NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/7/10


シュミッツ クリストフ Syumittsu Kurisutofu Dr. Christoph Schmitz

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 漢字学の巨人・白川静氏が構築した白川文字学の研究者で、哲学思想史・日本思想史研究者。ドイツ・ケルン生まれ。東京都在住。
 ドイツと日本の大学で歴史と哲学、哲学史を基礎に日本思想史を学んでいる時に漢字に興味を抱きはじめる。しかし、西洋の漢字教育では、漢字の形とその意味の関係について充分に説明されないことに、落胆。その後、一九九七年、日本の新聞に載った白川静氏のインタビュー記事を読み、「白川先生の偉業や字書を世界に紹介したい」と考え、ドイツの市民大学などで哲学思想史と漢字を教えた後、白川氏訪問のため二〇〇一年に来日、初めて対面する。二〇〇二年、東大法学部に研究生として入学。
 二〇〇三年一二月、白川静著の漢字入門字典『常用字解』の英訳を始め、ほぼ三年かけて完成。漢字の成り立ちを自然に理解できる漢字学習の基礎づくりをめざしている。
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2007/9/25


宮本武蔵 Miyamoto Musashi Miyamoto Musashi

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 宮本武蔵(みやもとむさし)は、江戸時代初期に活躍した剣豪である。近代においては、処世訓や座右の銘を残した偉大な思想家としての認識も強い。
 天正一二(1584)年に誕生。13歳で最初の決闘に勝利し、諸国を巡り剣の腕を磨き、その後60回以上の決闘で負け知らずだった。剣客・佐々木小次郎との「巌流島の決闘」が有名。
 代名詞である「二刀流(二刀使い)」を始め、実用主義に貫かれた兵法が宮本武蔵の特徴だった。「なんのための剣か?」を肉体の側から思考し続けた。
 武蔵の手先の器用さ、感性の鋭さは、絵画・書画・彫刻・工芸の世界にまで及んだ。また町割り(都市計画)や造園などの事業でも優れた才能を発揮した。
 死の直前に、独自の兵法を理論化した『五輪書』を著した。戦術論を超えて、精神の扱い方を示唆する、武士道の先鞭をつける内容である。
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2007/9/21


鈴木大拙 SuzukiDaisetsu Daisetz Teitaro Suzuki

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 言葉や思想を持たない「禅」という高度に結晶化された概念に、あえて言葉や思想を盛り込み、世界に向けて発信した偉大な哲学者。
 明治二(1870)年、石川県生まれ。学生時代に鎌倉・円覚寺にて禅と出会い、悟りの境地に達し、禅者として生きる決意を持つ。「大拙」という居士号を得る。
 鈴木大拙(すずきだいせつ)が目指したのは、西洋と東洋を橋渡しすること。願いは、「ひとつの世界」の獲得。禅の英語化という難題を易々と成し遂げ、『老子道徳経』『大乗起信論』を英訳し、『大乗仏教概論』を英文で出版した。
 欧米の知識人達に与えた影響は計り知れない。カウンターカルチャーの時代には、「禅」が西洋人の東洋に対する憧れを育む要因となった。
 生涯、坐禅を怠らず、西と東、民族、人種、宗教などの根深い問題を禅思想を通して考え続け、語り続けた。
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2007/8/10


白川静 ShirakawaShizuka Shizuka Shirakawa

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 漢字研究の世界的第一人者。
 明治四十三(1910)年、福井生まれ。十代半ばから漢学に親しみ基礎を築く。
 昭和四五(1970)年に「漢字」を上梓。漢字学の通説を覆す独自の視点を獲得する。
 中国の思想・文化を斬新な解釈で綴った「詩経」「金文の世界」「孔子伝」の 刊行を経て、昭和五九(1984)年に「文字」の成り立ちをまとめた字源辞書である「字統」に到達。その後も「漢字」に呪術的な世界観を見出すという独自のアプローチが展開され、「字訓」「字通」を刊行、漢字学三部作は完成した。
 平成9(1997)年に、文字文化研究所所長に就任。翌年に文化功労者として顕彰される。
平成一五(2004)年には文化勲章を受章。平成一七(2006)年十月三〇日、九六歳で逝去。白川静の漢字宇宙
への飽くなき探求は、多くの研究者たちに引き継がれ、発展を遂げている。
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2007/8/7


