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家屋や禅宗の寺院、公共の建物など正面の入り口を玄関という。
元々は中国『老子』の「玄の又玄なる衆の妙なる門」による語で、日本では鎌倉時代に禅宗で用いられた仏教語。仏教において、寺院に入ることは仏門に入ることであり、真理を意味する「玄」への道となる。故に方丈への入り口を玄関と呼んだ。それが玄関の始まりである。
平安時代の寝殿造りにおいて、中門廊に車寄せや板扉が作られた。この時、突き出た駕籠を降ろすための低い板床を玄関と呼び、取り次ぎの間を式台と呼んだが、江戸時代になると、全体を玄関と称した。
庄屋などは役人を迎えるために玄関を作ることを許されたが、通常の民家は許されなかった。明治になり、誰でも玄関を作ることができるようになったが、第二次世界大戦前までは、玄関の格式が残り、玄関は客と主人が使い、家族は内玄関、使用人は勝手口を使った。
元々は中国『老子』の「玄の又玄なる衆の妙なる門」による語で、日本では鎌倉時代に禅宗で用いられた仏教語。仏教において、寺院に入ることは仏門に入ることであり、真理を意味する「玄」への道となる。故に方丈への入り口を玄関と呼んだ。それが玄関の始まりである。
平安時代の寝殿造りにおいて、中門廊に車寄せや板扉が作られた。この時、突き出た駕籠を降ろすための低い板床を玄関と呼び、取り次ぎの間を式台と呼んだが、江戸時代になると、全体を玄関と称した。
庄屋などは役人を迎えるために玄関を作ることを許されたが、通常の民家は許されなかった。明治になり、誰でも玄関を作ることができるようになったが、第二次世界大戦前までは、玄関の格式が残り、玄関は客と主人が使い、家族は内玄関、使用人は勝手口を使った。
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