NIPPON Kichi - 日本吉

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2007/11/12


すし切り祭り Sushikiri-matsuri Sushikiri Festival

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 すし切り祭り(すしきりまつり)は、滋賀県守山市幸津川町の下新川神社(しもにいかわじんじゃ)にて毎年五月五日に開催されている神事である。
 下新川神社は、霊亀元(715)年、小さな祠を建てたのが始まりとされる古社で、祭神は豊城入彦命(とよきいりびこのみこと)、新川小楯姫命(にいかわこたてひめのみこと)。
 崇神天皇の第一皇子・豊城入彦命が東国を平定せんと湖西より丸太のイカダで渡ってきて、この地を平定したとの伝説が残る。
 すし切り神事は、豊城入彦命が琵琶湖を渡った時、村人が琵琶湖で獲れた鮒の塩漬けを献上したのが起源といわれている。
 若衆2人が古式にのっとり鮒寿司を切り、献上する「すし切り」の儀式で、国の選択無形民俗文化財とされている。
 すし切り祭りは、他にも「さんやれ」の囃子にあわせて踊る「かんこの舞」や「長刀踊り」も行われる、厳かで神妙な祭りである。
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2007/10/5


知立まつり Chiryuu-matsuri Chiryu Festival

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 知立(ちりゅう)は江戸時代に東海道三九番目の宿場町として、また交通の要衝として栄えた池鯉鮒宿(ちりゅうじゅく)があった。
 知立祭り(ちりゅうまつり)は知立神社の祭礼として、一年交代で本祭りと間祭り(あいまつり)が五月二日・三日に行われる。
 本祭りでは、5つの町から高さ7メートル弱、重さ5トンの豪華絢爛な山車が宿場町を練り歩く。
 また、山車の上で上演される人形浄瑠璃や人形からくりは、国の重要無形民俗文化財に指定されている。
 間祭りでは、花が咲き誇るように彩られた花車と、かわいらしい子供の奴道中(やっこどうちゅう)が市内に繰り出す。それらはピンク・紫・白などの色彩が目にも鮮やかでかわいらしい。
 知立まつりの伝統は町の人達を中心に、江戸時代から二五〇年以上経った今でも継承されている。
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秋葉まつり Akiba-matsuri Akiba Festival

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 知立神社(ちりゅうじんじゃ)は池鯉鮒大明神(ちりふだいみょうじん)とも呼ばれ、江戸時代には東海道三社のひとつに数えられた。境内には室町時代に建てられた多宝塔(国指定重要文化財)をはじめ、舞楽面、能面、獅子頭面などの貴重な文化財が多数残されている。
 知立神社の祭りはいくつかあるが、毎年九月に行われる「秋葉(あきば)祭り」は、敷地内に鎮座する秋葉神社の例祭である。春の知立神社大祭に対応した秋祭りとして、神楽や人形浄瑠璃などを奉納していたことが、宝暦六(1758)年の祭礼帳に記録されている。
 明治四〇(1907)年頃には手筒花火の奉納が始まり、以降、花火が秋葉祭りの中心となった。日中は市内にある西町、山屋敷町、宝町、山町、中新町、本町の六町の若衆が、花火玉に見立てた石を入れた玉箱をかつぎ、「長持ち歌」を歌いながら威勢よく町内を練り歩く。夕方になると知立神社に宮入りをし、円陣を組んで勇壮な手筒花火や打ち上げ花火を披露する。
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2007/10/1


