NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/4/15


瓦 Kawara Kawara Roofing Tile

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 瓦(かわら)は、粘土を練って成形、焼成した屋根に葺く陶器製建材である。
 瓦が歴史上、初めて登場するのは約二千八百年前の中国といわれており、日本には崇峻天皇元(588)年、百済から仏教と共に伝来し、飛鳥寺造営の際、初めて使用されたとされる。
 当時は瓦葺が許された建物は寺院のみであったが、奈良時代に入るとその他の建物でも使用されるようになる。
 江戸時代には新しい瓦の構造が発明され、また、火事対策の耐火建築用品として瓦の使用が奨励されたこともあり、一般に広く普及していくこととなった。
 日本では大きく分けて釉薬を使った「釉薬瓦」と、燻して銀色の炭素膜を形成した「いぶし瓦」に二分されるが、形状については多種多様なものが存在しており、分類すると千を越える種類が存在している。
 現在では、愛知の三州瓦、兵庫の淡路瓦、島根の石州瓦が三大産地として知られており、日本家屋における屋根の代表格の座を支え続けている。
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2008/2/21


煤竹色(ススダケイロ) Susudake-iro 

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 煤竹色(すすだけいろ)は日本に昔から伝わる伝統色のひとつで、文字通り煤けて赤黒くなった竹の色に似た、やや暗い黄褐色である。
 日本では昔、家の中で焚き木を燃やしてかまどで煮炊きなどをしたり、室内の囲炉裏で暖を取ったりして生活をしていた。家の中で火を燃やすことで煤が上がり、木製の建材は時と共に文字通り煤けて、色が変わっていくという。竹の種類にもよるが、燻されて、味のある渋い茶色に色づいた煤竹が生まれるとされる。
 煤竹色は江戸の初期から中期にかけて流行したといわれており、銀煤竹、藤煤竹、柳煤竹などたくさんの煤竹色が生まれたという。趣のある色のため、小袖や帷子、着物の地色としてもよく用いられている。
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2008/2/6


竹 Take 

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 「竹(たけ)」はイネ科・タケ亜科に属する植物で、小型の「笹」に対して大型のものを言う。
 温暖で湿潤な気候や熱帯地域に多く生育していて、日本だけでも150以上もしくは600以上の種類があると言われている。これは学説の違いによるもので、どちらにしても竹の種類は数多いという事だ。その中でも代表的なものは、真竹(まだけ)や孟宗竹(もうそうちく)、淡竹(はちく)などで、日本各地で多く植栽されている。
 竹の成長はとても早く、1日で1m以上も伸びる事もある。その青々とまっすぐ伸びる様から、神事では榊(さかき)と共に清浄な植物の一つとされる。地鎮祭などで四隅に立てられる忌竹(いみだけ)や門松などに用いられるのもその為である。
 繊維質で弾力に富み細工が容易なその性質から、建材をはじめ簾(すだれ)や楽器、茶道具に至るまで様々なものに用いられ、古来から重宝されている。
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2007/11/8


出雲石灯ろう Izumo-ishidourou 

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 出雲石灯ろう(いずもいしどうろう)は、島根県松江市を中心に受け継がれている伝統工芸品である。
 この石灯ろうの起源は奈良時代にさかのぼると伝えられているが、本格的につくり始めたのは江戸時代になってからである。
 原料は、出雲地方の穴道町(しんじまち)の特産である「来待石(きまちいし)」と呼ばれる石で、手斧・つるはし・のみを使って加工される。来待石とは、火山灰が固まって出来た粗粒凝灰質砂岩(そりゅうぎょうかいしつさがん)といわれる原石である。良質の石材で加工しやすく、耐火性に優れていることから、建材用にも使用された。松江藩時代はその価値が認められ、一般の人々の採取が禁止され、「御止め石」として藩外への持ち出しも許されないほど重要視された。
 明治時代以後は造園をはじめ、室内装飾等に欠かすことのできない石の美術品として、全国各地に広く知られ、親しまれている。
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2007/6/6


寿都 鰊御殿 Suttsu Nishin-goten 

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 北海道寿都郡寿都町にある鰊(にしん)御殿は、明治十二(1879)年に仕込屋である橋本与作が建てたと言われる建物である。釘を1本も使っていない見事な建築物である。
 一般的に鰊御殿は網元や漁師たちが寝泊りする建物を指すが、この建物は、ここの漁場で「仕込屋」として商売をしていた橋本家の居宅である。仕込屋とは、網元や漁師に金品を貸し、代金を数の子や身欠鰊、鰊粕などで返済してもらい、これを売る商売のことを指す。
 創業者の橋本与作は、自分の出身地・福井県の本家の庄屋宅を模し、全建材を集めるのに3年、建築に4年の歳月をかけたという。総工費は当時で7万円を要した。
 床下には防湿のために6百俵もの木炭を敷きつめ、窓は当時ギヤマンと呼ばれたガラスをオランダから取り寄せるなど、贅を尽くした造りになっている。鰊漁に沸いた当時の繁盛振りが偲ばれる建物である。
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2007/4/11


千葉 鋸山 Chiba Nokogiri-yama Nokogiri-yama in Chiba

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 鋸山(のこぎりやま)は千葉県安房郡鋸南町と富津市の境に位置する山である。
 標高329メートル、房総丘陵の一部で南房総国定公園にも指定されている。
 凝灰岩の岩質を持ち、房州石と言われる建材として用いられ、江戸時代から盛んに採掘が行われた。その採掘の跡が、山肌がのこぎりの歯のような姿に見え、いつしか鋸山と呼ばれるようになった。元々の名称は乾坤山(けんこんざん)。
 石材は明治時代になってからも早稲田大学や靖国神社など、都内の多くの建物に用いられたが、現在採掘は行われていない。
 山麓から山頂までロープーウェーが繋がっており、気軽に登ることができる。
 山頂は周囲全てが見渡せる展望の地であり、東京湾越しに、遥か富士山、横浜まで眺めることが出来る。
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2007/1/10


京銘竹 Kyomeitiku Kyoto Bamboo

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 京では伝統的に材質のよい竹が栽培・育成され、古来からの技法である火あぶりにより一次加工され、「京銘竹」として建築材料や床柱、腰板や花筒など、和室を演出する材料として広く使われている。   
 京都の竹材の歴史は古く、平安時代のころには中国からもたらされた竹が育てられたと言われている。山に囲まれた盆地の京都は寒暖の差が大きく、肥沃な土質にも恵まれているため、長くて光沢があり、強さとしなやかさを併せ持つ良質な竹を育てるには最適な土地であった。平安時代に竹は柱や壁の下地、垣、簾など、建材として随所に使われるようになる。とりわけ庭園、茶室に使われる門、垣など、京都に生まれた独自の建築文化の需要により、さらに技が磨かれた。京の街並みは、竹によりさらに個性的なものとなっている。
 京都府伝統工芸品に指定されている工芸品だ。
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