NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/2/15


川崎和男 Kawasaki Kazuo Kawasaki Kazuo

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 1949年福井県生まれ。デザインディレクター。医学博士。
 金沢美術工芸大学産業美術学科卒業後、東芝に入社。伝説のオーディオAurexをロゴを含めて手がけたのち、1979年に独立。2年後には地元、福井に拠点を移す。以降、ナイフ、液晶テレビ、眼鏡、人工心臓にいたるまで多岐にわたる製品のデザイン、研究を進める。
 2001~03年まで、グッドデザイン賞審査委員長。現在、大阪大学大学院工学系研究科教授のほか、同大学コミュニケーションデザインセンター、未来医療センター、フロンティア研究センターの各教授も兼務する。
 デザイナーとは「理想主義を、具体的に目に見える形で提案できる職業」だとし、数学、サイエンス、テクノロジー、アート、すべてを導入して、冷徹に、そして厳密に現実を構築していく。
 DESIGN A DREAM デザインの力で世界を変えることができると、本気で信じているデザインディレクターが、日本には少なくとも一人は、いる。
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2007/12/25


EIZO FORIS.HD Eizou Forisu.eichidi EIZO FORIS. HD

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 磨き上げられたシンプルなデザインと、クオリティの高さが人気のカラー液晶テレビEIZO FORIS(フォリス)の新ラインが登場した。
 1台でテレビとPCモニターを兼ね、映像においては、垂直720ライン以上の解像度を保持、なおかつアスペクト比率が16対9である高解像度でありながら、従来のFORIS開発で培った、目にやさしい映像を継承する。
 音響面では、人間の生活の基底をなすピタゴラスの定理(3対4対5)に則り、低音部、高音部共に効果的で優れたクオリティを発揮することに成功した。
 側面には、日本発の製品であるという誇りの意識と共に、高貴とされる伝統色・弁柄(べんがら)の鮮やかな朱色を配す。
 デスクトップというパーソナルなたたずまいと共に、テレビとPCが最先端で融合進化した、新しい情報ターミナルの誕生である。
 
■デザインディレクター
 川崎和男
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2007/11/26


あきる野 二宮神社 Akiruno Ninomiya-jinja 

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 二宮神社は、東京、あきる野市二宮に鎮座する、國常立尊(くにとこたちのみこと)を祀神とした神社である。
 その創建年代は不明ながら、日本武尊が東征の折り、國常立尊を祀ったのが始まりといわれ、平安時代に編纂された延喜式神名帳にも登場する、古式ゆかしい神社である。
 また、藤原秀郷(ひでさと)が、平将門追討の折り、同社に戦勝祈願を行ったとも伝えられている。
 同社は多摩市の一の宮から始まり、横浜市の椙山神社を六の宮とする「武蔵六社宮」の二の宮にあたり、社号もこれに由来している。
 毎年九月八日から二日間、しょうが祭りが行われており、普段は静かな境内も「しょうがを食べれば風邪を引かない」という言い伝えの元、多くの参拝者で賑わいを見せる。
 境内には都内で最も古いといわれる、数学の問題を解いて奉納した算額が残されている。
 緑多い静かな境内で算額を前に、昔の人と知恵比べをしてみるのも面白いかもしれない。
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2007/11/9


佐原 伊能忠敬旧宅 Sawara InouTadataka-kyuutaku 

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 佐原の伊能忠敬旧宅(さわらのいのうただたかきゅうたく)は、千葉県香取市佐原にある建築物である。屋敷内の土蔵も含めて、国の史跡に指定されている。
 伊能忠敬は、隠居後五〇才を過ぎてから江戸に出て幕府天文方高橋至時の門に入り、西洋天文学・西洋数学・天文観測学・暦学等を学び、幕府の命令で五五~七一歳まで、一七年間全国各地を測量し、大日本沿海輿地全図を完成させた。
 旧宅は、伊能忠敬が三〇年余り過ごした言われる家で、商家造りの瓦葺き平屋建て、表の店舗と奥の母屋からなり、店舗は醸造業の倉庫を改造したもので、土間・帳場・居室・台所等が存在する。
 母屋は、寛政五(1793)年、忠敬が四八才の時に自身の設計により作ったものとされる。
 伊能忠敬旧宅は、五〇を過ぎてから新しい道を切り開いた努力家・忠敬の苦労と人柄が偲ばれる建築物である。
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2007/11/8


