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2007/10/31


鹿谷寺跡 Rokutan-ji-ato Rokutanji Temple Ruins

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 鹿谷寺跡(ろくたんじあと)は、大阪府南河内郡太子町にある寺院跡である。
 奈良時代に二上山山麓に造られた鹿谷寺は、凝灰岩の岩盤を掘り込んで作られた大陸風の石窟寺院であった。
 日本最古の本格的な石窟寺院と言われ、寺跡の中心部には、十三重の石塔と岩窟に彫りこまれた線刻の三尊仏坐像が遺されている。
 高さ5.2メートルの十三重石塔は、わが国最古の十三重石塔で、凝灰岩の地山を彫残して作られたものである。長年の風雨にさらされ、古色蒼然とし、古代の息遣いを感じさせている。
 東側の岩を掘って造られた岩窟内には、如来座像三体が線彫されている。こちらも風化がはなはだしく、一番左の如来座像の顔・胸部はすでに失われてしまっている。
 鹿谷寺跡は、日本では大変希少な、古代仏教関係の遺跡である。
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葛城山 Katsurag-isan Mt. Katsuragi

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 葛城山(大和葛城山)は、奈良県御所市櫛羅と大阪府南河内郡千早赤阪村にまたがる、標高959メートルの山である。
 金剛生駒紀泉国定公園内にあり、金剛山地において、金剛山と並ぶ主峰格である。
 葛城山の祭神は一言主神(ひとことぬしのかみ)。伝説によると、役の行者が葛城山から金峰山に橋を作っていた時、この神は容貌を恥ずかしがって夜間だけ手伝ってくれたという。
 四季それぞれの自然の美しい風物と、変化に富んだ登山コースは、ハイカーや登山者に人気がある。
 春のヤマツツジ、秋のススキで知られる高原状の山上台地は、山の形状がなだらかであるために、この付近を指して葛城高原と呼ばれている。
 葛城山は、四季折々の景観も美しい行楽地である。
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如意輪寺 Nyoirin-ji Nyoirinji Temple

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 如意輪寺(にょいりんじ)は、奈良県吉野郡吉野町吉野山にある浄土宗の寺である。
 延喜年間(901〜923)、文章博士三善清行の子で、日蔵道賢上人の草創とされる。本尊は如意輪観音。
 1336年、南北朝の戦いに敗れて吉野に行宮を定めた後醍醐天皇の勅願所となった。
 後醍醐天皇の没後、楠木正行が大阪四条畷の戦いに出陣する前に、やじりで堂の扉に辞世の歌を刻んだことでも知られている。
 慶安3(1650)年、文誉鉄牛上人が来て、本堂を再興し、真言宗を改めて浄土宗となった。
 如意輪寺には、南朝時代の寺宝や忿怒の姿を表した蔵王権現像、日本最大の寝拝観音「ねおがみ観音」など、歴史的に貴重な品が数多く展示されている。
 如意輪寺は、そこにいるだけで歴史を体感出来る、伝統の寺院である。
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2007/10/15


旧金毘羅大芝居(金丸座) Kyu-konpiraooshibai(kanamaru-za) The Old Konpira Oshibai Kabuki Theater (Kanamaruza)

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 金刀比羅宮への参道にある大門まで365段の石段が待ち構えている。その石段の上り口の南に歌舞伎専用劇場である金毘羅大芝居(こんぴらおおしばい)、通称、金丸座(かなまるざ)がある。現存するものとしては日本最古の劇場である。
 金丸座の創建は天保年間(1830~1843)である。当時は娯楽と呼ばれるものが少なく、金毘羅参りに訪れた人々の多くが金丸座に押し寄せたという。芝居小屋としての大きさも江戸、大阪、京都の大都市にある小屋に匹敵するものであり、東西の名優たちがこぞって金丸座に出演していたことからも、この地がどれだけ賑わっていたかが推測できる。
 昭和四五(1970)年国の重要文化財の指定を受け、昭和五一(1976)年に国の多額な補助金を得て復元再興がなされ、現在地に移転、天保時代の姿そのままの姿で金毘羅歌舞伎が上演されている。上演が無い日は内部を見学できる。
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2007/10/11


