定されている。
 下村加茂神社は、京都・賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ)の荘園・倉垣荘の荘家跡に勧請された神社である。
 やんさんまの語源は流鏑馬(やぶさめ)から来ているとされ、下村加茂神社の春の大祭として、地元では昔からこの呼び名で親しまれている。
 祭りでは、走馬(そうめ)から始まり、神幸式、牛乗式、獅子舞、流鏑馬などが行われる。
 牛乗式は、田の神となった武者が牛に乗り、その牛を若衆が地面に押し伏せるという珍しいもので、祭礼の最後は、走る馬上から矢を射る流鏑馬神事が行われる。
 やんさんまは、参道を駆け抜ける様も勇壮な、流鏑馬祭りである。
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2007/8/14


家康行列 Ieyasu-gyouretsu Ieyasu Gyoretsu (Procession)

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 家康行列(いえやすぎょうれつ)は、愛知県岡崎市にて毎年4月に行われる催事である。
 岡崎市主催の戦国祭り「家康行列」は、桜が満開な「桜まつり」のメインイベントして開催される。
 行列の起源は江戸時代にまでさかのぼり、明治初期には龍城神社の行事として行われていた。
 天下統一した徳川家康の遺影をしのび、三河武士をたたえる行事で、公募で選ばれた徳川家康を中心に武士団、姫列など1000余名の武者、騎馬十余頭が市内主要路を練り歩く。
 勇猛な三河武士団の出陣式や行進、地域の歴史紹介などによる、絢爛豪華な時代絵巻は、素晴らしい見せものなっている。
 桜が綺麗な河川敷は桜百景のひとつにも数えられている場所で、家康行列との融合は幻想的な印象を見る者に与える。
 行進中に、鉄砲隊と槍隊が演武を披露するほか、河川敷では「合戦祭り」が開催される。
 家康行列は、岡崎の春の風物詩となっているイベントである。
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2007/8/10


義経・弁慶伝説 Yoshitsune-Benkei-densetsu Legends of Yoshitsune and Benkei

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 最上地域には、義経・弁慶に関する伝説が多く残っている。室町時代に書かれたとされる「義経記」によると、兄源頼朝の追手を逃れ岩手県平泉に向かう途中、文治3(1187)年に最上地域を通ったとされている。

 なかでも瀬見温泉周辺には、義経の子「亀若丸」の誕生に加護があったという子安観音などの義経主従にまつわる数々の伝説、旧跡が残されている。
 「瀬見」という名の由来には、弁慶が使っていたなぎなたの名が「せみ丸」であったから、亀若丸が落人の身であることを知って一度も泣かなかったので「泣かぬ蝉」から、キズを負っている蝉が、温泉の上の木に止まって湯煙で湯治をしていたから、など諸説ある。
 最上町瀬見の義経・弁慶にまつわる観光地には、産湯を探して谷川を下った弁慶が、なぎなたで岩を砕いたところ、温泉がわきでたとされる「薬研の湯」や、亀若丸の名をつける時、弁慶がすずりとして墨をすったといわれる「弁慶の硯石」などがある。
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2007/6/1


口羽家住宅 Kuchiba-ke-juutaku The Residence of the Kuchiba Family

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 萩藩(長州藩)寄組士、口羽家(永代家老に次ぐ寄組という役職)の住宅。旧萩城下に残る上級武士の屋敷としては古く、かつ全国的にも比較的数の少ない武家屋敷のひとつとして貴重なものである。
 毛利家江戸藩邸の門を移したと伝えられる、国の重要文化財の表門は、桁行22.2m、梁間4.9mの入母屋造り本瓦葺きである。表側は白壁、腰下はなまこ壁が美しい長屋門で、萩に現存する屋敷門の中で最大のもの。、主屋は、切妻造り桟瓦葺きで、入母屋造りの突出部を付けている。座敷と奥座敷の間に武者隠しと見られる2畳の「相の間」が設けられているのが特徴である。
 建築時期は18世紀末から19世紀ごろと思われ、現在も、往時と同じそのままの場所に残っている。
 口羽家住宅の主屋と表門は国の重要文化財に指定されている。
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2007/4/23