播州そろばん Bansyuu-soroban 

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 兵庫県の播磨平野に位置する小野市は、播州そろばん(ばんしゅうそろばん)の産地として知られ、全国生産の七〇パーセントを占めるそろばんの町である。昭和五一(1976)年、国の伝統的工芸品に指定された。
 このそろばんの特徴は「すわり」「さえ」「気品」にあるといわれる。珠の動きに安定感があり、動きやすく止まりやすい「すわり」、珠を払うときに出る澄んだ「さえ」と呼ばれる音色、そして入念な細工と正確な組み立てによる優美な存在感が「気品」として表われている。
 珠は、別名斧折(おのおれ)とも呼ばれる堅い樺(かば)を用いてつくられるが、価値の高いものとなると、柘植(つげ)や黒檀(こくたん)などが用いられる。
 良質な木や竹をつかい、熟練された職人によって伝統ある技術品をつくりだす播州そろばんは、単なる計算道具というだけではなく、手や指先を使いながら心を和ませる作品として幅広く愛用されている。
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2007/9/28


植芝盛平 Ueshiba Morihei Morihei Ueshiba

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 植芝盛平(うえしばもりへい)は「合気道」の創始者。明治一六(1883)年、和歌山県生まれ。数学・物理に強く、英雄伝説や奇跡説話に関心を抱く少年だった。
 税務署勤務を経て、文房具店を開業後、古流武術や剣術を習得した。日露戦争に従軍した盛平の銃剣術は、連隊一だった。
 故郷に戻って農業に携わり、開拓移民として北海道へ。農業指導の傍らで、合気柔術を習った。
 父の病気平癒祈願の為に、京都の出口王仁三郎を訪ね、「鎮魂帰神法」の教えを受ける。触発され、京都に移住し、「植芝塾」を開設した。気・心・体がひとつになった「合気武術」を誕生させた。
 盛平の噂は、全国に広まり、多くの軍人や武道家を集めた。その後、東京に道場、茨城県に修練場と合気神社を併せもつ合気苑を建てた。
 海外に自ら出向くなど、晩年まで合気道の指導・普及に身を捧げた。
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2007/2/28


弘道館 Koudou-kan 

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 江戸時代後期に日本の常陸国水戸藩に作られた藩校。
 天保12(1841)年、烈公(徳川斉昭)により、水戸城三の丸に開かれた。敷地の総面積は約2万平方メートル。正庁を中心に右に文館、左に武館を配し、天文・数学・地図等の館と、養牛場・薬草園を持つ医学館などが立ち並び、総合大学の偉容を示していた。
 現在は、茨城県営の都市公園の1つである弘道館公園(こうどうかんこうえん)となっている。国の特別史跡に指定されており、正庁・至善堂・正門は国の重要文化財に指定されている。
 敷地西側の大半は武術調練場と馬場で、中央の広場の梅林の中に鹿島神社と孔子廟が祀られ、早春には構内外で美しい梅の花が見られる。
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2007/2/13


格子 Koushi Koshi

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 周期的に並んだ区切りや仕切りで、数学的な意味合いで使われる。一般的には格子戸や鉄格子などとして使われる。
 日本の格子戸は古来より、寺院建築に扉形式の格子戸が多用されており、平安時代後期には、引き違いの格子戸が広く使用される様になった。「源氏物語絵巻」「年中行事絵巻」などには、黒漆塗りの格子戸を引き違いに使ったり、はめ込み式に建て込んだ間仕切りの様子が描かれている。
 この様な格子戸の用い方は、隔てる機能を果たしながら、湿気の多い日本において、風通しを良くしたり、薄暗くならない様に光を取り入れたりしながら、美しく見せる機能美がある。これは、障子にも繋がっていくものである。
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日本の美意識。

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