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2008/3/5


信州そば切包丁 黒打ち仕上げ Shinsyu-sobakiriboucyou Kurouchi-shiage Shinshu Soba Knife Kurouchi-shiage

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 蕎麦好きも極まってくると、お店に食べに行くだけでは飽きたらず、やはり自分で打ちたくなってくるものだろう。
 打ち立ての蕎麦の香り、歯ざわり、のどごしは、日本人だけが知っている至福の世界。その瞬間に出会うため、心と魂を込めながら自分で蕎麦を打ってみたい。そう思い立ったら、やはり使ってみたいのが、職人が鍛えた本格的なそば切り包丁である。
 信州の工房で鍛え上げられた黒打ち仕上げは、表面の黒い部分を残して、刃の部分だけを研いだもの。鋼は安来鋼白紙、麺を細く切るのに適した片刃。650gの重量があり、押切りがしやすい。価格は抑えているが、プロでも使える本格派である。
 台所に、こんな「道具」をさりげなく置いておきたい。
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2007/8/7


永山光幹(人間国宝) Nagayama Koukan(Ningen-kokuhou) 

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 国の重要無形文化財に指定されている刀剣研磨(とうけんけんま)。刀剣類の地鉄、刃文の美しさ、刀工の個性を引き出すのが目的の技術である。
 この刀剣研磨の人間国宝に認定されているのが永山光幹(ながやまこうけん)氏である。大正九(1920)年生まれ。14歳から本阿彌光遜(ほんあみこうそん)氏に師事し、本阿彌平十郎成重(ほんあみへいじゅうろうせいじゅう)により完成された、本阿彌流の刀剣研磨の技術を習得する。中でも最も重要な「下地研ぎ」の極意を徹底的に極めたという。
 地肌の美しさや刀工の個性を引き出す研磨が評価され、平成十(1998)年の78歳のときに人間国宝に認定された。
 「日本刀を研ぐ」「刀剣鑑定読本」など、刀剣に関する著書も多い。
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2007/5/22


鉋 Kanna 

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 鉋とは、一言で言えば木材の表面を削る道具であるが、熟達した職人が使うと、木肌は紙よりも薄く削り取られて行く。無骨な外観の割には、非常に繊細な仕事をする道具なのである。
 鉋は大別すると大鉋、小鉋に分けられるが、全体の9割以上は小鉋だ。大鉋は柱などの寸法出しや面仕上げに用いられ、小鉋は大工仕事の数だけ存在するという。
 鉋の木製部分を「台」と言い、刃を「鉋身」(かんなみ)と言う。鉋身は「押え溝」、「押え棒」、「押金」(おさえがね)と呼ばれる小型の刃の様な物で台に固定され、刃先の微妙な出具合を調整するとともに、押金は木肌の逆目(さかめ)を防止する役目を担う。
 刃の出具合の調整は台の一方を叩くことで行なえ、一つの鉋で削る木肌の厚みを微妙に変えて作業することが出来る。全て熟達した職人の経験と勘で行なわれるが、鉋台そのものを調整するための鉋が存在するというのも、興味深い。
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2007/2/7


博多鋏 Hakata-basami 

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 博多鋏は、福岡県福岡市博多区にて造られる工芸品である。
 約700年前、南宗の帰化人である謝国明が博多に持ち帰ったものが、唐鋏と称された。
 幕末、博多箔屋に住む刀鍛冶の安河内卯助が、鍛冶に刀剣づくりの技術を用いる技法を編み出す。
 明治二十(1887)年、卯助翁の弟子・高柳亀吉が独立し、唐鋏を博多鋏と改称した。
 博多鋏は双方の刃物が全く同じ条件に仕上がらなければならなく、硬さ、厚さ、大きさも、寸分の狂いも許されないという、非常に難しい技術が必要とされる。
 長い歴史が形作ったシンプルなフォルムに、モダンな菱紋が博多鋏の特色であり、博多織等の伝統技術も支えてきた、博多の職人にとって大切なツールである。
 博多鋏は、刀剣技術を取り入れた、日本独自の技法で造られた、切れ味抜群の伝統工芸品である。
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2007/1/25


