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2007/11/13


兵主祭 Hyouzu-matsuri Hyozu Festival

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 兵主祭(ひょうずまつり)は、滋賀県野洲市五条の兵主大社で、毎年五月三日~六日に行われている例祭である。
 兵主大社は、三世紀後半ごろ、現在の滋賀郡大津市遷都にともない社地が設けられ、さらに欽明天皇の時代に琵琶湖を渡って現在地に遷され、社殿が造営されたと伝えられる。祭神は大己貴命(おおなむちのみこと)。
 当日は午前中に神社で神事を行い、午後には各氏子から大小約30の御輿や太鼓が神社の参道に集まり、クライマックスの神輿渡りが行われる。
 太鼓橋前にて各御輿が行う「鵜の息抜き」の所作は面白く、特に、大小様々な御輿・太鼓が「チョイトサ」の掛け声も勇ましく、約300mの松並木の参道を渡御する様は壮観で、祭りの一番の見所といえる。
 兵主祭は、兵主18郷による、勇壮で華やかな祭りである
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2007/11/1


静岡 霊山寺 Sizuoka Reizan-ji Shizuoka Reizanji Temple

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 霊山寺は、静岡県静岡市清水区にある古儀真言宗の寺である。本尊は千手観音立像とされる。
 天平勝宝元(749)年、行基により開山されたと伝わる。
 山腹に建つ仁王門と寺は東側の山中にあり、正慶年間(1332〜34)に、現在地に移転した。
 三十三曲と呼ばれる山道の先にある仁王門は、室町末期の建立とされ、県内でも最古の建築であり、国の重要文化財となっている。
 駿河七観音の一寺として古くから信仰され、本堂には行基の自作という千手観音が納められている。
 桜の咲く時期は、参道に咲く桜がとても美しく、大内から霊山寺を経て一本松公園まで登れるハイキングコースもある。
 霊山寺は、地元では「大内の観音さん」と呼ばれ、今も親しまれている寺院である。
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2007/10/15


旧金毘羅大芝居(金丸座) Kyu-konpiraooshibai(kanamaru-za) The Old Konpira Oshibai Kabuki Theater (Kanamaruza)

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 金刀比羅宮への参道にある大門まで365段の石段が待ち構えている。その石段の上り口の南に歌舞伎専用劇場である金毘羅大芝居(こんぴらおおしばい)、通称、金丸座(かなまるざ)がある。現存するものとしては日本最古の劇場である。
 金丸座の創建は天保年間(1830~1843)である。当時は娯楽と呼ばれるものが少なく、金毘羅参りに訪れた人々の多くが金丸座に押し寄せたという。芝居小屋としての大きさも江戸、大阪、京都の大都市にある小屋に匹敵するものであり、東西の名優たちがこぞって金丸座に出演していたことからも、この地がどれだけ賑わっていたかが推測できる。
 昭和四五(1970)年国の重要文化財の指定を受け、昭和五一(1976)年に国の多額な補助金を得て復元再興がなされ、現在地に移転、天保時代の姿そのままの姿で金毘羅歌舞伎が上演されている。上演が無い日は内部を見学できる。
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金刀比羅宮 Kotohiraguu Kotohira-guu Shrine

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 金刀比羅宮(ことひらぐう)は香川県仲多度郡琴平町にある象頭山(ぞうずさん)の中腹に建てられている神社である。
 江戸時代の庶民の楽しみであった「お伊勢参り」と同様に金毘羅参りも人々の人気を博し、全国から大勢のお参り客がこの地を訪れた。
 金刀比羅宮は船の神様、海の守護神として崇められており、御祭神は「大物主の神」である。
 神社として整備されたのは、長保三(1010)年、天皇の命を受けた藤原実秋(ふじわらさねあき)が本殿や鳥居などを改築してからといわれている。明治時代以前は「金毘羅大権現」と呼ばれていた。
 参道途中には水戸光圀の実兄、初代高松藩主の松平頼重の寄進により建てられた大門がある。大門には宮内と続く365段の石段がある。
 中には国の重要文化財、二層入母屋、銅瓦葺、総ケヤキ材で建てられている旭社があり御本宮へと続く。
 金刀比羅宮は四国の名所の一つである。
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こんぴら参道 Konpirasandou The Front Approach of Kotohira-gu Shrine

