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2008/9/29


里見公園 Satomi-kouen 

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 里見公園は千葉県市川市の国府台(こうのだい)地区、江戸川に面した海抜20メートルの大地にある公園で、大きさは8.2ヘクタールもある。
 公園はかつて上杉氏と手を組み、この地を統治していた里見氏が敵対する北条氏と戦った合戦場として、有名な古戦場跡でもある。そのため、園内には里見諸将軍霊墓(さとみしょしょうぐんれいぼ)、羅漢の井(らかんのい)が建立されている。
 里見公園は多くの植物を楽しめる公園である。公園内には260本もの桜の木が植えられ、お花見の季節にはライトアップもされ花見の名所としても有名である、他に、梅林・モミジ林があり、西洋園では多くのバラが植えられている。
 昭和四四年には、東京の小岩から詩人の北原白秋(きたはらはくしゅう)の旧宅、紫烟草舎(しえんそうしゃ)が移設されている。
 近くには江戸時代から江戸川渡し舟であった矢切の渡しもあり、市民の憩いの場である。
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2007/11/14


広沢池 Hirosawa-no-ike 

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 広沢池(ひろさわのいけ)は、京都府京都市右京区嵯峨広沢町にある、周囲1・3mの池である。
 古来、嵯峨野一帯は大堰川の水が流れ込む沼地であったが、秦氏一族の優れた土木技術による灌漑で田園地帯に変わったとされる。
 広沢池は、宇多天皇の孫・寛朝(かんちょう)僧正(916~998)が遍照寺を建立した際に作られたとか、秦氏の手によって作られたと伝わる。
 大分県の「初沢の池」、奈良県の「猿沢の池」とともに日本三沢の一つと言われ、灌漑用の溜池として往古より知られている。
 池から大覚寺・直指庵方面は保存地区に指定され、電柱や看板などが無く、時代劇映画の撮影によく使われている。
 遍照寺山が影を落とす観月の名所であり、周りには桜が多く、春にはのんびりと花見が楽しめる。
 広沢池は、のどかな田園風景と観月で知られる景勝地である。
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2007/9/7


朝日山計仙麻神社 Asahiyama-kesema-jinja 

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 朝日山計仙麻(あさひやまけせま)神社は、宮城県石巻市北村字朝日山、標高174メートルの県立自然公園旭山の頂上に鎮座する神社。
 旭山の途中までは車でいくことができ、駐車場の「霊峰旭山」と書かれた赤い鳥居から整備された山道進んでいくと山頂の神社にたどり着く。途中には、岩肌に建てられた、京都の清水観音堂の様式をもつ観音堂や桃太郎神社、旭山不動尊などもある。
 山頂は美しい緑の森に囲まれており、石の鳥居の向こうに、拝殿と神殿がひかえている。
 御神祭は倉稲魂命(うがのみやのみこと)と豊玉彦命(とよたまひこのみこと)である。
 旭山一帯は有名な桜の名所でもあり、花見の季節には多くの人々が訪れにぎやかになる。
 秋の紅葉も見ごたえがあり、市民の憩いの場所にもなっている。
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2007/8/10


川見薬師寺 Senmi-yakushi-ji Kawami Yakushiji Temple

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 愛知県豐田市川見町にある、真言宗高野山派瑠璃光山薬師寺。通称、「川見の薬師さん」と親しまれている。
 特に花見の季節、1000本の桜が奏でる桜吹雪の様は、まるで幻想の世界に誘われたような錯覚を覚えるぐらい美しい。
 長い石段を上がり山門をくぐると正面に観音堂があり続いて本堂へと向かう。本堂の屋根の左右の龍の彫刻は日本一の龍の彫刻として有名である。
 また、本堂に安置されている寄木造りの薬師如来像は室町時代後期に作られたものであり、境内に佇む江戸時代の灯籠2基とともに村指定の文化財である。
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2007/8/3


大井池 Ooi-ike Oi-ike Pond

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 大井池(おおいいけ)は、愛知県額田郡幸田町大草にある、面積9・2ヘクタールのため池である。
 ため池は農業用水、防災、生物の生息地、親水や交流の場等の多くの機能を持っており、貴重な地域財産である。
 大井池は、矢作川水系広田川を水源とし、昭和一八(1943)年竣工された人造池で、農業用ため池としては愛知県内最大級のため池となっている。
 貯水池の左岸には水上ゴルフ練習場があり、貯水池に向かってゴルフボールを打つ事が出来る。また、上流には砂防ダムが点在している。
 湖畔には多くの桜が植えられており、春には花見の名所ともなっている。
 大井池は、地域の人々の生活に欠かせない人造池である。
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2007/2/19


三春城 Miharu-jyo Miharu Castle

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 三春城は、福島県田村郡三春町にあった城である。
 三春城は、鎌倉〜南北朝時代にかけて、田村氏の田村義顕が大志多山に築いたと言われる。
 やがて、田村氏は強豪に臣従するようになったが、天正18(1590)年の奥羽仕置により、伊達政宗に従い仙台へ去った。
 その後は蒲生氏郷、上杉景勝、加藤嘉明などの大名の所領となったり、天領になったりした。
 正保2(1645)年、秋田俊季が5万5千石で入封し、以後明治維新まで秋田氏が続いた。
 明治4(1871)年、廃藩置県により廃城となる。
 現在は公園となっており、桜の名所としても知られている。城跡近くには公共機関が集まり、三春町の中枢地域をなしている。
 三春城は、歴史に翻弄された小勢力の悲哀を感じさせる城である。
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2007/2/14


弘川寺 Hirokawa-dera Hirokawa Temple

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 弘川寺は大阪府南河内郡に位置する真言宗醍醐派の寺院。山号は竜池山。天武天皇、嵯峨天皇、後鳥羽天皇の勅願寺である。
 天智天皇四(666)年、役行者によって建立。天平九(737)年に行基が練行し、弘仁三(812)年に空海により中興された。寛正四(1463)年に戦火により焼失、享保十七(1732)年、似雲により西行堂が建立され、現在に至る。
 西行法師が境内に庵を組み、晩年を過ごした地として有名。
 境内に西行堂、西行墳の他に西行記念館が建ち、西行、似雲らの資料や歌集が展示されている。
 桜の名所であり、樹齢300年の山桜をはじめ、1500本もの桜が植えられ、春先には山全体が桜で彩られる。
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2007/1/19


桜 Sakura Cherry Blossoms (Sakura)

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 桜は、古来、木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)の霊木として、日本人の生活や心と深く関わってきた。日本を代表する花であり、単に花と言えば、桜のことを指す。また国の花にも定められている。
 実用的な関わりとしては、福井県鳥浜貝塚遺跡の縄文時代前期の地層から出土した弓の弦をかける部分を桜の樹皮で補強した物などが発見されている。また、桜の咲き具合で作物の種をまく時期を計ったり、豊作かどうかを占ったりもした。
 しかし桜は、鑑賞としての対象として重きを置かれ、春の花見は、国民的・民族的な行事となっている。      
 さらに葉が出るより先に花が咲くことや、咲き始めると短期間で満開になり、そして散っていくことから、その美しさとはかなさは、歌を詠む対象ともなり、また日本人の美意識精神性と重ねられて論じられることも多い。
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日本の美意識。

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