多賀城址 Taga-joushi
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多賀城址(たがじょうし)は、宮城県多賀城市にある城跡である。日本100名城のひとつとされ、国の特別史跡に指定されている。
神亀元(724)年、鎮守府将軍・大野東人(おおのあずまびと)によって東北経営の拠点として、また蝦夷(えみし)対策基地として築かれ、坂上田村麻呂(さかのうえたむらまろ)や陸奥守・源義家(みなもとよしいえ)をはじめとして、これ以降の蝦夷討伐に大きな役割を果たした。
10世紀半ば頃にその使命を終えたとされる。
現在は発掘調査された成果をもとに復元された基礎が並んでおり、当時の様子を垣間見る事ができる。
また、江戸時代初期に発見された多賀城碑は、天平宝字六(762)年の銘がある石碑で、栃木県の那須国造碑、群馬県の多胡碑とともに、日本三古碑の一つと呼ばれている。
多賀城址は、陸奥国府として対北方前線基地であった城跡である。
神亀元(724)年、鎮守府将軍・大野東人(おおのあずまびと)によって東北経営の拠点として、また蝦夷(えみし)対策基地として築かれ、坂上田村麻呂(さかのうえたむらまろ)や陸奥守・源義家(みなもとよしいえ)をはじめとして、これ以降の蝦夷討伐に大きな役割を果たした。
10世紀半ば頃にその使命を終えたとされる。
現在は発掘調査された成果をもとに復元された基礎が並んでおり、当時の様子を垣間見る事ができる。
また、江戸時代初期に発見された多賀城碑は、天平宝字六(762)年の銘がある石碑で、栃木県の那須国造碑、群馬県の多胡碑とともに、日本三古碑の一つと呼ばれている。
多賀城址は、陸奥国府として対北方前線基地であった城跡である。
- 住所
- 985-0000 宮城県多賀城市
- 名前
- 多賀城址