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七里岩(しちりいわ)は、長野県諏訪郡から山梨県の峡北地方に舌状に広がる台地のことである。
今からおよそ二五万年前に八ヶ岳連峰の阿弥陀岳付近を中心とした噴火が起こり、その際に発生した「韮崎岩屑流(にらさきがんせつりゅう)」と呼ばれる火砕流が形成した台地だ。
台地の南側には釜無川、東側には塩川が流れ、それぞれが侵食崖を形成しており、高さ10mから40m、高いところでは150mにも達する断崖が連なっている。
崖の南北の長さはおよそ28kmにも及び、昔はその長さが七里に相当したことから「七里岩」という名が付いたとされ、峡北地域における代表的な地質的景観を形成している。
七里岩北部では水に恵まれいたため、縄文時代の遺跡が存在するなど、古くから人跡のある場所となっており、江戸時代には甲斐国の米どころとして発達した。
また、台地の形が韮(にら)の葉に似ていることから、台地の先端地域は「韮崎」と呼ばれ、今のの韮崎市の名称になったともいわれている。
今からおよそ二五万年前に八ヶ岳連峰の阿弥陀岳付近を中心とした噴火が起こり、その際に発生した「韮崎岩屑流(にらさきがんせつりゅう)」と呼ばれる火砕流が形成した台地だ。
台地の南側には釜無川、東側には塩川が流れ、それぞれが侵食崖を形成しており、高さ10mから40m、高いところでは150mにも達する断崖が連なっている。
崖の南北の長さはおよそ28kmにも及び、昔はその長さが七里に相当したことから「七里岩」という名が付いたとされ、峡北地域における代表的な地質的景観を形成している。
七里岩北部では水に恵まれいたため、縄文時代の遺跡が存在するなど、古くから人跡のある場所となっており、江戸時代には甲斐国の米どころとして発達した。
また、台地の形が韮(にら)の葉に似ていることから、台地の先端地域は「韮崎」と呼ばれ、今のの韮崎市の名称になったともいわれている。
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