NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/6/6


延年舞 Ennen-mai 

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 延年舞(えんねんまい)は、日光の輪王寺で舞われている千年以上の歴史を持つ舞曲であるという。
 天台宗の慈覚大師・円仁(じかくだいし・えんにん)が、唐から将来した秘舞曲とされ、寺伝によると祥元(848)年に、慈覚大師が日光山に来山した際に伝えられたという。
 延年舞は、毎年5月17日の午前8時に行われ、太鼓の音が鳴り響くと牡丹や唐草模様が描かれた、緋色の直垂(ひたたれ)に身を包んだ「舞衆(まいしゅう)」と呼ばれる二人の僧侶が登場する。
 朗々と声明(しょうみょう)を唱える一山の僧侶を背に、上座(じょうざ)の舞衆が重々しく、下座の舞衆が烏帽子(えぼし)を着けて軽やかに舞を奉納する。
 東照宮春季例大祭にさきがけて舞われるもので、現在は輪王寺と岩手県の毛越寺(もうつうじ)に残るのみであるという。
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2008/3/4


紫雲石硯 Shiunseki-suzuri Shiunseki Inkstone

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 紫雲石硯(しうんせきすずり)は、岩手県の一関市や大船渡市で、独特の風合いを持つ紫雲石を用いて作られている硯である。
 その起源は、鎌倉時代に旅の僧侶が、大船渡市にある長安寺に立ち寄った際、近くを流れる川底で紫雲石を見つけ、その石を硯として使用したのが始まりといわれている。その後、僧侶は硯を鎌倉へ持ち帰り、時の将軍に献上。その美しさから紫雲石硯と命名されたという。
 材料となる紫雲石は、四億年以上昔の北上山系の地質から産出される輝緑凝灰石で、小豆色にも似た赤紫をして、雲状の斑紋や緑の斑点があるものが多く見受けらる特徴をもつ石である。
 石の持つ優美さや滑らかさに加え、石の表面の凸凹を表す鋒鋩(ほうぼう)が緻密で墨おりが良く、硯材として最適とされている。
 一時は、機械彫りの大量生産の硯が普及し、手彫りの紫雲石硯はその生産に衰えが見えたが、戦後に入って専門家などに再び着目され、銘品としての名に違わぬものを、今も作り続けている。
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2007/9/19


福昌寺跡 Fukushou-ji-ato 

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 鹿児島市にある福昌寺(ふくしょうじ)跡地は、現在の玉龍高校の裏手に位置している。
 応永元(1394)年、島津氏第七代当主・島津元久の要請により曹洞宗の高僧・石屋真梁(せきおくしんりょう)が建立し、以後島津家の菩提寺となった。
 江戸時代の絵図「三国名勝図会(さんごくめいしょうずえ)」には、幾重にも連なる建物と大回廊を持つ南九州屈指の大加羅として登場する。薩摩、大隅、日向の三州の僧侶を支配する僧録所もあり、千五百人の僧侶がいたという。
 天文一八(1549)年、島津貴久から宣教の許可を得たフランシスコ・ザビエルがこの福昌寺を宿所とし、当時の福昌寺住持であった忍室(にんじつ)と互いの宗教について親交を深めた。
 明治二(1869)年、神道国教・祭政一致、仏教施設の廃止という政府の廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)が行われ、貴重な建築群や歴代藩主が奉納した寺宝類もろとも破壊されてしまう。
 現在、周囲は掃き浄められ、緑に囲まれて島津家や歴代の高僧の美しい墓地群が残っている。
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2007/9/7


田束山 Tatsugane-san 

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 宮城県本吉郡南三陸町に位置する田束山(たつがねさん)は、かっては霊峰田束山として奥州平泉で栄華を極めた藤原一族が崇拝していた山である。
 そのため、山頂からは平安時代末期の藤原氏ゆかりの経塚群などが多く出土し、平泉文化を研究するうえでも貴重な場所である。
 山腹には三十三観音や不動明王が並ぶ石像公園や、しあわせの森、ふれあいの森公園などが設けられ、市民の憩いの場ともなっている。
 特に、五月のつつじ、六月のアヤメと初夏の田束山には見所が多く、たくさんの人々で賑わいをみせている。また、山頂から見るリアス式海岸も美しい。
 五月には僧侶と山伏による盛大な護摩祈祷も行われる。
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2007/8/15