知立の松並木 Chiryu-no-matsu-namiki The Row of Pine trees in Chiryu

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 愛知県の知立(ちりゅう)市は、慶長六(1601)年より東海道五十三次の三九番目の宿場町「池鯉鮒宿(ちりゅうじゅく)」としての役割を担っていた。
 慶長九(1604)年幕府の命により、集落の中を除く東海道全域に松の並木が植えられた。並木は夏は木陰を作り、冬は風雪を防ぐのに役立ち、旅人の味方になった。
 現在知立には、約500メートルに渡って170本にもおよぶ松並木が続き、往時の東海道の姿をとどめている。
 この松並木の両側には側道があるが、これは数百頭に及ぶ馬市の馬を繋いでいたものとされている。
 松並木と馬市の賑わいは、松並木の南側の馬市之跡の古い石碑や、広重の浮世絵「東海道五十三次・池鯉鮒」からも窺うことができる。
 昭和四四(1969)年に市指定文化財となった。
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2007/8/2


平筒沼 Byoudou-numa 

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 平筒沼(びょうどうぬま)は、宮城県登米市米山町と豊里町にまたがる周囲5kmの大沼である。
 平筒沼の周りには全長3kmの遊歩道があり、その沿道には、昭和六〇(1985)年に町民自身の手によって植えられた600本の桜が並んでいる。
 その桜は毎年4月中旬頃になると一斉に咲き誇り、大勢の花見の観光客が町内外から訪れ、大変な賑いを見せる。
 四方を自然林に囲まれており、夏にはスイレンや紅色が美しいハス、秋には紅葉、冬には白鳥などの渡り鳥も飛来する風情豊かな場所である。
 湖畔にはナラ、ブナ、カエデの森が生い茂り、県内でも有数の釣り場として知られ、へら鮒釣り大会が開催される時には県内各地から多数の釣り愛好者が参加する。
 平筒沼は、海洋スポーツも盛んな、自然と水辺の楽しさに溢れた景勝地である。
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2007/6/4


池鯉鮒宿 Chiryuu-juku Chiryuu-juku Post Town

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 池鯉鮒宿(ちりゅうじゅく)は江戸五街道の一つ、東海道の39番目の宿場で、現在の愛知県知立市にあたる。
 昔からこの宿場一体は知立という名であったものの、宿場にある知立神社内の池に鯉や鮒が多くいたことから、池鯉鮒という名が用いられるようになったといわれている。
 氏神である知立神社もその歴史は古く、社伝によれば日本武尊の父、景行天皇の時代にまでさかのぼるほどだ。
 次の宿である鳴海宿や間の宿である有松での木綿の絞りの需要の高まり、そして周辺都市へとつながる交通の要所であったこともあり、数百頭の馬が集められる大規模な馬市なども開かれた。この馬市の様子は安藤広重の名作「東海道五十三次」にも「首夏馬市」として書かれている。
 関が原での合戦前まではのどかな農村であった池鯉鮒も、宿場として制定されてからは大きく様変わりしていった。
 そんな数百年前の賑賑しさを感じながら、ぶらりと散策してみるのも面白いかもしれない。
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鳴海宿 Narumi-juku Narumi-juku

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 鳴海宿(なるみじゅく)は江戸の五街道の一つ、京と江戸を結ぶ東海道の宿場であり、今の愛知県名古屋市緑区鳴海町にあたる。
 有名な安藤広重の「東海道五十三次」という作品にあるように、東海道には53箇所の宿場があるが、鳴海宿は40番目になる。
 この手前の池鯉鮒宿との間(間の宿)の有松で生産されていた木綿の絞りが街道筋の人気商品になり、鳴海宿には商家が立ち並ぶようになって栄えた。
 東海道五十三次にも鳴海宿の絞りのことが書かれている。
 また、俳人である松尾芭蕉とも縁のある場所でもあり、この宿にある誓願寺には最も古い芭蕉の供養塔がある。
 この鳴海宿を抜けると、かの織田信長の名を一躍世に知らしめた桶狭間の古戦場が見えてくる。
 江戸からの距離およそ350km。次の宮宿までおよそ13km。
 木綿の絞りを羽織って、芭蕉のように古戦場で兵どもの夢の名残に思いを馳せて次の宿場へ向かう。旅の冥利に尽きる一幕が、そこにはある。
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