NIPPON Kichi - 日本吉

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2007/11/9


佐原 伊能忠敬旧宅 Sawara InouTadataka-kyuutaku 

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 佐原の伊能忠敬旧宅(さわらのいのうただたかきゅうたく)は、千葉県香取市佐原にある建築物である。屋敷内の土蔵も含めて、国の史跡に指定されている。
 伊能忠敬は、隠居後五〇才を過ぎてから江戸に出て幕府天文方高橋至時の門に入り、西洋天文学・西洋数学・天文観測学・暦学等を学び、幕府の命令で五五~七一歳まで、一七年間全国各地を測量し、大日本沿海輿地全図を完成させた。
 旧宅は、伊能忠敬が三〇年余り過ごした言われる家で、商家造りの瓦葺き平屋建て、表の店舗と奥の母屋からなり、店舗は醸造業の倉庫を改造したもので、土間・帳場・居室・台所等が存在する。
 母屋は、寛政五(1793)年、忠敬が四八才の時に自身の設計により作ったものとされる。
 伊能忠敬旧宅は、五〇を過ぎてから新しい道を切り開いた努力家・忠敬の苦労と人柄が偲ばれる建築物である。
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2007/10/24


【潮】 Chou The Character for Tide

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 大自然をテーマとする親しみやすい字。
 本来は水と艸と日だけを合わせた字で、後で月が加わりました。日(太陽)の上下に草があります。左右が反対の字体もあります。月がはじめて加わるのは篆文(てんぶん)です。古代、太陽と月の天体の形そのものを表すためにその字の真ん中に点を付けることがありました(例外あり)。現在の「日」の真ん中の線はこういう由来です。また他の字と間違えないためでもあります。例えば、環の中の○と太陽を区別できるように。(実は、詩的な言葉使いでは、太陽、月、星はよく玉にたとえられました。『荘子』でもそうです。)
 潮の甲骨文字と金文(きんぶん)の旧字体には月の部分がまったくありません。勿論、古代人が月に興味がなかったというわけではありません。ただ、月の引力は潮の満ち干を起こさせるといった科学的な因果関係についての認識がなかっただけだと思われます。
 『百人一首』などのような平安文学をみても月に対する日本人の特別な思い入れがわかりますが、それほどまででないにしても、古代中国人の月への執着も著しいものです。青銅器に刻まれた金文にある望という字には、月を4週に分かつ時間の捉え方が見られます。また、この字には、月への執着だけではなく、月の引力発見にまで至らないものの、冷静な天文学的な、雲気などの観察との関係もみられます。
  
■ 潮・金文(きんぶん)
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2007/10/23


源空寺 Genkuu-ji 

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 源空寺(げんくうじ)は、東京都台東区東上野にある浄土宗の寺である。本尊は、円光大師、阿弥陀如来。
 天正一八(1590)年、道阿霊門上人が湯島に草庵を結び、上人の徳を慕って多くの信者が集まったのが起源とされる。
 慶長九(1604)年、徳川家康によって湯島に寺領を賜わり、堂宇を寄進し、開基された。
 明暦の大火で焼失し、浅草へと移転して諸堂が再建されたが、その後も何度も焼失している。しかし、深い信仰により随時再興され、今日に至っている。
 江戸初期の町奴・幡随院長兵衛(ばんずいんちょうべえ)、天文学者高橋至時、その弟子で日本初の実測地図を作った伊能忠敬、西洋の画風を取り入れた江戸末期の文人・画家谷文晁など、江戸時代に活躍した人々の墓が多くある。
 源空寺は、江戸時代の文学・科学の空気を伝える古寺である。
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2007/9/21


安倍清明 AbenoSeimei Abeno Seimei

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 陰陽師として知られる安倍晴明(あべのせいめい)は、平安時代の『今昔物語集』、鎌倉時代の『宇治拾遺物語』、歌舞伎や文楽の演目の中で語り継がれてきた伝説的な人物。
 出自には謎が多い。幼少期から怪異を見る力があり、当時の陰陽道の大家・賀茂忠行に師事して、天文・暦法・占術などの知識を吸収した。やがて、式神を操り、病を鎮め、雨を降らせるまでに至ったが、晴明の個性は、時空間を読む力、暦の秘密の把握にあったという。陰陽五行と占術の関係を理論化した『占事略決』を始め、いくつかの秘伝書を記した。
 当時としては異例の85歳という長寿だった。晴明の死後、彼の子孫は土御門家として、歴史の舞台裏で君臨し続けた。京都にある安倍晴明神社には、今でも参拝者の姿が途絶えない。
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2007/6/21


