NIPPON Kichi - 日本吉

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2007/12/3


高知 延光寺 Kouchi Enkou-ji 

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 四国霊場第39番札所である延光寺(えんこうじ)は、神亀元(724)年、聖武天皇の勅願を受けた行基が開基、本坊と一二坊を建立し、当時は亀鶴山施薬院宝光寺と称していた。
 境内に延喜一一(911)年の銘が刻まれている梵鐘がある。これは亀が背中に乗せて、竜宮城から持ち帰ったものといわれており、県内最古の梵鐘で国の重要文化財にも指定されている。
 また、本堂横の「目洗いの井戸」は、村人が飲み水に困っているのを知った大師が、杖で地面を突くと霊水が湧き出たものといわれ、眼病に効果があると言われている。
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2007/11/26


拝島 大日堂 Haijima Dainichi-dou 

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 東京都昭島市の拝島町にある大日堂(だいにちどう)は、正式には「拝島山密厳浄土寺(はいとうさんみつごんじょうどじ)大日堂」という古刹である。
 その創建は天暦六(952)年といわれ、寺伝によれば多摩川上流にあった日原村の尊像が、大洪水によって流され、同寺近くの中洲に流れ着いたものを安置したものが始まりとされている。
 また、その尊像を村人が拝んだことから拝島の地名が起こったという言い伝えもある。
 戦国時代には北条氏の城であった滝山城の鬼門除けとして、同氏の庇護を受けていたとされる。
 境内には昭島市の重要有形文化財である仁王門や、内部に安置されている木造金剛力士像、寺宝である釈迦如来坐像や阿弥陀如来坐像など、様々な歴史物に彩られている。
 また、北条氏の家臣石川土佐守の娘おねいがそこで洗眼したところ、眼病が治ったという伝説を持つ「おねいの井戸」や東京都指定の天然記念物である「拝島のフジ」などもあり、歴史の重みと伝説に溢れた名刹として知られている。
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真照寺薬師堂 Shinshou-ji-yakushi-dou 

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 東京のあきる野市引田地区にある真照寺(しんしょうじ)。
 寛平三(891)年創建と伝えられる、あきる野きっての名刹である同寺本堂の右側に位置するのが薬師堂である。
 市指定の有形文化財である赤い山門をくぐり、本堂右へと続く参道を通って、幾本もの「南無引田薬師如来」と染め抜かれた赤い旗がはためく一五段の石段を登ると、薬師堂が鎮座している。
 僧、行基がこの地に来たとき、薬師如来を彫り上げて安置したといわれる大変由緒あるお堂で、都指定の重要有形文化財に指定されている。
 銅版葺きの宝形造に木造カヤ葺きの屋根が乗っており、室町時代の建築とされている。
 寺とは別に、お堂は「多摩新四国八十八ヶ所霊場」の第五八番札所にもなっている。また、眼病にご利益があるといわれており、お堂の前には「め」と裏返しの「め」の字が並んで書かれた絵馬がたくさん掛けられており、今もなお信仰が篤いことを物語っている。
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2007/11/15


十楽寺 Juuraku-ji 

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 四国霊場第7番札所である十楽寺(じゅうらくじ)は、弘法大師・空海が阿弥陀如来像を彫って本尊とした寺である。
 「八の苦しみを逃れ、十の楽があるように」との意味から光明山十楽寺と称し、境内の治眼疾目救済地蔵尊は眼病に霊験があることで知られている。
 永正年間(1504~1520)、長宗我部元親の兵火の際に堂を焼失し、この時、住職の真然は本尊・脇仏・舎利仏・経本など運び出したが、経本を持たせた小坊が流れ矢に射られ、倒れた小坊はその時経本を土に隠した。その場所は「経塚」として、今も残されている。
 その後、お堂は寛永一二年に再建されたが、現在の本堂は、更にあとの明治の再建とされている。
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2007/8/22


