NIPPON Kichi - 日本吉

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2007/12/25


小湊 昭尚 Kominato Akihisa Akihisa Kominato

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 小湊昭尚(こみなとあきひさ)は尺八奏者、民謡小湊流三代目。1978年、民謡小湊流家元の長男として福島県に生まれる。父は民謡歌手の小湊美鶴、姉は歌手の小湊美和。5歳より両親の手ほどきを受け、舞台活動を開始。十代から琴古(きんこ)流の古典尺八奏法を学び、1995年より人間国宝の山口五郎(故人)に師事。二十歳で民謡小湊流三代目襲名。東京芸術大学音楽学部邦楽科尺八専攻卒業後、純邦楽はもちろん、フュージョン、ボサノヴァなど洋楽とのセッションを開始。
 2004年、和楽器ユニットZAN(ザン)でメジャーデビュー。民謡や尺八演奏で身につけた技術でヴォーカル、尺八奏者として新たな道を切り開き、現在ZANと並行してAEKA(アエカ)、Priest(プリースト)、般若帝国など複数のユニットで幅広く活動中。海外公演も積極的に行っている。
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2007/4/13


熊谷志衣子 Kumagai Shiiko Shiiko Kumagai

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 岩手県盛岡地方に伝わる伝統工芸品「南部鉄器」を今も造り続ける、鈴木盛久工房(すずきもりひさこうぼう)の第十五代当主である。
 熊谷氏は全国初の女性の釜師。1946(昭和二十一)年生まれ、学生時代に彫金を学び、93年に十五代目を襲名した。
 彼女が作りだす柔らかなフォルムを持った独特な作品は、90年「丸釜」にて鵬雲斎千宗室家元奨励賞を、91年「櫛目丸型鉄瓶」で内閣総理大臣賞など他多数の賞を受賞している。
 南部鉄器は江戸時代中期に京都から職人を招いたのが始まりで、藩の保護や良質の鉄に恵まれたことから岩手に根付き、現在も多くの人々に親しまれている。
 元々彫金を学んでいた熊谷さんはその技術や特性を生かし独自の製品を作成。現在も様々な試行錯誤を繰り返している。
 女性の感性による新たな作品は、伝統工芸品に新たな息吹を吹き込んでいる。
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2007/3/2


温山荘園 Onzan-souen 

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 大正初期から昭和初期にかけて、武者小路千家家元名代の木津宗泉により作庭された、潮入式池泉回遊庭園。紀州の名園として名高く皇族らがしばしば来訪し、随行した桂太郎、東郷平八郎、清浦奎吾らの扁額が主屋に掲げられている。
 主屋「温山荘」を中心に、海から水を引くことで潮の干満に応じて水位が上下するという汐入りの池が3つ配され、その周囲に茶室や座敷が点在する。
 恐らく個人庭園としては最大の、1万8千坪の庭園内は野鳥も多く、また、希少な動植物やめずらしい藻が発見されており、樹木37種、シダ4種、総数129種が確認されている。
 園内にあるトンネルを抜けると黒江湾を望むことができる。
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2007/2/23


囲碁 Igo Igo

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 囲碁は、碁盤と呼ばれる盤上にそれぞれが一色を持って白と黒のの碁石を交互に置いていき、自分の石で囲んだ領域の広さを争う二人用の対戦ボードゲームである。
 囲碁の起源は、紀元前後に中国で占星術が変化して、今の形となったと言われている。
 日本に伝わったのは奈良時代である。その頃から貴族・僧を中心に遊ばれ、日本中に広まった。
 江戸時代には碁会所が庶民の間に広まり、家元制度により囲碁が奨励され、本因坊家、安井家、井上家、林家の4家が争いあった。
 明治維新後に家元制度が崩れ、誰でも実力次第でプロ棋士になれるようになった。
 現在、漫画からの囲碁ブームにより、多くの若者も興味を持ちはじめ、囲碁は世界各国に広まっている。
 インターネット碁も盛んであり、本格的な囲碁の国際化が進んでいるといえよう。
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