備前おさふね刀剣の里 Bizen-osafune-touken-no-sato Bizen Osafune Touken Village

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 鎌倉時代から刀鍛冶の里として栄えた岡山県長船町。その興隆を今に伝える全国的に珍しい、日本刀専門の博物館「備前おさふね刀剣の里」。この地で誕生した鎌倉時代から現代までの名刀を展示している。 
 そのほか、1300度の高熱で玉鋼を熱し打ちのばす作業を公開している鍛刀場、刀身研ぎや鍔(つば)作りが見られる刀剣工房などがあり、刀剣づくりに関わるすべての工程を間近に見られる。
 備前が日本刀の産地として栄えたのは、まず良質な原料、燃料が手に入りやすい土地柄だったこと、次に山陰と山陽を結ぶ交通の要衝だったことが挙げられる。中国山地で採れる砂鉄は日本刀づくりに適し、強い火力を可能にする燃料、クヌギ系の木が自生していた。また、東西に走る山陽道は交通の機関だったため、刀づくりに欠かせない材料や燃料の流通が盛んだったという。
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2006/12/18


若狭塗 Wakasa-nuri Wakasa-nuri lacquer technique

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 若狭塗は、400年前の江戸時代初期、小浜藩の漆塗り職人が、中国の漆器作りの技術にヒントを得て、海底の様子を図案化して始めたもの。
 その後改良が重ねられ、現在に続く卵殻金銀箔押法が完成。藩主酒井忠勝がこれを「若狭塗」と命名し、保護奨励した。
 これは、酒井家秘宝の漆芸とするだけでなく、他藩への技術の流失を禁止したほどの独特の技法。螺鈿、蒔絵、沈金などと違い、下地に松葉やヒノキの葉を置き、卵殻や貝殻を蒔いて色うるしを重ね、表面を研ぎだし、独特の文様を出す。
 代表的な意匠として、「菊水汐干(きくすいしおぼし)」がある。職人の長い時間と丁寧な手仕事が要求されるため、完成までおよそ一年の月日を要するという。
 堅牢優美で、熱気・水気にも変化しないことから、美術品として珍重されるばかりでなく、実用にも耐える。
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若狭めのう Wakasa Menou Wakasa Agate Work

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 海外でも評判の高いめのう細工は、奈良時代に玉を信仰する鰐(王仁)族(わにぞく)という海民族が、現在の福井県若狭の里、遠敷(おにゅう)に入って来た際、若狭一の神社の前に鰐(王仁)街道を作り、そこで玉を作ることを仕事としたのが始まりと言われている。
 江戸時代中期には、めのう原石を焼き美しい色を出す技法が確立され、美術工芸品としての彫刻の技術は明治時代に入ってから始められたものである。
 独特な方法で焼き入れし、美しく発色した硬い原石を金剛砂を使用して削り、丹念に磨き上げ、仏像や各種の動物の置物、香炉、風鎮、帯留、ブローチなどに仕上げられる。
 めのう細工は、磨きに三年、細工に五・六年、一人前になるには少なくても、十年から十五年はかかると言われており、大変な熟練と根気の要る作業だが、透き通るような繊細な光沢は若狭めのうならではのものである。
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2006/12/17


信州打刃物 Shinshu-uchihamono Shinshu Forged Blades

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 長野県信州信濃町の民芸工芸品、「信州打刃物」。昭和57年に通産大臣指定伝統工芸品に認定された。
 信州に打刃物の技術がもたらされたのは、遠く戦国時代、武田信玄・上杉謙信の頃。この地を行き来していた刀匠たちが武具刀剣類の修理をし、里の人々がこれにより鍛冶を習得したのが始まりだとか。戦国時代における様々な合戦で信州打刃物は活躍し、刀匠は技術にさらに磨きをかけた。
 地鉄に極軟鋼、刃に純度の高い炭素鋼を使った適度の硬さと粘りのある強靱さ。また刃巾は広く、美しい仕上げで永切れする。450年の伝統を今に嗣ぐ、素晴しい切れ味の刃物である。
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