中新田の虎舞 Nakaniida-no-tora-mai The Tiger Dance in Nakaniida

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 中新田の虎舞(なかにいだのとらまい)は、宮城県加美郡加美町にて毎年四月二九日に行われている催事である。県の民俗文化財民俗芸能に指定されている。
 六〇〇年前、奥州の大名・大崎氏が「雲は龍に従い風は虎に従う」の故事にならって、明神の初午祭に奉納したのが始まりと伝わる。
 町は春になると風が強く、昔から度々大火に見舞われていた。
 そこで、虎の威をかりて風を鎮め、火伏せの祈願をし、山車と共に火消組の手によって火伏せの虎舞を舞わせ、城下をねり歩き、商人たちの繁昌と風禍火難防止の思想の高揚に役立たようとはじまったのが虎舞である。
 数台の山車にそれぞれ太鼓を乗せ、笛、三~六頭の虎がついて、各家々や屋根の上で舞う。
 中新田の虎舞は、火伏せ祈願として特色ある民俗芸能である。
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2007/7/3


高照神社 Takateru-jinja 

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 津軽を統一した藩祖、津軽為信(つがるためのぶ)と四代藩主津軽信政(つがるのぶまさ)を祭っている神社である。
 信政が神道を極め、「高照霊社(たかてるれいしゃ)」の神号を得て、春日四社のほこらがあった高岡の地を自身の葬地と定めた。五代藩主である津軽信寿(つがるのぶひさ)によって正徳二(1712)年に建築し、明治一〇年には為信も合祀された。
 吉川神道の思想に基づき東西に一直線に配置されており、本殿、中門、随神門、拝殿、幣殿が重要文化財、青森県重宝に指定されており、また宝物殿には国重要文化財である友成の太刀や、青森県重宝である津軽信政着用具足等が収蔵されている。
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2007/4/25


霊山護国神社 Ryouzen-gokoku-jinjya 

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 「霊山護国神社(りょうざんごこくじんじゃ)」は、京都府京都市東山区にある神社。明治元年、日本の民主主義への転換期となった明治維新で、その実現のため命を落とした志士たちの霊を慰めるため、明治天皇が創建した。当初は「霊山官祭招魂社」と命名された。この地は幕末期、維新をなしとげた思想、「尊皇派」の志士たちが拠点にしていた場所である。1043人の志士たちの御霊が祀られており、その中には「坂本龍馬」「中岡慎太郎」「武市半平太」など歴史的人物の名が連なる。神社へ向かう参道「維新の道」を登りきると境内があり、霊山歴史館、尊皇派拠点となった霊明神社がある。
 毎年11月には京都高知県人会主催の「龍馬祭」が行われるなど、当時の人物、出来事などにまつわる歴史を垣間見ることができる。
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2007/4/24


頼山陽居室 RaiSanyoukyo-shitsu 

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 頼山陽居室は、広島県広島市中区袋町にある頼山陽史跡資料館内にある部屋である。国の史跡に指定されている。
 頼山陽は、この居室で名著「日本外史」を草したといわれる、幕末維新に大きな思想的影響を与えた儒学者、文人である。
 山陽は、安永九(1780)年に朱子学者頼春水の子として生まれた。幼くして漢学を修め、天下を憂いて脱藩の重罪を犯して出奔したが、すぐに連れ戻されて邸内の一室に幽閉された。
 居室は、1度は原爆で焼失したが、昭和三三(1958)年に復元・再建された。
 現在は、頼山陽が青少年時代を過ごした屋敷跡に建つ頼山陽史跡資料館内に存在し、山陽の足跡を知る資料や広島近世文化資料をと共に保存、展示されている。
 頼山陽居室は、幕末維新を偲ばれる史跡である。
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