油山寺 三重塔 Yusan-ji Sanjuu-no-tou 

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 油山寺(ゆさんじ)三重塔は、袋井市の中心部から北上した山中にある。昔、この山から油が出ていたことから「あぶらやま」と呼ばれ、十方信徒に尊信されてきた。
 正式名は医王山薬王院油山寺(いおうざんやくおういんゆさんじ)。八世紀半ばに、行基によって開かれた真言宗の古刹。孝謙天皇の眼病を治したといわれる薬師様が祀られ、万民和楽や無病息災を祈念して開山された真言宗の目の霊山として知られている。
 朱塗の三重塔の創建は鎌倉時代、源頼朝の発願によるものといわれ、国の重要文化財に指定されている。源頼朝公が眼病全快のお礼に建立したものと言われており、滋賀県の長命寺、京都府の宝積寺の三重塔とともに桃山時代三名塔として知られる。
 油山寺にはその他の重要文化財として、山門や本堂内の薬師如来厨子がある。
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2007/8/2


氷室薬師堂 Himuro-yakushi-dou Himuro Yakushido

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 宮城県大崎市にある氷室薬師堂(ひむろやくしどう)は、正式名称を村上寺と称し、大同二(807)年に坂上田村麻呂が将兵の安全を祈り、建立したものと伝えられる非常に歴史のある寺だ。
 以来、鎮護国家衆生利益の道場として栄え、今に至ることとなる。
 鎮護ももちろんだが、特に眼病の霊験あらたかであるといわれ、今も遠近から篤い崇敬を受ける名刹としても知られている。
 拝殿脇には、神社で言うところの絵馬に相当する、目の部分が穿たれた、顔を模写した石がうずたかく詰まれており、訪れる人々の氷室薬師への篤い信仰が伺われる。
 またこの寺は宮城に昔から伝わる逸話の舞台でもある。
 根っからの臆病者の武士が、それを払拭すべく薬師堂に百日詣でをするも、満願の夜に現れた妖怪に勇気を出して切りつけてみたら、御堂の柱だったという話で、今もその刀傷を見ることが出来る。
 荘厳かつ霊験あふれる場ではあるが、なんともほっとする逸話も残す、不思議な空気を纏った寺である。
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2007/6/29


円空上人滞洞跡 Enkuu-shounin-taidou-ato 

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 円空上人滞洞跡(えんくうしょうにんたいどうほら)は、北海道八雲町にある洞窟。高名僧・円空にゆかりのある場所である。
 その昔、旧熊石町、黒岩という集落にあった洞窟の奥には妖怪が住んでおり、この洞窟に訪れた正直者に宝を授けていた。いわゆる「隠れ座頭」とよばれるものである。
 国道229号線の道端に「円空上人滞洞跡」と書かれた案内の柱が立っている岩があり、そこが隠れ座頭のいた洞窟跡だ。
 円空上人が寛文五(1665)年に松前に渡り、約20ヶ月蝦夷地に滞在したときにこの洞窟にも滞留し、地蔵尊を作像。眼病のものはこの洞窟に安置されている地蔵尊に祈り、治ったあかつきにはお礼に米を供えたという。
 同じ八雲町にある根崎神社のご神体・聖体音観音像と北山神社・相沼八幡神社のご神体であるふたつの来迎観音像も、円空がこの洞窟で作像したものであるといわれている。
 
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2007/6/20


渾神の清水 Igami-no-Shitsuko 

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 渾神の清水(いがみのしつこ)は、青森県平川市唐竹にある天然の清水である。環境庁指定の日本の名水百選に選ばれている。
 平賀町の中心から軍馬平高原に至る道沿にある湧水で、昔の旅人は、山越えをする前に清水で喉を潤したといわれる。
 平安初期に征夷大将軍として蝦夷を平定した坂上田村麻呂が、眼病を患った時にこの清水で洗眼したところ、たちまち治癒したとの伝説により、「霊泉」として祀られた。
 以来、目神の清水とも呼ばれ、目の守護神として崇められてきた。
 付近には故・葛西覧造の詠んだ「はな礼ては、またも落ちふ清水加那」の句が刻まれた石碑が建立されている。
 渾神の清水は、小公園も整備され、観光客にも親しまれている、霊水としての歴史と雰囲気を持つ名水である。
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