夏至 Geshi Geshi (Summer Solstice)

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 夏至(げし)とは、六月二一日頃の一年中で一番昼が長く夜が短い日。
 天文学的には、太陽が天球上で最も北に位置し、北半球では太陽の南中高度が一番高くなるため、起こる現象。
 南中高度が変わるのは、太陽の通り道が地軸に対して23・5度傾いているため起きるためである。この傾きが季節を作っていると言っても過言ではなく、太陽高度が高くなる夏至を過ぎると夏が訪れることになる。
 冬至などに比べこの時期に特別なことを行う風習は少ないようであるが、夏至の日から一一日たった七十二候の半夏至の頃には、関西地方では、田植えの時期であることから、稲がタコの足のようにしっかり根が生えるようにと祈りを込めてタコを食べる風習や、香川県讃岐地方では、田植えが終わった頃に手伝いの人に讃岐うどんを振舞うため、7月2日をさぬきうどんの日と制定している。
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2007/6/11


雨水 Usui Usui

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 雨水(うすい)は、一年を24に分割した二十四節気の1つで、毎年2月19日頃の事である。
 天文学的には、太陽黄経が330度の時で、空から降るものが雪から雨に変わり、雪が溶け始める頃とされる。
 正月中で、暦便覧には「陽気地上に発し、雪氷とけて雨水となればなり」と記されている。
 この日に雛人形を飾り附けると良縁に恵まれるとも言われている。
 雨水はまた、十二支月の寅月の後半にあたる。寅は演に通じ、自己主張のために演じる働きを意味する。立春で自己主張の意思がめざめ、雨水ではさらに感情が加わり、自分の意思や感情を理解してもらうために演じるという時期であるともされている。
 雨水は、春一番が吹き、鶯の鳴き声が聞こえ始める地域もある、昔から農耕の準備を始める目安とされてきた時期の暦である。
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2007/5/29


立夏 Rikka Rikka

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 立夏(りっか)は、1年を24に分割した二十四節気の1つで、毎年5月6日頃の事である。
 天文学的には、太陽黄経が45度の時で、この日から立秋の前日までが夏となる。春分と夏至の中間にあたる。
 新緑の季節で、九州では麦が穂を出し、北海道では馬鈴薯や豆の種まきが始まる。
 この時期、農家では田植えが始まり、畦(あぜ)では蛙が鳴き始め、さわやかな風を受けて鯉のぼりが大空に舞う。
 カレンダーには、夏が来たという意味の「夏が立つ」などと記載されている場合もある。
 立夏の頃は、気持ちの良い風が吹き、晴天が続くので外に出ることが楽しみな時期である。
 立夏は、大地が草で覆われ木々が青々と繁り、徐々に太陽の日射しが肌を刺す日が多くなっていく、夏が始まる日である。
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秋分 Syuubun Shubun(Autumnal Equinox)

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 秋分(しゅうぶん)は、1年を24に分割した二十四節気の1つで、毎年9月23日頃の事である。
 天文学においては、太陽が秋分点を通過した瞬間、すなわち太陽の視黄経が180度となった瞬間を秋分と定義している。
 春分と同様に、秋分では昼夜の長さがほぼ同じになる。
 秋分の日は「祖先を敬い、亡くなった人を偲ぶ日」として、国民の祝日に制定されている。
 元々農村部では秋分の頃に豊作を祝う自然信仰があり、山の神様である祖先の霊を秋分以降に里から山へ送る儀式が行われていた。
 仏教の浸透とともに秋分は「秋の彼岸」として祖先を供養する意味を持ち始め、明治時代に秋分の中日を「秋季皇霊祭」と定め、宮中において祖先をまつる日となった事がきっかけで、一般の間でもその意味で定着していった。
 秋分は、日本古来より伝わる暦上の伝統行事である。
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