NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/5/15


合気道 Aikidou 

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 合気道(あいきどう)は、日本古来の柔術や剣術、杖術など諸武術を基に、昭和六(1931)年に創始された現代武道である。
 当初は「合気武道」と称していたが、昭和二三(1948)年より、現在の合気道の名が用いられるようになった。
 技は体術はもとより剣や杖などの武器術も含み、対多人数の場合も想定した総合武術となっており、戦時中は旧陸軍中野学校や旧海軍大学校などでも指導された。
 この武道の特徴は、独特の体捌きによって攻撃線をかわすと同時に、相手の死角に入って自分有利の位置と体勢を確保し、最小の力で相手の体勢を崩して投げ技や固め技によって効率良く相手を制するところにある。
 この、独特の力の使い方や感覚を「合気」と言い、年齢や性別、体力に関係なく、まさしく「小よく大を制す」ことが可能になるとされている。
 今日では合気道人口は国内だけでも百万人といわれており、また、海外普及の効果もあって、国際的にも「合気道」の名は認知されつつある。
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2007/12/26


柔道 Juudou 

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 一二世紀以降の武家社会の中で、剣術や馬術、弓術、槍術など18の武術が成立し「武芸十八般」と言われた。その一つとして柔術があり、江戸時代の頃、急速に発展をとげた。
 柔術は幕末までに100を越える流派が生まれたとされ、明治一五(1882)年に嘉納治五郎(かのうじごろう)が創始した武道が「柔道(じゅうどう)」である。正式には「日本伝講道館柔道」という。
 体の弱かった治五郎は、学んできた流派の違う柔術を独自の理論で整理、体系化し、将棋や囲碁の段級位制を取り入れた「柔道」を全国に広めていった。
 「勝てばいい」という単なる勝利至上主義ではなく、精力善用・自他共栄を基本理念とした精神鍛錬が主な目的とされ、「柔能く剛を制し、剛能く柔を断つ 」を真髄としている。
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2007/9/28


植芝盛平 Ueshiba Morihei Morihei Ueshiba

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 植芝盛平(うえしばもりへい)は「合気道」の創始者。明治一六(1883)年、和歌山県生まれ。数学・物理に強く、英雄伝説や奇跡説話に関心を抱く少年だった。
 税務署勤務を経て、文房具店を開業後、古流武術や剣術を習得した。日露戦争に従軍した盛平の銃剣術は、連隊一だった。
 故郷に戻って農業に携わり、開拓移民として北海道へ。農業指導の傍らで、合気柔術を習った。
 父の病気平癒祈願の為に、京都の出口王仁三郎を訪ね、「鎮魂帰神法」の教えを受ける。触発され、京都に移住し、「植芝塾」を開設した。気・心・体がひとつになった「合気武術」を誕生させた。
 盛平の噂は、全国に広まり、多くの軍人や武道家を集めた。その後、東京に道場、茨城県に修練場と合気神社を併せもつ合気苑を建てた。
 海外に自ら出向くなど、晩年まで合気道の指導・普及に身を捧げた。
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2007/4/10


早馬まつり Hayama-Matsuri Hayama Festival

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 早馬まつりは、宮崎県北諸県郡三股町で開かれる祭りである。
 都城市、北諸地方の二大まつりのひとつといわれる大祭で、毎年4月29日に早馬神社で行われている。
 明治三(1870)年、三島通庸が勝岡郷と梶山郷を合併して三股郷を作った。この祭りは、三島通庸が奨励した事もあり、近隣から観衆が集まる大行事となった。
 境内では、美しく盛装した装束馬が、太鼓、三味線のリズムに合わせて踊るジャンカン馬踊りや、郷土芸能である棒踊り、奴踊りなどが奉納され、奉納が終わると各地区に繰り出し、踊りを披露する「庭もどし」が行われる。
 ステージでは各グループの演奏、踊り等を披露され、弓道・剣道・柔道・四半的などの大会が開催される。また、生け花・お茶などを楽しむ事も出来る。
 早馬まつりは、郷土芸能と武芸が融合した伝統の祭りである。
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