時代祭り Jidai-matsuri 

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 時代祭りは毎年10月22日に行なわれる平安神宮の祭礼の事である。
 京都の三大祭の一つであり、明治二十八(1895)年に平安神宮の創建を祝い行なわれたのが始まり。
 京都の歴史と文化を表す祭りであり、明治維新、江戸、安土桃山、吉野、鎌倉、藤原、延暦の七つの時代の著名人、志士、武士、公卿、夫人などの様々な衣装をまとった十八の行列のほか、江戸時代、中世、平安時代の婦人列は京都の5花街が輪番で奉仕され、京都御所から平安神宮までを練り歩く。
 総勢約二千人、およそ2キロにもおよぶ行列は、京都の時代風俗をいながらにして一度に見ることが出来る歴史行列として人気が高い。
 京都の町衆により構成される市民組織の手により作られ、運営されている祭りである。
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2007/2/14


刈谷万燈祭 Kariya-mando-matsuri Kariya Mando Festival

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 愛知県刈谷市に伝わる、歴史ある祭り。愛知県の指定無形民俗文化財に指定されている。
 祭りの歴史は、200年前といわれている。飢饉のとき、刈谷城主が祈願祈祷を行なったのち、雨が降り庶民たちが救われたことがきっかけとなっていると伝えられる。そのため万燈祭りは雨乞い祭りとも言われる。
 万燈は武者の絵を形どった
 縦横約5メートル、幅2メートルほどの、竹、和紙などで作った大きな行灯のようなものである。
 これを人が担いで町中を練り歩く。夜になると、行灯の中に明かりが灯され、和紙に描かれた武者の絵が、ぼんやりと浮かび、神秘的な世界を醸し出す。
 毎年7月の最終の土曜日、日曜日に行なわれている。
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2007/2/9


佐沼城 Sanuma-jyou Sanuma Castle

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 文治年間(1185〜1187年)の頃、藤原秀衡の重臣照井高直によって築かれ、奥州藤原氏滅亡後、源頼朝の家臣葛西氏の領有となったが、文明の末頃には大崎氏の家臣石川氏が拠った。
 築城の際、鎮護のために鹿を生き埋めにしたことから「鹿ヶ城」とも呼ばれ、沼や川に囲まれた天然の要害「水城」である。
 本丸跡は現在は鹿ヶ城公園となっており、かつては二の丸の南西側に鯛沼と呼ばれた沼が広がり外堀の役割を果たしていた。
 また本丸跡の東側には迫川が流れ、自然の堀のようになっており、出雲神社・照日権現が建っていますが、社の近くには佐沼城の沿革を記した「佐沼城址碑」がある。
 本丸の端の方にはこんもりと若干盛り上がった土塁跡が認められ、かつての佐沼城の面影を残している。
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2007/2/7


大分 七夕まつり Ooita Tanabata-matsuri 

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 大分の夏の風物詩「大分七夕まつり」。大分県中心部商店街が趣向を凝らした色鮮やかな「七夕飾り」で彩られ、美を競い合う。
 メイン会場では、初日は武者姿や昇り龍をかたどった勇壮でダイナミックな「府内戦紙(ふないぱっちん)」と呼ばれる電照山車が威勢よく練りあるく。「府内」とは大分県の古称、「戦紙(パッチン)」は「メンコ」の大分方言のこと。描かれる絵柄がめんこに似ていることからこの名が付けられた。
 2日めは、「チキリンばやし市民総おどり大会」や「みこし大会・渡り拍子大会」などを開催。最終日は大分川弁天大橋上流にて花火大会で豪快に祭りを締めくくる。
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