龍光院 Ryuukou-in 

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 龍光院(りゅうこういん)は縁起によれば、大同元(806)年、最澄(弘法大師)が四国八十八カ所霊場の開創を発願し成就したのを記念して、宇和島湾の九島に建立したのが始まりとされる。大師二回目の巡錫(じゅんしゃく)の際、島にあるのは不便だとして現在地に移された。寛永一五(1638)年に京都大覚寺二品親王空性が四国遍路の折り、臨海山福寿寺(ふくじゅじ)の号を与えた。昭和二〇(1945)年、大戦の空襲に見舞われたが、その後復興された。
 111段の石段を上るにつれ宇和島城が見えてくる。階段を上り切ると本堂や大師堂が現われ、境内には芭蕉の句碑や、大阪の俳人・椎本芳室(しいもとほうしつ)を称える宇和島最古の文学碑などが置かれている。本尊は十一面観世音菩薩。山頂にある白亜の除災招福大観音は平成二(1990)年、万民の平和と幸福を願い建立された。一石彫りとしては西日本随一の大きさを誇る。
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2007/10/5


香嵐渓もみじまつり Kourankei-momiji-matsuri 

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 香嵐渓(こうらんけい)は、国道153号線にかかる巴橋から上流約1・2キロの巴川が作り出す渓谷美と、ご飯を盛ったような山容を見せる飯盛山からなる地域で、愛知高原国定公園の一角を占める。紅葉やカタクリの花が特に有名で、毎年県内外から数多くの観光客が訪れる。
 昭和五(1930)年に当時の町長と香積寺住職らが、大阪毎日新聞社社長来町の際に命名を求め、香積寺の「香」飯盛山からの薫風が運ぶ嵐気の「嵐」から、「香嵐渓」と名付けられた。
 香嵐渓のもみじは寛永一一(1634)年に香積寺住職の三栄和尚が植えたのが始まりといわれ、大正から昭和の初めにかけて、地元住民の手で大補植が施された。今ではもみじの本数は4千本を超える。一一月中は「もみじまつり」が開催され、日没から午後9時までライトアップされるほか、お茶会や和太鼓競演などの各種催事も行われる。
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西行 Saigyou Saigyo

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 平安末期から鎌倉時代初期に活躍した大歌人である西行(さいぎょう)は、宮廷ではなく、山里などの僻地を好み、花鳥風月を愛でながら、生命の歌を詠んだ。
 元永元(1118)年に、武士の家系に誕生。一八歳で兵衛尉(皇室の警護兵)になり、鳥羽上皇に仕えた。文武両道で容姿端麗、政界にその名を轟かせたが、世の無常を感じ、二三歳で出家した。「西行」を法号とする。
 大寺院、特定の宗派には属さず、山里の庵に籠もって、和歌を通して悟りを求めた。郊外の小倉山(嵯峨)や鞍馬山、秘境霊場の奈良・吉野山、真言霊場・高野山などに庵を結んだ。四国巡礼を経て、再び高野山、伊勢に入り、最後は河内弘川寺(大阪府河南町)に辿り着き、この地で入寂した。
 『新古今和歌集』には最多の九四首が入選。『山家集』『山家心中集』『聞書集』などを残した。
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2007/10/2


行基 Gyouki Gyoki

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 行基(ぎょうき)は奈良時代の僧。古代民間仏教のカリスマで、その偉業により行基菩薩と尊称された。
 天智天皇七(668)年、河内国(現・大阪府)に誕生。法興寺の道昭を師として、一五歳で出家。仏教教理の他に、土木技術を学んだ。
 「教団は王権から独立すべきである」という三階教の教えを根本思想に、伝道と社会事業を融合させ、民衆を煽動した。畿内を中心に諸国を巡り、造寺、墾田開発、橋梁架設などを押し進めた。
 驚異的な指導力が朝廷に危惧され、僧尼令違反で禁圧されたが、大仏造営の勧進役を買って出ると、逆に朝廷より大僧正位を授けられた。
 大仏造営中の天平二一(749)年、奈良・菅原寺で八一歳で入滅。『日本霊異記』『本朝法華験記』『日本往生極楽記』に数々の伝説が残る。行基の軌跡を記した「行基図」が、日本地図の原型という説もある。
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