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 こんぴら参道は香川県仲多度郡琴平町、「金毘羅参り」で有名な参道で、JR琴平駅から金刀比羅宮御本宮まで続く道を言う。
 江戸時代の人々にとって「お伊勢参り」同様、金毘羅参りは大きな楽しみの一つであった。そのため、金刀比羅宮までの参道は年中多くの人々で賑わいを見せていた。それは現代でも変わらず続いている。
 琴平駅から金刀比羅宮の大門までの道には、数多くの土産物店や飲食店が建ち並び、行き交う人々で活気を帯びている。通りをまっすぐに進んでいくと、大きく聳え立つ大門に到着する。この門から先が金刀比羅宮である。
 ここには有名な365段もある石段が待ち構えている。石段を登り進めていくと、清水次郎長の子分として幕末期に活躍した森の石松が本殿と勘違いしたという「旭社」があり、さらに登り進めると「御本宮」に到着する。
 大門の南側には「金毘羅歌舞伎(金丸座)」という日本最古の芝居小屋が建てられている。江戸時代から明治には、お参りの人々の唯一の娯楽施設として賑わった。
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天神社 Ten-jinja 

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 面積の八割以上が山林という自然豊かな大洲市川辺町。川辺川上流に位置する北平地区、秋知川に屋根付きの「御幸の橋(みゆきのはし)」がある。
 県の有形民俗文化財にも指定されている御幸の橋が架かる道は、「北平天神社」の参道になっており、道幅の狭い橋を渡ったところに社殿と鎮守の森がある。
 「天神社(てんじんじゃ)」は生前の優れた学力・才能により「学問の神様」とも呼ばれ、また「天神様」として畏怖された菅原道真が祀られている。
 境内に入ると、正面に大岩がそそり立ち、その岩の上に岩を抱え込むように根を張り、全身苔に包まれたけやきの木が力強く立っている。樹齢八〇〇年ともいわれる大けやきを見上げると長い長い歴史が感じられる。 
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御幸の橋 Miyuki-no-hashi 

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 愛媛県西部を流れる肱川(ひじかわ)の支流川辺川。その上流域にある、四方を山に囲まれ面積の八割以上が山林という自然豊かな川辺町には、明治から平成にわたって架けられた八つの屋根付き橋が点在する。
 川辺川上流、秋知川に架かる「御幸の橋(みゆきのはし)」はその中でも最も古く、天神社の参道として安永ニ(1773)年に創設された。坂本龍馬が脱藩の際に渡ったという伝説も残る。
 現在の橋は明治一九年の大洪水により流失したが、祭礼に合わせるため氏子達の手によって再建されたもの。欅(けやき)材が使われ、屋根は杉皮葺で、釘は一切使用されていない。橋の長さは八・三mあり、幅員は二・七mとやや狭い。
 歴史ある橋文化を守るため、また村おこしの一環として「浪漫八橋(ろまんはちきょう)」と名付けられ、また県の指定有形民俗文化財としても大切にされている。
 
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西予市 龍澤寺 Seiyo-shi Ryuutaku-ji 

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 棚田が広がる城川町魚成地区。古くからの農山村文化が伝わるこの地区に、三七〇〇坪に及ぶ広大な寺「龍澤寺(りゅうたくじ)」がある。「竜沢寺」とも呼ばれる寺の周囲には緑地公園が広がる。
 禹門山(うもんざん)龍澤寺は禅宗の一つ曹洞宗の総持寺派に属しており、全国に有する末寺は五六寺。
 樹齢三〇〇年を越える杉の木々がそびえ立つ石畳の参道を進むと、重厚な山門が現れる。
 七堂伽藍(しちどうがらん)を備えた境内に入ると、近世建築と呼ばれる桃山時代の建築技術を取り入れた禅堂などがあり、豪壮な寺であることを実感できる。 
 春にはお釈迦様の誕生を祝って甘茶が振舞われる、「龍澤寺花祭り」が行われることでも知られている。
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