法体の滝 Hottai-no-taki 

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 法体の滝は秋田県由利本荘市鳥海町に位置する滝である。
 子吉川の源流部に位置し、鳥海山の雪解け水が集まり作られた瀑布。三段になっている滝は、一の滝、二の滝、三の滝と呼ばれ、流長約100m、落差約57m、滝壺は3000平方mの広さを誇る。
 法体とは僧を指し、滝の流れが上部からハの字状の形状を持つことから僧衣になぞらえたものと言われている。
 一の滝、二の滝には多くの甌穴(おうけつ)が存在しており、滝と共に県の天然記念物に指定され、学術上でも注目されている。甌穴とは、浅い谷川の水蝕により、川底の岩盤に生じる穴のこと。
 近隣には法体園地が作られ、ハイキングやキャンプに訪れる観光客で賑わう名勝の地である。
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2007/8/10


安城の三河万歳 Anjou-no-mikawa-manzai Mikawa Manzai in Anjo

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 今から500年も昔、日本各地は戦乱に明け暮れていた。そんな中、玄海という僧侶が民の苦しみを和らげるために各地を巡り、人々の前で滑稽に踊ったりして楽しみを与えた。これが三河万歳のおこりと言われている。
 やがて玄海は戦乱を逃れて長谷部郷に移り住んだ。そして、安祥城主、松平親忠の依頼を請け矢除けの祈祷や万歳祝言を行った。松平親忠は玄海を庇護し、この地に土地を与えた。そこは別所村と名づけられ、玄海はここで人々に万歳を教え、優れた万歳師が多く誕生した。
 万歳は、新春の寿ぎ(ことほぎ)の台詞とともに舞う祝福芸として人々に笑いを与え、徳川家の庇護のもと関東一円に広がっていったのである。
 安城の三河万歳は平成七(1995年)年「国指定重要無形民俗文化財」の指定を受けている。
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2007/7/31


南部の火祭り Nanbu-no-hi-matsuri Fire Festival of Nanbu

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 山梨県西部を流れる富士川。その富士川で江戸時代中期頃から始まったとされる、盆の送り火や川供養、稲を害虫から守る虫送りの意味を込めた郷土行事が南部の火祭り(なんぶのひまつり)だ。
 一時期は途絶えていたが、昭和六三(1988)年に復活。投げ松明や灯ろう流し、百八たい、大松明の4つの行事を主とした祭事で、富士川流域における夏の風物詩を今に伝えている。
 高さ十数mの竿の上に設けられた、藁で作られた蜂の巣めがけて松明を振り回し投げ入れる投げ松明で祭りは幕を開ける。
 大松明では燃え盛る松明と低く響き渡る僧侶の読経のコントラストが見るものを幻想の世界へと誘い、百八たいは富士川の両岸で約2kmに渡って設けられた、人間の煩悩に見立てた百八基の松明に、夜八時になると同時に点火、まるで川が燃えているような壮大な風景を見せてくれる。
 夏の夜に繰り広げられる炎の饗宴は、見るものに忘れ経ぬ感動を与えてくれる。
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2007/7/20


とうろう流しと大花火大会 Tourou-nagashi-to-daihanabi-taikai Lantern Floating and the Great Fireworks Display

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 とうろう流しと大花火大会(だいはなびたいかい)は、福井県敦賀市松島町の松原海岸にて、毎年8月16日に行われる名物行事である。
 昭和二五(1950)年、旧盆に、戦没者の霊を慰めるために始まったとされる。
 大花火大会は、名勝「気比の松原」をバックに、水上花火やスターマインなどが、日本海側最大級の1万2000発が打ちあがり、ダイナミックに繰り広げられる。
 また、大花火大会にあわせ、僧侶の読経の中、赤・青・黄色の3色の灯籠約6000個が松原海岸にいっせいに流される。
 近年ではレーザーや音響を駆使した大規模な舞台設定も行われ、打ち上げ花火に始まり、キャラクター花火など、技巧を凝らしたものもある。
 とうろう流しと大花火大会は、水と光と音が調和した、厳かでありながらも神秘的な催し物である。
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