NIPPON Kichi - 日本吉

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2007/5/17


墨俣城 Sunomata-jou 

Jp

 稲葉山城(岐阜城)の攻略を狙う織田信長が、美濃の前線基地として、城地に選んだのが墨俣だった。長良川と平行して流れる犀川が二つに分かれる三角地帯にある。
 信長配下の佐久間信盛、柴田勝家、織田勘解由らが築城しようとしていたが、斎藤方の襲撃が激しく、実現することが出来なかった。この為、永禄九(1566)年に木下藤吉郎(後の豊臣秀吉)が願い出て、蜂須賀小六正勝ら川並衆を集め、密かに城地を造成した。
更に、長良川の上流で木組みを整えた木材を流し、墨俣で組み立てたので一夜にして城が出現したのである。
 その後、美濃が攻略されると役目を失った墨俣の砦は廃城となり、現在は公園となって今は歴史資料館である模擬天守が建っている。
 この資料館には木下藤吉郎の一夜城築城の様子をはじめ、墨俣の歴史資料や風土を紹介している。
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2007/1/18


長浜城 Nagahama-jyo Nagahama Castle

Jp En

 織田信長が浅井長政の居城の小谷城を攻めた際、横山城を守る木下藤吉郎(後の豊臣秀吉)が、小谷城が落城する直前にお市と3人の娘を救出した話は有名。
 1573年9月、浅井氏が滅亡すると、藤吉郎は戦功により領地を与えられ、羽柴秀吉と名乗り、はじめての城持ちの大名に出世した。
 翌年、今浜に城を造り始める。小谷城で使われていた資材や、竹生島に隠されていた材料を見つけ、それらを使用して造られた。
 1575年秋頃、城が完成すると地名を今浜から「長浜」に改め、小谷城から移り住んだ。この頃の秀吉は、信長の先兵として長浜城から北陸や中国地方に攻めに行っていた。
 1582年、信長の亡き後、柴田勝豊が城主になるが、すぐに取り返し、賤ヶ岳合戦の拠点にした。
 その後、数々の武将が城主になるが、豊臣氏滅亡により取り壊され、石垣など多くの材料は彦根城の建設に使われた。
 現在の長浜城は、市民の熱意と寄付金などで1983年に建設され、歴史博物館として開館した。
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