NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/7/4


薩摩琵琶 Satsuma-biwa 

Jp

 「薩摩琵琶(さつまびわ)」は鹿児島県鹿児島市に伝わる伝統工芸品であり、国の無形文化財に指定されている。指の間隔と音感をもとに、音色に琵琶独特の揺りや変化が付けられるのが特徴である。
 戦国時代(1493~1573)、九州の薩摩地方で薩摩・大隈・日向の第一五代領主・島津貴久(しまづたかひさ)の実父・忠良(ただよし)が、盲僧の淵脇了公(ふちわきりょうこう)に作曲をさせ語らせたのがはじまりであるといわれる。武士の士気を鼓舞する目的で作られ、詞章は教訓的な内容であったという。
 江戸時代中期には町人の間にも広まり、娯楽として琵琶に親しむようになる。明治維新以後、薩摩藩の東京進出に伴い、薩摩琵琶は全国的に広まった。
 三味線は弦の長短で音高を出すが、琵琶は弦の張力で音高を出す。左手の位置はほぼ固定した状態で、高い柱を使い、三本の指を使って弦を締めたり弛めたり調節しながら、音を作り出していく。琵琶の独特ある力強い響きは、大きく尖った撥(ばち)により、勇壮な音を奏でていく。
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2008/7/1


白磁透かし彫り Hakuji-sukashibori 

Jp

 「白磁透かし彫り(はくじすかしぼり)」とは、長崎県指定無形文化財で、三川内焼(みかわちやき)のひとつに数えられている。
 その昔、豊臣秀吉が起こした朝鮮の役を別名「焼物戦争」といい、各地の大名は秀吉の命により、朝鮮の陶工を連れ帰った。平戸藩主・松浦鎮信(まつうらしげのぶ)は慶長三(1598)年、陶工・巨関(こせき)を連れ帰り、巨関が藩主の命で平戸・中野に最初の窯入れをしたのが三川内焼の始まりである。
 伝統ある三川内焼には、唐子絵に代表される呉須(ごす)による染付、薄手白磁の卵殻手などが挙げられるが、特に特に高度な技術と芸術性に富んだ作品が、精巧緻密な白磁透し彫りである。玉泉(ぎょくせん)製陶の第一四代の福本正則氏は、先代・福本数市氏に師事し、三川内焼の中でも「白磁透かし彫り」の秘法を伝授された。
 玉泉窯の中で代表的な作品が「香炉」である。数ミリ間隔で無数に開けられた亀甲型の穴から明かりが灯される時、光の美しさと陶磁器の白さが重なり、優しい姿が写し出される。
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